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2007年10月01日

終章…そして

数ヵ月後私は大津様の子である女の子を産んだ。
大津様がこの世にいたらきっとこの娘の誕生を喜んだろう。
でも、あの人はいない。
私は1人で二上山の大津様のお墓に娘の誕生を伝えにきた。
もうこの世界に来て3年。私が愛した人はここに眠っている。
大津様は安らかに眠っているのだろうか?
私は自分が傍にいることで娘の将来の差しさわりになることを恐れ草壁様と阿閉様に娘を預け嶋の宮を後にしたが、大名児は死んだことになっているのでもう皇后様とは暮らせず、翁は以前として行方がわからないので此花の里で暮らすこともできず自分のいるべき場所を見つけることができなかった。
こんな広い世界にたった1人、、現代に帰りたい…。
帰って看護士として勉強し一からやり直したい。
でも帰る方法がわからない。
このままではただ生きているだけではないか…。
もしかしたら死んだらお母さんやお父さんの元に戻られるのだろうか?
「娘よ。」
声の方向を振り返るとそこには長く真っ白な髪を結いもせず下げたままの老婆が木の幹に物憂げに腰かけていた。
何故か人を圧倒する威圧感がある。
「私でしょうか?」
「おまえ、帰りたいと願ってもそれは無理じゃ。おまえはまだこれから新たな幸せを得、新たな哀しみも得る。おまえが嘆き悲しみ、心からこの時代に絶望したら願いは叶う。」
新たな幸せに新たな哀しみ、そして心からの絶望。
「それはどういう意味?おばあさん?あら?おばあさん?おばあさん!」
おばあさんは森の方へと歩いていく。
私は急いであとを追い森の中に入っていった。年をとっているのに何て早足なのだろう。
おばあさん、待って!

…そこで止まれ、そのまま目を閉じよ。

気迫に押され言うとおりに目を閉じると私は大きな屋敷の中を覘いていた。
こんな大きな屋敷は見たこともない。
どなたの屋敷だろう?浄御原ではないような気がする。
あれは鶴を飼っているの?牛も犬もいる。
あの唐風の絨毯は大嶋が新羅の饗応の時に持ち帰ったものと似ている。
絨毯が敷いてある間に数人の男達が1人の男と押し問答をしていた。
その1人の男は高市様に似ている。
若い時の高市様?でもちょっと違うような気もする。
彼の目には恐怖が宿り身体は硬直しているようだ。
そして肩をガックリと落とし苦しげに、言う。
「わかり申した。しかし妻には何も罪はない。妻子に累が及ぶことのなきよう約束願いたい。」
「承知した。王が罪をお認めになるなら妻子に咎がないこと、帝も太上天皇もご異存はあるまい。」
どういうことなのだ?あの王と呼ばれる男は妻子を救うために死のうとしているのか?あれは誰?おばあさん、教えて!

…しっかりと見よ。目を開けるな!

おばあさんに事情を聞こうとした私はその一喝に反射的に再び目を閉じた。
「王においては罪を認め先ほど自ら命を絶たれました。」
今度は女性と子供が数人の男たちに囲まれている。
その女性は自分の子供を男達に渡すまいと固く抱きしめて震えている。
あれは……
女性の顔が認められたとたん私の背筋に電流が走った。
同時に男が無機質な声で言う。
「あなた様とあなた様が生んだお子はいずれ我らの邪魔になるでしょう。申し訳ありませぬが死んで頂く以外の道はございません。」
女性は我が子を背に回し手を触れさせぬようにし男を睨みつける。
「その方ら、王を騙し罪を認めさせたな!」
「我らにとり王など怖くもない。我らの道に塞がっているのはあなた様とその血を受け継ぐお子たち。」
「臣下の分際でこのような悪逆非道が許されようか。私も、王も、子も、そしてあの世におられる母上も父上もお祖母様もその方らを決して許さぬぞ。」
女性の迫力に一瞬その男はたじろぎ兵も自分達の手で貴人を手にかけることを躊躇った。
「内親王、刀をお渡ししますので自刃下され。」
「断る。私は自分では死なない。先の帝の娘であり太上天皇の妹であるこの身と皇孫の我が息子たちを殺める罪は重い。その方らを地の底から呪ってやる。そして神罰仏罰で苦しんで死に、死してなお地獄を彷徨うが良い。さあ、殺せ!!!」
兵らは後ずさりし引いていた。
男は一瞬の逡巡のあと自嘲的な笑みを浮かべ自ら刀を抜いた。
「呪いや神罰が怖くてこの手でこの世を掴むことなどできるものか!父上、兄弟よ、吾に力と勇気を!」
男が刀を振り上げた瞬間私は『吉備!!!!!!!!』と、叫んでいた。

「…のさま!うのさま!雨乃様!」
「柊?」
「急にいらっしゃらなくなったので探しました。」
柊は不安そうな顔をしている。
「私、どうしたの?」
「森の中で倒れていました。」
「森の中で??」
記憶を手繰り思い出そうとすると頭がズキズキ痛くなって思い出せない。
ひどくリアルな怖い夢を見ていたがあれは何だったのか?ダメだ、やはりわからない。
「大津様のお墓参りにきて、それで…」
また頭の痛さに顔をしかめた私に柊は優しく言う。
「思い出さなくても大丈夫にございます。何もご心配なさることはありません。」
「未来は変えられる?」
私はつぶやいた。柊は唐突な質問の意味がわからず戸惑っている。
そう、私は未来を変えなくてはならない。
何かを娘に伝えなくてはいけない。
そのために私はこの時代にきたのだ。
始めは帰る方法がわからないから仕方なく残った。でも今度は違う。
今は思い出せずとも強く生きてやらねばならないことがあるのだ。
生きて、生きなくては。
私の心から迷いは消えていた。

私達の未来を暗示するかのように明日香は茜色に燃えるように染まっていた。  


Posted by jasmintea♪ at 12:52Comments(6)小説

2007年09月30日

新たな…

朕は何をする気力も湧かなかった。
政は高市が見ている。
高市は誠実な人柄で決断力には欠けるものの人情に篤く人を大事にする。
実務はすべて几帳面にこなすので亡きスメラミコトも信頼していた。朕も何も心配することはない。
大津の事件以来朕の周りには誰も人がいなくなった。
草壁は臥したまま、雨乃は立ち直れず、翁は行方不明、「大津様と山辺様を死に追いやった皇后は呪われている」、など口の端にあがり朕は二重三重に傷ついていた。
寂しさともどかしさと切なさから食も細くなり食べたものも受け付けず見る間に痩せていった。
この年になり痩せると顔には皺が深く刻まれ、髪は白くなり鏡を見ると百歳の老婆のようである。
自分の怖いまでの顔にショックを受けた朕は人と会うことを極力避け時間だけが過ぎ去っていくのを眺めている生活になった。
このまま死んだらどんなに楽か。
唯一、大嶋だけが毎日訪ねてくれて几帳越しに表向きのことや世の動きをを独り言のように話していった。

そんなある日阿閉が訪ねてきた。
入ってきた阿閉は大きなお腹をしていた。
「姑上様、ご無沙汰しておりました。」
「阿閉、そなた…」
「本当に子がいるように見えるよう毎日サラシを巻いているのです。草壁様に大津の子を謀反人の子として育てるわけには行かぬ、吾の子とし育てる、と言われた時より私は大津様と雨乃様のお子を我が子として守り育てる決心を致しました。ですのでこの子は私の子です」、とお腹を愛しそうに撫で微笑んだ。
「毎日サラシを巻くのは大変でしょうに。」
阿閉は大丈夫、と言うように微笑みながら
「ところで姑上様、もしよろしければ今日我が宮にお越し頂けませんか?」と言った。
「何か用でも?朕は特別の用事がない限り外出は面倒じゃ。」
「とびきりの用事にございます。阿閉も手伝いますのですぐお支度を。」
と、阿閉は志斐に指示をし輿を回した。
朕は仕方なく輿に揺られ嶋の宮に向かった。

嶋の宮に着くと草壁が迎えてくれた。
「草壁、そなた歩けるようになったのですか?」
「はい。あるお方に診てもろうたらすっかりよくなりました。」
「それは良かったこと。母も安堵しました。」
「大嶋が毎日ご機嫌伺いにくるのですが、母上のことをひどく心配しておりました。母上も同じお方に診てもろうたら気の病だけでも治るのではないか?と言うので阿閉を迎えにいかせました。」
「大嶋は嶋の宮にも毎日寄ってくれたのですか。」
「はい。」
「草壁、大嶋の気持ちもそなたの気持ちもありがたいが朕は誰とも会いたくないのじゃ。」
「まぁそう申されずに…。」
「白湯をお持ちしました。」
声の懐かしさに反射的に振り返ると優しい笑みを浮かべるお腹がふっくらした雨乃が立っていた。
「雨乃!」
思わず椅子を倒し、駆け寄り抱き締める。
「雨乃じゃ。幻でも夢でもない。雨乃!よく元気になってくれた。よく子も無事であってくれた!」
朕は喜びに涙を流していた。
「皇后様、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。皇后様、お手をよろしいですか?」
朕は雨乃の誘いでおそるおそる手をお腹に伸ばす。
ムニュ、ムニュ
「動いておる!」
「はい。このとおり元気に動いています。」
「雨乃、大津の子なのじゃの。大津の子がここに!」
朕はしばらく赤子の胎動を手に感じ取っていた。
赤子はずっと動いている。今のは足で蹴ったのであろうか。時々大きく動くことがある。
この動きが命なのだ。
「母上、しばらくこの宮で吾や阿閉、氷高、軽、柊殿、雨乃と共に暮らしませぬか。せめて体調が戻られるまでここにおられては如何でございましょう?」
「草壁…ありがとう。」
「吾も今まで大津への思いばかりに捉われ母上をお1人にして申し訳ありませんでした。吾も、雨乃も大津の思いを忘れておりました。叔母上に孝養を尽くしてほしい、大津は最後に吾に頼んだのです。」
「私には山田寺の法要に吾の代わりに付き添ってほしい、と。」
「大津がそのように。」
「さぁ、姑上様、今日は久しぶりにみなで夕飯を頂きましょう。氷高がとても心配しておりましたので喜びます。」
その日、朕は久しぶりに食べたものを戻すことなく楽しい夕食を頂き雨乃と同じ部屋に寝た。
雨乃は寝る前に丁寧に朕の髪を梳いてくれた。
「皇后様、必ず強い子を産みます。私は子を阿閉様に預ける覚悟はできておりますがどうか皇后様がお元気になられてこの子の後ろ盾となって下さいますようお願い申し上げます。」
と、お腹をさすりながら言う。
そうじゃ。朕と大津の血を継ぐ孫の為にしっかりせねば。
父親のいない子を守ってやるのは朕しかいない。大津を守ることができなかった分もこの子を。

翌朝、「もっとゆるりとなさって下され」、と勧める草壁の言葉に礼を言い朕は宮に戻り大嶋を呼んだ。
「雨乃様の魔法は皇后様にはよう効きますのぅ。」と、薄くなった頭を撫でながら言う。
「大嶋、そちには礼を申さねばならぬ。まず大津を看取ってくれたことを感謝する。」
大嶋は何か言いたげに口をモゾモゾ動かしかけたが言葉を飲み込んだ。
「何か?」
「いいえ、何でもございません。」
「何もなければ良いが…。それと毎日朕を見舞い嶋の宮も訪ねてくれていたそうじゃの。」
「臣下として当然の務めにございます。」
「大嶋、朕はそちの忠義に応え以降藤原の者を子々孫々に至るまで引き立てようぞ。」
「もったいないお言葉。」
大嶋は平伏していた。
「草壁が即位する時はそちが天つ神の寿詞を読んでくれ。大嘗祭の天神寿詞も頼むぞ。」
「皇后様、身に余る光栄にございます。我が藤原一族は未来永劫天皇家に忠義をもって仕えることを大嶋、約束いたします。」
朕と大嶋は強い信頼関係により結ばれていた。

-この後藤原大嶋は史と共に高市から草壁への禅譲のため朝堂内で動き、草壁薨去後は持統天皇の即位を支え、草壁の菩提を弔うために粟原寺を建立し死ぬまで彼女に忠誠を尽くした。
又甥が彼女の孫を手にかけるなどと夢にも思わなかったに違いない。  


Posted by jasmintea♪ at 13:48Comments(0)小説

2007年09月29日

水底から

私は深い暗闇の中にいる。
海の底は光がなく雪は下から上へ降りそそぐ、と聞いた。
たぶんそんな水底に体が浮いているような状態だと思う。
この水底が大津様の命を奪ったあの池に繋がっているなら嬉しい。
今は何も見えない。何も聞こえない。何もしたくない。何も食べたくない。
このまま何も口にしなければ大津様の元へいける。

私がそんな思いに捉われていた頃周りの人々は暖かく私を包んでくれていた。
阿閉様は草壁様の看病がお忙しいなか早朝に私の部屋にやってきて私のお腹を見ては同じ膨らみ具合にサラシを巻いていく。
大津様と私の子供を守り育てることを決意した阿閉様は他の人に気付かれないようサラシを巻くのが日課となっていた。
氷高様は勉強や格別の用がない限りここで時間を過ごす。
返事もしない私に向かいいろいろなことを話しかけていく。
「今日は軽がイタズラしてね侍女の裳裾を踏んだの。そしたらこんなに侍女がビックリして派手に転んで軽は母上に『軽、人を危険に晒すようなイタズラはしてはなりません。』ってひどく叱られたのよ!」と、笑っている。
氷高様の身振り手振りの説明と人真似がおかしく普段は感情を顔に出さない柊も思わず笑っていた。
柊はいつも私のそばにいた。目を覚ますと私の半身を起こし水を口の中に入れる。
食べ物を受け付けないことをわかりながらも食べさせようとしていた。
武人の柊からは想像できないきめ細やかな看病だった。
周囲の人に感謝の念を持ちながらも何もする気力が湧かず私は死を望んでいた。
いや、本当は生きようとしたかったが生き方を忘れていたのかもしれない。
大津様の死から1ヶ月半、私はまだ深い水底に眠っている…。

そんな中、杳として行方の知れなかった茉莉花様が突然嶋の宮を訪れた。
柊は茉莉花様の顔を見ると子供のように泣き出した。
「茉莉花様」
茉莉花様は驚きながら宥めるように優しく訊ねる。
「どうしたのじゃ、柊。子供のようぞ。」
「心配いたしました。翁は今どちらに?」
「今は言えませぬがお元気です。猪木がそちが参っておるゆえ訪ねて下さい、と幾度も文を寄越すので取り急ぎきました。」
「茉莉花様、雨乃様は約2ヶ月何も召し上がりません。このままでは雨乃様もお子もダメになってしまいます。どうしても一度茉莉花様に診て頂きたかったのです。」
茉莉花様は静かな目で私を見つめた。
「雨乃様、肝心な時に駆けつけられずに申し訳ありませんでした。」と、頭を下げた。
「こんなにお痩せになってはいけません。こんな状態でもお子が流れなかったのはお子が生きたいと願っているからですね。大津様に似て強いお子にございます。」
「大津、、様…。」
事件後初めて発した声だった。
「そうです。大津様は雨乃様が愛したお方です。大津様は雨乃様がお子と一緒に強く生きることを最後の瞬間まで願っていた、と聞いています。雨乃様に大津様は何かおっしゃいませんでしたか?」
「吾は光になりそなたを包むから強く生きてほしい…」
「そうですか。雨乃様はその言葉を聞いてどう思われたか憶えていますか?」
「イヤだと…。死なないで生きてほしい、と、思った…。」
「私も愛する人にはいつまでもそばにいて欲しいと思います。雨乃様は大津様にそうおっしゃったんですか?」
「いいえ。悲しくて何も言えなかった。止められなかった。何も言えないままに大津様は部屋を出ていってしまった。」
枯れていた私の感情を溶かすように暖かな涙が頬を伝う。
「それが悲しくて、悔しくて、後悔をしているんですね。」
私は黙ったままこっくりとうなづいた。
「でも、それは雨乃様のせいではありません。ご自分を責めないで責めるなら大津様を責めて下さい。」
「でも、大津様はいない。もう大津様はどこにもいないの!」
涙が次から次へと溢れあとは言葉にならなかった。
しゃくりあげ子供のように泣く私を茉莉花様はずっと抱きしめ背をさすってくれていた。
「大津様、どうして死んじゃったの?私と子を残して。どうして山辺様だけが大津様のところへ行ったの?私はここにいるのに。どうして!どうして!!」
私は泣きじゃくりながら大津様への恨みの言葉を吐いていた。
今までの思いを吐露したくさんの涙を流し、少し感情が落ち着いてきた頃に茉莉花様は聖母のように優しく言う。
「雨乃様は心底、大津様を愛した。その方の命を残したくはありませんか?」
私はコックリとうなづいた。
「そうしたらこれをお飲み下さい。」
差し出された薬湯を飲む。
「苦い…。」
「苦いとおわかりで安心しました。」
茉莉花様はニコニコ笑っている。
「無理して笑ったり話したりしなくて良いのです。ゆっくりと過ごしましょうね。」
「はい。」
「あら、お返事が返ってきたのは良いことです。しばらく茉莉花がおそばにいますから安心なさって下さい。」
「茉莉花様、ありがとうございます!」
柊は心から喜んでいた。
今までどしゃ降り続きの雲の切れ間から薄日が射してきたような気がした。  


Posted by jasmintea♪ at 20:39Comments(0)小説

2007年09月28日

追憶…無花果

花の咲かない果実…
この無花果のように大輪の花を咲かせることなく大津は若き命を散らした。

水死刑は大津の意思で朕が知らぬ間に実行された。
目隠しをされた大津は気負いもせず、臆することもなく堂々と小舟に乗り込んだと聞く。
朕は立会人となった大嶋と、前夜を共に過ごした草壁から報告を受けた。
大津は自らの命と引き換えに新羅の目的を阻止し、従容として死に臨んだ。
朕はその決意を聞き無花果を受け取り大津のたった独りの戦いを汚さぬよう、誇りを持って受け入れることを決め、雨乃にも包み隠さず全てを話した。
しばらくの間雨乃は泣いていたが
「あまり嘆くと大津様が心配で安らかに眠られませんものね。」
と、この時点では大津の死を受け入れ生きていく意思を見せ翁の占のようなことは阻止できた、と安堵していた。
朕は引き揚げの時に大津の最期の顔を見たいと大嶋に頼んだが
「水死刑のためお顔が変わっておられるので拝見されない方がよろしいかと存じます。大津様の笑顔だけを残して差し上げて下さい。」
と、涙ながらに説得され愛し子の顔を見ることはなかった。
しかし、引き揚げの段階で事態は急展開をみせる。
大津の変わり果てた姿を見た正妃山辺は
「大津様、お1人では逝かせませぬ。山辺がどこまでもお供します。」と叫び、裸足のまま走り、髪を振り乱し、大津が果てた同じ池に身を投げあとを追った。
それを聞いた雨乃の心は壊れた。
「私も大津様のおそばに行きます!」と言いあとは翁の占のとおりとなった。
命は柊により救われたものの心を閉ざし、言葉も発せず食事も受け付けない。
感情がすべて固まって涙を流すこともできないという。
泣き喚くことができるうちはまだ救いがあるのやもしれぬ。
大津の遺言と草壁の申し出により今は嶋の宮で柊が必死の看病をしているがこのままでは子が流れてしまうかもしれない。
草壁も大津を止められなかったことを悔い深く傷ついていた。
阿閉の話によると1日のほとんどを寝て過ごし、目を開けると「大津は?」と聞く。
「今、お出かけですわ。」と返事をすると微笑み「大津の赤子は?」と再び聞く。
「今、眠っています。」と言うと安心したように眠りにつく。
氷高が心配して声をかけてもほとんど返事もしないようだ。
そして朕が密かに心配しているのは翁…。
あれから柊を通しても、瀬奈を通してもまるで連絡がとれなかった。
此花の者が八方手を尽くして探しておるが茉莉花様共々行方がわからない。
何か緊急な出来事でもあったのか、争いごとにでも巻き込まれたのか、草壁と同じように大津を救えなかったことを悔いているのか、朕は杳として行方知れずの翁の心配を密かにしていた。

大津は逝き、雨乃は草壁のところで、柊も、瀬奈も翁もいない…。
大津が届けてくれた無花果だけがぽつねんと残っておる。
壬申年の戦の折、桑名で大津がとってくれた無花果は甘酸っぱくおいしかった。
「叔母上、叔母上の大好きな無花果です。どうぞ!」と自慢げに目を輝かせる大津。
礼を言いながら早速口にし、
「大津、この無花果は今までに口にしたこともない格別なおいしさじゃ。」と言うと満足げに胸をはり、嬉しそうに笑顔を浮かべておった。
我が息子と暮らせた幸せな日々を追憶し、幼き日の大津の笑顔を目に浮かべ目の前の無花果を一口かじってみる。が、味がしない。
この果物はこんな味もしないものじゃったろうか?
いいや、そうではなくて今は何を食べても味を感じないのかもしれない。
味だけではなく嬉しさも悲しみも、感情のすべてが凍りついていた。
季節が巡り花が咲き乱れてもきっと美しいとは感じないのだろう。
夏の暑さも、肌を刺すような冬の冷たい風も感じることはないのかもしれない。
体だけが生かされ心は死んでいる。
いつの日か親子の名乗りをあげることを支えに生きてきたのに。
思いっきり我が子をこの手で抱きしめるのを夢に見ていたのに。
もし、今、あの世にいけばまだ間に合うか?
大津に追いつき母と名乗り思いっきり抱きしめることができるであろうか?
長年寂しい思いをさせたことを詫びることができるであろうか?
そんな甘い幻想に心は支配されていた。

結果的には大津の目論見は成功し、新羅は旗印をなくしたためにスメラミコト亡きあとにつけ込みこの国を間接的に支配することは諦め軍船も引き上げていった。
大津の行動が正しかったことは図らずも新羅の動きにより立証され、この国は大津により救われたと言っても過言ではなかった、が、それは一部の者しか知らず朕は息子草壁かわいさに甥を手にかけたと人々の謗りを受けた。
それでも知らない人には何を何と言われても良い。
この国を守った達成感はなく虚しさだけが残り、代償はあまりに大きい。

我が子大津の死から7日…みな、血の涙を流し、全身に傷を受けながら生きていた。  


Posted by jasmintea♪ at 20:47Comments(0)小説

2007年09月22日

最期の夜

皇后様、大名児様の侍女の瀬奈が目通りを願っておりますが。
「すぐに通せ。」
先ほど翁との連絡を依頼したばかりなのにもう戻ってきたのか?朕はあまりに早い瀬奈の行動に不安を持った。
「瀬奈、早かったの。如何した?」
「皇后様、大嶋様より伝言を伺う前に翁から使いが参りました。訳語田の周辺は新羅の者が邪の結界を張っており秘密裏に大津様を脱出させるのは困難だと申しております。」
「秘密裏には困難、と言うと他に手はあるのか?」
「はい。結界を破れば問題はないのですが…。」
「ないのですが、のあとは言いにくそうじゃのう。」
「翁を始め此花の手の者が戦い新羅の結界を張っている者を倒すことが唯一の方法にございますす。」
「え?瀬奈、ちょっとお待ちなさい。それでは翁の命が危険にさらされることはあるまいか?柊は宮に置きたいので使えぬぞ。新羅の結界を張っておる者がどれだけの力を持つのかわからないのであろう?」
「皇后様、、翁には申すな、と言われましたが…。」
瀬奈は声を落として言う。
「構わぬ。申してみよ。」
「はい。翁はこれほどの結界を張れる者なら自分より力は上であろうと申されました。しかしこの老いぼれの命のひとつやふたつ、讃良と大津のために投げ打つ覚悟はできておる、と申され…茉莉花様も翁のお気持ちはわかっているのでお止めしませんでした。」
朕は瀬奈の言葉に衝撃を受けていた。
大津を助けたい、でもそうすると翁の命が奪われるかもしれない。
そんな、、そんなことが。
朕にどちらかを選べと言うのか!そのようなことをできる道理がない!
かたや少女時代からずっと心に思う方で、かたやこのお腹を痛めて生んだただ1人の我が子である。
「瀬奈、もし、首尾よく事が運び翁が傷つくことなく新羅の結界が破れたらそのあとはどうなる?大津が逃げたことは新羅の者に周知の事実となるの。さすれば、新羅は攻めてくるであろうか?」
「私にはわかりませぬが翁の情報では新羅の軍船はすでに筑紫の沖から動き出したと言うことです。そして新たな軍船も3艘、あちらの軍港を出港したと。」
朕は軽いめまいを覚えた。
「ふぅ…。わかった。しばらく朕を1人にしてくれぬか?ゆっくり考えなければ結論は出ん。」
…皇后様、今は時間がないのです。早く行動に移さないと既に先手をとられておりまする!と、瀬奈は言いたかったが苦悩する皇后様を見てその言葉を飲み込んだ。


一方訳語田では…
「草壁、この邸を囲む霊気に気がついたか?」
大津様は草壁様に訊ねる。
「霊気なのか結界を張っておるのかわからぬが邪悪な気を感じる。」
「そうなのじゃ。ここは表向きには兵政官の兵で固めているが普通の人間には感じ取れない気で包囲されておるのじゃ。」
「何故、そちが結界を張ってあるとわかるのじゃ?」
「昨日新羅の闇の長が訪ねてきた。」
「それと川島に告発させたことと関係があるのか?」
「うむ。新羅はどうしてもこの国に攻め入る口実が欲しいのじゃ。訳語田を包囲しておいてから吾を拘束したことを高市様、叔母上に伝えようとした。吾が拘束され新羅に連れていかれるのを黙って見ているわけにはいかぬであろう、そうなればこの国と新羅との間で衝突が起きるという算段じゃ。うまく行かずとも吾の身を拉致すれば最悪吾を旗印として攻め入ることができる。じゃから先手を打ち川島に密告の役を担わせてしまった。この身が無くなれば新羅は手がなくなるし川島も一度気脈を通じてしまっているのでその身の安全と一挙両得を狙ったのじゃ。吾は愚かだからこんな戦い方しか思いつかなかった。草壁、そちからも叔母上に川島や行心、道作への寛大な処置をお願いしてもらいたい。みな、新羅の上の者に心惑わされただけのこと。この通りじゃ。」
大津様は草壁様に向かって深々と頭を下げた。
「吾は明日早朝に死ぬ。新羅の者へ見えるように石を詰めこの身もろとも小舟と沈める。もう内密に手筈は整えておる。」
「大津、母上は此花の里で大名児と生まれ来る子と共に生きることを望んでおる。」
大津様の表情が一変した。
「大名児が、子をみごもっておるのか?」
「母上がそう言うておった。」
「そうなのか、吾の子を大名児が!」
大津様はしばらく喜びをかみ締めていた。
「草壁、世の中悪いことばかりではないな。粟津もどうなるかわからぬがそれが吾の選んだ道じゃから覚悟はしておった。それが大名児の中に吾の血を受ける新しい命が宿っておるとは!頼みごとばかりで済まぬが大名児のこと、我が子のことをよろしく頼む。愛しき我が子が謀反人の子として生きていくのは忍び難い。ゆえにそちの子として育ててはくれまいか?」
大津様は必死の目で草壁様を見つめる。
「吾の子としてでは大名児も母上もご不満ではあるまいか?」
「いいや、これは吾の願いとして聞いてくれ。そちのところなら何も心配はない。謀反人の子ではその命さえ全うできるかどうか。」
…大津の気持ちは痛いほどわかる。母上が育てたいと申されても周囲が許さないであろう。
「よし、大津、そちの言うことはわかった。吾にまかせてくれ。」
「ありがとう。あとの、大名児には決して吾がいなくなっても悲嘆に暮れず子のことだけを思い生きてくれ、と。母を早くに亡くした吾の寂しさを一番わかってくれたのは大名児じゃ。子にはそのような思いはさせたくない。父はなくとも母が凛として生きている、それだけで子は良いのじゃ。母と言うその存在があるだけで安心できるのじゃ。」
草壁様は大津様の母が皇后様であることを告げるべきか考えていた。
ここで秘密を打ち明ければ大津は母上のために生きようとするのではないか。
「話が違う方向に行ってしまったの。」
草壁様の迷いを断ち切るように大津様が声をかけた。
「吾が此花の里に行けば平和な里が新羅に狙われ多くの人が命を落とすであろう。あの優しかった本当の爺のような翁にも、吾を命がけで救ってくれた柊にも迷惑をかける。吾は此花の方々が何故か他人とは思えないほど優しくて暖かくて好きなのじゃ。吾のために誰かが死ぬなど是非もない。」
「大津、その気持ちはわかるが母上や大名児の気持ちも察してくれ。」
大津様は草壁様の説得には何も答えず静かに口を開いた。
「さぁ、難しい話はこれで終わりにしようぞ。草壁、今夜が我が人生最期の夜じゃ。今宵は眠りたくない。語り明かさぬか?」
「おぅ。」
「そうじゃ、これ。今日家の者に頼み無花果を山の中より摘んできてもろうた。」
大津様は包みを広げる。
「無花果か、懐かしいのぅ。桑名で父上のお帰りを待っていた頃忍壁と3人で探しにいったの。」
「そうじゃ。覚えているか?無花果は叔母上の大好物じゃ。あの時も叔母上が喜んでくれたのが嬉しくての。母上がいらしたらこうやって小さきこともあのように満面の笑みで喜んでくれるのか?と思った。それまでは姉と2人、近江のミカドのところで肩を寄せ暮らしていたからの。」
「大津、そちは幼き時より苦難の連続じゃったの。」
…済まぬ。それは吾が甘受すべき運命なのに吾はいつも父上、母上に守られ生きてきた。
「それでの、これを叔母上に差し上げてほしいのじゃ。大津の感謝の念と伝えてくれ。」
と、大切そうに元あったように無花果を包む。
「しかと。」
それから2人はたくさんの思い出話に花を咲かせた。
このまま時間を止めることができたら、と念じていたが時間は止まらずに無情にも夜は確実に時間を刻んだ。  


Posted by jasmintea♪ at 10:53Comments(0)小説

2007年09月17日

血の絆

大嶋が退出したあと誰もいなくなるのを待ち兼ねたように草壁が入ってきた。
顔を見た朕は驚いた。目に涙を浮かべ憔悴しきった表情だ。
「草壁、如何した?」
「母上、大津の運命は吾の運命だったのに申し訳ありません。」
朕は驚いた。
「草壁!そなた!」
草壁は大津と入れ替わっておることを知っていたのか!
「母上、お願いの儀がございます。吾が大津であることを公にして下さい。そしてその罪は吾が購います。長い間大津から母を取り上げていた償いにございます。」
「待ちなされ。今、大津を逃がす準備をしておるゆえもう少し朕に時間をおくれ。軽挙な振る舞いはなりませぬ。」
草壁は唇をかみ締めたまま下を向き黙っている。
「草壁、朕は2人とも愛し子として同じように大切に育てたつもりじゃ。朕とお姉様は一心同体であった。その姉上のお子は自分の子と同じ。どちらも大切な大切なタカミムスビ神からの授かりものなのじゃ。」
「はい…。」
「朕はどちらも失わない。必ず大津を説得し此花の里で大名児と生まれてくる子と3人で暮らせるようにする。じゃから、そなたも待っていておくれ。」
「母上…」
朕は男性にしてはひ弱なその体を眺めながら草壁の気を落ち着かせるように髪を撫でていた。
この髪の柔らかさも、細く儚げな肢体も、人への優しさも、芯の強さも何もかもがお姉様にそっくりじゃ。
それに比べ大津はガッシリとした体躯で意思が強そうな目を持ち、闊達にしてはいるがその内には弱さを秘め外見も内面も朕に似ておる。
お姉様と草壁、朕と大津。タカミムスビの神は皮肉な運命を与え給ふたものじゃ…。
「誰か、阿閉をここに呼びなさい。」
「はい、ただ今」
「草壁、そなたは氷高と軽の大切な父です。そしてそなたは我が父祖石川麻呂と母上に連なる葛城の血を受け継ぐ大事な御身、簡単に命を縮めてはなりませぬ。大津のことは心配せずとも良い。阿閉と嶋の宮にお戻りなさい。」
「…母上、吾は訳語田に行き大津を説得したいのです。お許しを頂くために参上しました。」
目をあげた草壁の顔は先程までと違い力強い意思を持ち言葉には力がこもっている。
…タカミムスビの神が草壁を大津の元へやるように言っておるのか。
ならば大津を説得できるのは草壁しかいないのかもしれない。
「わかりました。今すぐに輿を用意させましょう。」
「いいえ、人目につかない方が良いでしょう。吾のことはご案じ召されるな。では。」
と、草壁は部屋の戸を開けずにそのまますり抜け出て行った。
草壁を見送りながら朕はふと疑問を感じた。
何故、神の言葉を聞けない普段の草壁が大津と入れ替わっておることを知っていたのか?
もしや、記憶が混在してきているのか?
草壁もそろそろ姉上が亡くなられた年齢に近づいている…
朕は言いようのない不安な思いを抱いた。


訳語田は形容しがたい邪悪な霊気に包まれていた。
何故こんな霊気がここを支配しているのであろう?
誰が発する霊気なのか?まさか新羅の闇の者が結界を張っておるのか?
大津は邸の1部屋に兵政官の兵により拘束されていた。が、部屋の中での見張りはついていない。
吾は大津の後ろから声をかける。
「大津。」
大津は振り向きもせずに
「草壁、よく来てくれた。待っておったぞ。」と言った。
「そちはいつも子供の頃から吾が困った時はどこからともなく来てくれた。あの大津宮で迷子になり帰ることができなくなり立ち往生した時もそちが迎えにきてくれたの。あの時は叔母上に心配をかけた。」
「そんなこともあったの。ミカドや父上は大事ないと言うのに母上は伴もつけず1人で探しておられた。母上を見るに見かね吾はそちを探しに行ったのじゃ。」
「あの時のそちの腕は暖かじゃったの。」
大津は遠い子供の頃を追憶していた。
「我らは同じ日に同じ星の下に生まれしもっとも血の濃き兄弟。母上や父上にも我らの不思議な繋がりはわからぬ。」
「そうじゃの。草壁、そのそちに頼みがあったのじゃ。」
「うむ。そちの吾を呼ぶ声が聴こえた。」
大津はニッコリ笑った。
「念じればそちに届くと思うておった。」
「そちの話を聞く前に何故こんなことになったのか先に教えてくれぬか?何故1人で罪を被ろうとする?何故川島に友を告発する役を与えたのじゃ?」
吾の問いに大津は目を丸くし
「そこまでわかっておるなら話すことはもうないではないか。」と言う。
「いいや、そちの言葉できちんと聞き真実をハッキリさせなくては母上や大名児はこの先、生きてはいけぬであろう。」
大津はしばらく母上と大名児の面影を追うように虚空に視線を泳がせていた。
「そちの言う通りじゃ。草壁、吾の話を聞いてくれるか。」
大津はゆっくり話し始めた。  


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2007年09月13日

2人の証言

内安殿に着くと既に高市の他に主だった諸王・群臣が集まっていた。
これだけの人の前で大津に不利なことを証言されたら引っくり返せるのであろうか?
訳語田の大津の邸で謀議が繰り広げられたのは事実なのじゃ…。

「川島皇子、皇后様の前で今一度証言せよ。皇后様はスメラミコトのお声を聞くことができる。嘘偽りは偉大なる亡きスメラミコトに対する叛逆であることを忘れずに心して証言するが良い。」
高市が凛としたよく通る声で告げた。
「私、皇子川島は亡きスメラミコト、皇后様、高市様に嘘偽りは申し上げません。」
「よし、証言せよ。」
「9月23日、訳語田の皇子大津の邸に集まりし30余名、名前は先ほどの供述とおり、は、武力を以って大津をスメラミコトにせんことを計画し、みなが志を一にすることを誓いました。」
おおっ!
内安殿の中にどよめきが広がる。
「美濃に既に大津の舎人、礪杵道作が集めた武器がございますので、先のスメラミコトの先例に倣い一旦美濃に逃れ行心を新羅との連絡役とし、支援を受け決起することとしました。」
新羅の支援だと?この国を新羅に売る気か?驚きと怒りの声が沸き上がる。
…川島、何を言う、みなを煽動したのはそちで大津は何も言わなかったでないか!何が目的でこんな証言をするのじゃ?何が望みなのじゃ。これ以上の証言はすべてが大津の責任にされ取り返しがつかないことになる。止めなくては。
「高市!」
「はっ。」
「川島の証言はわかった。兵政官長藤原大嶋を呼んでくれ。」
「兵政官長藤原大嶋、ここに。皇后様のお召しじゃ。」
人を掻き分け大嶋が出てくる。
「はっ。藤原大嶋にございます。」
「兵を出し訳語田を囲み大津皇子に川島皇子の証言を伝え糾明する任を与える。同時に川島の証言した30余人を拘束せよ。逮捕ではない。自発的に出御を促せ。」
「かしこまりました。」
「高市、大嶋が戻るまで一旦散会としましょう。」
「皇后様のお心のままに。」と、頭を下げ一同に向かい告げた。
「皆の者、兵政官長藤原大嶋に大津皇子謀反の件の尋問を任じた。藤原大嶋がその任をまっとうするまでここは散会とする。」
と宣言し朕と高市は退出しその場はお開きとなった。


大津に尋問に行った大嶋の帰りは思いの外早かった。
「ご苦労であった。如何じゃ?」
「皇后様、大津様は川島様の証言を全面的にお認めになり速やかな処分をお望みにございます。」
「……」
「罪は吾にあり、新羅僧行心と我が舎人道作以外は謀議にも加わっていない、9月23日の件は酒を過ごして盛り上がりそんな話も出たがあくまで酒宴の席でのことでみなに罪はない。行心と道作も吾の死を以って罪一等を減じて頂けるようにと皇后様と高市様に嘆願されております。」
大津、、予想はしておったがやはり…。
「そして声を落とし、『これは新羅の揺さぶりである。この身の奪還などと称し兵を出す口実を与えてはならない。重ねて速やかな処分を望む。』と、申されました。」
重苦しい沈黙が流れた。
2人とも口を開くことができず押し黙っている。
黙っていることに耐えかね先に口を開いたのは大嶋だった。
「皇后様、川島様は万人の前で大津様謀反を証言しました、謀反の証拠もある、そして大津様も全面的に認め処罰を望んでおられる。このうえは国家反逆の大罪を処罰しないわけには参りません。もし、皇后様が大津様をお救いになりたいと思し召しなら道は2つ。1つは道作がすべての責任を負い大津様は減刑とし流刑とする。しかしこれは大津様が承知されませんでしょう。あと1つは死罪を命じ刑を執行したこととしいずこかへ逃す。ただこれも大津様がご承知下さるかは…。ただ2つ目しか方法はないように思われます。」
朕は長いため息をつき目頭を指で押さえながら
「大嶋、奥の朕の部屋に行き柊に伝言を頼みたい。」と言った。
「翁に訳語田から此花の里までの道が安全か調べてもらいたい。新羅の者に大津が生きていることを気取られてはならぬ。」
「はっ。」
「雨乃に聞こえるように柊に伝えておくれ。柊はその場で情報をまとめ連絡には瀬奈を使うようにと。それと志斐に瀬奈の代わりに雨乃の近くにいるようにと。そのあと高市のところに行き大津の証言だけを報告しておくれ。」
「はっ。では早々にいってまいります。」と、大嶋は急ぎ足で出ていった。   


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2007年09月10日

謀反発覚

菊千代様…
しばらくぶりに会ったその人の面影を目の中に浮かべていた。
久方ぶりの出逢いはこんなにも心を揺すられるものなのか。
10年ぶりの逢瀬だったのに以前とどこも変わらず精悍で男らしかった。いえ、以前よりお若くなった気がする。
それに比べ朕は年を重ねた。皺も増え肌は乾き、体には肉がついた。
恥ずかしさに身を隠したいほどであったがそれより少女時代から愛しく想う人を見つめていたかった。
翁…

朕はふぅと大きなため息をついた。
「皇后様、お疲れではありませんか?」
雨乃が優しく尋ねる。
「そなたこそ柊の看病で疲れたのではないか?ご苦労であったな。」
柊はやっと普通の生活に戻られた。
鍛え抜いた強靭な体で、手早い処置があったから助かったものの回復するのに1週間もかかってしまった。
もし、大津に命中していたら、、そう思うと肌が粟立つような思いである。
朕は改めて翁と柊に感謝をした。
「喪が終わり謹慎がとけ、早く大津が迎えにきてくれると良いの。」
「はい。」
頬を染め嬉しそうに返事をした雨乃は初々しい。
子ができておることをもう気がついているのだろうか?

「皇后様、お話中失礼します。大嶋殿が火急の用件で目通りを願い出ております。」
志斐が告げた。
「すぐに通せ。」
大嶋は息せき切って入ってきた。
「大嶋、そのように慌てて如何した?」
「皇后様、大変でございます。先程川島様が…」
川島の名が出た途端に朕は悪い予感がした。
「川島がどうしたのじゃ?」
「先程高市様のところに大津様ご謀反の証人として出頭されました。」
朕と雨乃は顔を見合わせた。
「何ですって。大津の謀反の証人とはどういうことじゃ!」
「長年の友を告発するのは忍び難いが国家の一大事なので決意したと先般の訳語田での決起の様子と美濃での武器の隠し場所を詳細に書いた図を持ち大津様ご謀反を証言致しております。」
「高市は?」
「急ぎ皇后様にお出まし頂き指示を仰ぎたいと。」
「すぐ参る。大嶋、大津の安全のため訳語田を兵政官の兵で囲む。急ぎ準備をしておくれ。」
「承知致しました。」
「高市に今すぐ行くと先に伝えるように。」
「はっ」
大嶋は入ってきた時と同じように慌しく出ていった。
その慌しさが事態が深刻なことを物語っている。
大津が謀反とすれば己も同罪なのに何故川島が証人として訴えでたのじゃ。
長年の友?忍び難い?何を言っておるのじゃ。何が目的じゃ。
「雨乃、心配は無用じゃ。すぐ戻るからここで待っていておくれ。良いな。」
朕は顔が青ざめ突然の事態に困惑している雨乃を安心させるよう語りかける。
その雨乃の様子を見た瞬間に以前翁の占の話をした時の柊の言葉が稲妻のように甦った。
『あの娘は遠くない未来に絶望し自ら命を絶とうとするだろう。その時がきたら迷わずみぞおちを叩き気を失わせるように。』
まさか、まさか、これが翁の占か。考えたくはないが視野に入れなくては…。
「そうじゃ、雨乃。1人で待つのは寂しかろうから柊を呼ぼう。志斐、柊を呼んでおくれ。」
「かしこまりました。」
朕は柊がくるまでの間、念入りに化粧をした。
眉を三日月の形に意思的にキリリと描き、紅を差す。
誰にも侮られてはならぬ。大津は朕が守る、そんな強い意思を化粧に込める。
ちょうど化粧が終わる頃柊が到着した。
「柊、ちょっと急ぐので歩きながら話しをしたい。雨乃、心配することはない。ちょっと行ってくるからの。」
「はい。いってらっしゃいませ。私のことはご心配なさらずに。大津様をよろしくお願いいたします。」
と、深々と頭を下げた。
どれだけ不安じゃろうに朕を安心させるように青ざめた顔に微笑を浮かべている。
朕は目で返事をし、部屋の外に出て雨乃に聞こえない場所に出、
「柊、さっき大嶋がきての、大津の謀反を川島が証言するために出頭したと言うのじゃ。とりあえず瀬奈を使い翁に知らせておくれ。」と指示をした。
「はっ。」
「やはり川島だったの。」
「…」
「そんなことはないとは思うが以前そちが言っておった翁の言葉が気になり呼んだ。雨乃から目を離さないように頼む。翁への連絡が済んだら瀬奈もそばに置いておくれ。」
「かしこまりました。雨乃様のことは吾におまかせ下さい。それより皇后様、皇后様は大丈夫にございますか?」
「柊、気遣いありがとう。大丈夫。朕は何があっても大津を守る。たった1人の愛し子じゃからの。雨乃をよろしく頼みます。」
皇后様は戦場に赴くように正殿内安殿に向かった。  


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2007年09月08日

杞憂と安堵

その夜、大津様を訳語田に送った翁が柊の見舞いに宮を訪れた。
翁が宮を訪れるのは初めてで皇后様は「翁に会うのは10年ぶりかしら?」と、心なしかウキウキしているように見えた。
「翁をお連れしました。」
瀬奈がいつもよりくぐもった声で案内した。
「讃良、久方ぶりじゃの。」
翁は茉莉花様の前だと鼻の下が伸びて子供のようにフニャフニャ甘えたり、年寄りぶってダダをこねたりするが茉莉花様以外のところでは相変わらずの精悍な顔つきに男らしい容貌、闊達な喋り方でホントに素敵だ。
皇后様は穴があくほど翁を見つめていた。
「此度は柊が世話になった。礼を申す。」と頭を下げた。
皇后様はまだ翁をウットリと見つめている。
「皇后様…」
「え?」
「あの翁が柊を看たお礼を。」
「あ、こちらこそ大津を助けて頂き感謝しています。」
翁は柊の枕元に行った。
「具合はどうじゃ?茉莉花がよく持ち堪えたとそちの生命力に感心しておった。本当は助かるかどうか見込みは半々だったそうじゃ。」
「雨乃様に看て頂いたおかげです。」
吾は甘美な幻覚を思いだし心がときめいた。
翁は私に近寄り「雨乃に柊を託した茉莉花の判断は正解だったようじゃ。よく看てくれたのぅ。感謝するぞ。」と頭を撫でてくれた。
「はい。でもまだ水しか飲めませんし、起き上がることができません。これからも真心を込めて看病します。」
「頼んだぞ。良くなったらまた2人で此花の里にくるが良い。」
「はい!」
「讃良?どうしたのじゃ?いつものそなたらしくないが、大津のことが心配か?」
翁は皇后様の顔を覗き込み優しく訊く。
「いえ、何でもありません。」
…まったく翁は他のことはよく気が廻るくせに鈍感だ、女心と言うものがわからないらしい。
「ならば良いが。」と言いながら椅子にドカっと座った。
「雨乃、讃良もまぁ座りなさい。」
「のぅ、讃良、どうして新羅は大津を狙ったのだろう?あやつらは間違いなく頭の指示で大津を狙った。それもただの小刀ではない。毒殺できる威力があるのじゃぞ。」
「翁…」
「何じゃ、柊?」
「前夜の大津様と吾の会話を新羅が聞いていたとしたらどうでしょう?」
「大津が意のままにならぬと新羅が初めてわかったと言うことか?」
「でも讃良、それがわかっても大津がいなければ新羅は動けん。」
「いいえ、たとえば誰か新羅の意のままに動く第2の皇子様がいたらどうでしょう?」
「川島…」
皇后様は呟いた。
「ほぅ、讃良と柊の考えが一致したようじゃな。」
「川島と言う持ち駒が増えたことがどんな影響があるのでしょうか?」
「それは儂にもわからん。これで新羅が大津を諦めてくれれば良いがそう簡単に行くのか。」
「大津の身がこちらの手にある限り新羅も手出しはできぬであろう。」
「うむ。」
…こんなにも容易く占が変わるのじゃろうか?
翁はまだ何か引っ掛かるものがあるようだったが言葉を飲み込んだ。
この時、私も皇后様も大津様はもう大丈夫だと信じて疑わなかった。
翁の杞憂だわ。これで謹慎処分がとけ、喪が明けたら大津様が私を迎えにきてくれる!
翁は心配性じゃ。これで大津と雨乃が一緒になり待望の子が生まれこの腕に抱くことができる!

まさかこの日から1週間とちょっとで大津様の命が消えようとは翁さえ予想がつかなかった。  


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2007年09月05日

甘い幻覚

「よし、ここまでくれば安心であろう。」
「翁、ありがとうございます。」
「話はあとじゃ。茉莉花、すぐに柊を診てくれ。」
「茉莉花様!」
翁はこんな場面も想定し薬師として有能な茉莉花様を待機させていたのだ。
茉莉花様は柊の傷口と翁が持ち帰った柊に当った小刀を見ていた。
「どうじゃ?」
「翁の心配したとおり切先には毒が塗られています。今すぐ傷口を開き毒を吸い出さないと危険です。」
「うむ、頼む。」
茉莉花様は持ってきた道具の中から消毒用の酒や手術用に使う細く鋭利な小刀を出し準備をしている。
「猪木、力、しっかりと柊を押さえていて。」
テキパキと指示を出し傷口を開き柊の毒を吸い出す。
柊はうめき声をあげながら痛みに耐えていた。
「終わりました。これで大丈夫です。が、これから高熱が出て毒の影響で幻覚が出てくるでしょう。」
「わかった。力、そちはくぅを使い柊を連れ宮に戻り讃良に報告をしてくれ。」
「はっ」
「翁、皇后様は大津様の御身を確保したあと伊勢神宮に向うよう指示されております。」
呻きながら柊は言った。
「ほぅ、謀反など関係ない、姉に会いにいっただけとするのじゃな?讃良の考えそうなことじゃ。」
「吾も一緒に参ります。」
「何を言う、そちは喋るのがやっとではないか。足手まといじゃ。」
「柊殿、吾を庇ってこのようなことになり申し訳ない…。」
今まで黙って成り行きを見ていた大津様が青ざめた顔で初めて声を発した。
「大津様、至らなかったのは吾です。吾が甘かったため危険な目にあわせ申し訳ございませんでした。」
「そうじゃ。大津様のせいではございません。申し遅れました。初めてお目にかかります。此花一族を束ねておる菊千代と申します。このような爺なのでみなは翁と呼んでおります。」
「あなた様が翁にございますか。大名児から話は聞いております。大津と申します。」
「大津様、話もそこそこで申し訳ありませんが出立いたしましょう。長く留まるは危険、話は道中にて。」
「翁、皇后様は姉上様にお会いになられ1泊して戻ってくるようにと。」
「わかった、そちは心配せずとも良い。讃良の考えることはわかる。力、良いな、儂が直接大津様を送り伊勢に行ったと讃良に伝えてくれ。あともうひとつ、もし柊の意識が朦朧としていたら大名児を頼れ。皇后の部屋の采女の大名児じゃ。その下に瀬奈がいるから風通しが良かろう。わかったな。」
「かしこまりました。」
「茉莉花、1人で返して済まぬが先に戻り待っていてくれ。」
大津様の前でも翁はいつものように口づけをした。
「では我らは先に出立する。猪木、辰巳行くぞ。大津様、馬を用意しておりますのでお乗り下さいませ。」
柊と力を残し翁、大津様、猪木、辰巳の4人は伊勢へと向った。

「柊!!!」
白く透き通るような肌の娘は輿から飛び降りると転びそうになりながら駆け寄り柊の手を握った。
「何てひどい熱…。急ぎ輿に乗せ私の部屋に運びましょう。」
「大名児様の部屋にですか?」
「そうです。このような時です。かまいません。」
「承知しました。」
この娘が噂の大名児か。
大津、草壁の2人の皇子様の心を捉え、猪木の話によると柊も想っておるようじゃ、と言う。
もっと妖艶な色香漂う女子かと思うておったがほんの小娘じゃないか。
しかし今の光景を見ると見かけのなよやかさと反比例してしっかりとした意思を持っているように見える。
部屋についたあとも必要な物を持ってくるようにテキパキ指示をしている姿が先ほどの茉莉花様と重なった。
柊の額と腋の下に冷たい水でしぼった布をあてながら
「力、と言いましたね?皇后様は殯の最中ですが私が柊に何が起こったのか聞いて良いですか?」と聞く。
吾は新羅の闇の者に襲われたこと、大津様をかばい柊が負傷したこと、翁が助けてくれたこと、小刀には毒が塗ってあり茉莉花様が吸いだしたものの高熱が出て幻覚を見ること、大津様と翁は伊勢に向ったことを告げた。
娘は大きくため息をつき「力、ご苦労様でした。柊を運んでくれてありがとう。あとは私が看病しますがあなたは翁のあとを追い伊勢に行った方が良いのかしら?それともここにいて構いませんか?」と訊ねた。
どうもこの娘は話し方が普通の女子とは違い調子が狂う。
それにこんなにいかつい傷だらけの吾を見てもちっとも怖くはないようじゃ。
変わった女子だ。
「吾は瀬奈を通し連絡をもらうゆえお気になさらずに。」
「何か暖かいものでも用意させますから。」と言う小娘の言葉を無視し、柊をまかせ早々に宮を出た。

柊は冷たい水で絞った布がすぐに乾いてしまうほどの高熱だった。
毒が完全に体から抜けるまで熱は続くのだろう。
体を冷やそうと何度も何度も布を換える。
脱水症状にならないよう水を飲ませたいが受け付けない。
私は自分の口に水を含み柊の口にあてた。
そっと水を流し込む。
柊は水が入ってくると反射的に飲み込んだ。
良かった。飲んでくれた!2度3度繰り返すと少し呼吸が楽になったようだった。

吾は混濁する意識の中で雨乃様と口づけをする夢を見ていた。
茉莉花様が言ってた幻覚とはこんなにも甘く優しいものなのか。
鬼や蛇が出てくるのが幻覚だと思うておった。
この甘美な夢のためなら苦しさも悪くはない、と苦笑していた。
雨乃様の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
幸せな幻覚だ、吾は夢の中で自分の気持ちを伝えるように思いきり愛しい想い人を抱き締めた。
雨乃様…

私はいきなり柊に抱き締められていた。
柊…
声をかけるが息遣いは以前として荒く苦しそうで意識は朦朧としている。
これでは布を代えられないわ、と腕をほどこうとするが私は動けないくらいしっかりと抱き締められていた。
そっと顔を窺うとこんなに苦しそうなのに微笑を浮かべているようだ。
何か幸せな夢でも見ているのかしら?
私は腕をほどくのを諦め柊の腕に体をまかせていた。

あぁ、雨乃様を我が腕に抱きとめている。
吾はその感触と甘い香りに安堵し深い眠りへと落ちていった。

目覚めた時、皇后様と雨乃様が吾の目に飛込んできた。
慌てて起きようとしたがめまいに襲われその場で手をつき上半身さえ起こすことができない。
「柊!」
雨乃様が吾を支えながら寝かせてくれた。
「まだ無茶をしてはいけないわ。体の中の毒が抜けきっていないのよ。」
雨乃様に体に触られ体の芯から熱くなった。
心の臓の鼓動が聞こえはすまいかと戸惑った。
その間合いから救ってくれるように皇后様が声をかけてくれる。
「柊、大津を助けてくれてありがとう。朕はそなたに感謝します。」
「皇后様、大津様を助けたのは翁です。翁が助けて下さらなかったらどうなっていたことか。吾が至らずに申し訳ございませんでした。」
「いいえ、そなたが身を挺して大津を守ってくれたことを朕は忘れません。大津は此花の皆様に救って頂きました。日が暮れる頃には戻ってくるでしょうが無断で殯を欠席したので謹慎させます。外部との連絡も遮断します。」
皇后様はふぅとため息をつきにっこり笑った。
「これで大津の身を確保できました。柊、改めて礼を言います。」
皇后様は深々と頭を下げた。
「そなたは一昼夜寝ていました。今は養生専一にしておくれ。そして早く回復しまた朕の力となって下され。」
「皇后様、身に余る光栄でございます。」
「それからそなたには迷惑やもしれぬが雨乃が自分で看病すると言い張って聞かぬのじゃ。良くなるまでしばらくそばに置いてやってくれぬか?」
「ありがたきこと。」
と、お礼を言いながらまた吾は眠りの中に落ちていった。  


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2007年09月01日

小競り合い

朕がまだ早いと自分の心に言い聞かせつつ喜びをかみ締めていた頃柊は大津と会っていた。
「大津様、柊にございます。」
柊は暗闇に向かい名乗った。
星ひとつなく漆黒の闇が空間いっぱいに広がっている。
「ようきて下された。」
柊は相手には見えない闇の中で声の方向に頭を下げた。
「今日の訳語田での出来事は伝わっておるか?」
「はい。」
「ならば話が早い。吾は明朝早くに訳語田を出て山の奥深くに入り自害するつもりじゃ。」
「自害ですと?」
柊は息を飲む。
「吾の気持ちは以前大名児に話したとおり変わりはない。それでそちに頼みたいことがあるのじゃが吾の命と引き換えに他の者の処罰を見送って頂けるよう皇后様にとりなして頂けぬか?」
と、丁重に訊ねた。
柊は闇の中の人物を説得するように、
「大津様、何故生きようとなさいませんか?あんなに一途に大津様を想っておる大名児様を置いて死を選ぶなどと。名を棄て生きることをお考え頂けませぬか?」と迫る。
「いいや、名を棄てても新羅はあきらめぬであろう。吾は皇后様の敵となりたくはない。それに新羅の目を逃れたとしても吾だけが助かり道作や行心が罰を受けるのは是非もない。」
「そのようにご自分を追い立てられて…。大名児様は大津様がいなくなれば自ら命を絶とうとされるやもしれませぬ。それに謀反でのご自害となればお子にも罪が及ぶでしょう。それでも構わぬとおっしゃるのですか?」
大津様は下を向きちょっと思案して顔をあげた。
「柊殿、そう吾の心を揺さぶることを言うてくれるな。吾は悪い父親じゃな。我が子のことより大名児のことばかりを心配しておる。柊殿、頼む。そちのその暖かで一途な想いで大名児の心を癒して下され。」
…大津様は先般の短いあいさつ程度の話の中で吾の秘めた思いを見抜いたのか。
「大名児に生きて叔母上に孝養を尽して欲しいと伝えて下され。来年の山田寺の法要は吾の代わりに叔母上に付き添ってくれと。では、皇后様によしなに。」
大津様は自分の伝えたいことを言い終えると暗闇の中に溶けていった。

柊は急ぎ戻り帰りを待ち兼ねていた皇后様に報告をした。
皇后様は大きくため息をつき
「ここまで切迫してしまえば仕方がない。大津の身の確保を一に考えましょう。」と言った。
「承知しました。」
「先般の打合せとおりよろしくお願いします。すべての責任は朕が持ちます。」
柊の背を見送りながら朕は不安な思いに揺れていた。
大津の身柄は確保できるのだろうか?命の危険はないのか?
万一戦闘状態になってしまったら新羅はどう出るだろうか?
明日に大津と雨乃と小さな命の命運がかかっておる…。
朕は自分では何も出来ないことに歯がゆさを感じながら明日が無事に過ぎることをタカミムスビの神に祈っていた。

次の日、大津様は早朝に訳語田を出た。
柊は此花の手の者4人で大津様に気がつかれないよう遠めにあとを追っていたが、いつのまにか新羅の闇の者に囲まれていた。
「柊、相手は10人ほどだ。」
「よし、3つ数えたのち吾は木の上に跳ぶ。吾のあとを追い跳んだ者を下から辰巳が狙え。吾はそのまま大津様の警護をするからあとは猪木と力にまかせるぞ。行くぞ。1、2、3!」
柊が木の上にハラっと跳んだのを見てあとを追い新羅の闇の者も跳ぼうとする。
跳ぶ瞬間の足を狙い辰巳が小刀を投げる。
弓矢、小刀、手裏剣を投げれば百発百中の辰巳が次々と命中させ相手の動きが止まった隙を狙い筋肉質で体が大きいが動きが敏捷な猪木と力が的確にパンチを繰り出し相手を失神させていく。
不利な戦況を見て相手の1人が何やら叫んだ。
「よし、あいつが頭だ!辰巳、ヤツを狙え!」
猪木が指示を出し辰巳の小刀が声を発した人物に狙いを定めたその時、相手方の中の1人が大津様に向かい走り出した。
…何をする気だ?
柊は?と猪木が位置を確認しようとした瞬間男は胸の中から小刀を取り出しはずみをつけ大津様をめがけて投げた。
シュッ!
危ない!何故新羅の者が大津様に小刀を投げるのだ!
吾は瞼の中に雨乃様の涙に濡れた目が浮かんだ。
…雨乃様!
吾は懸命に大津様の体を隠し自分の体が盾になるように飛び込む。
ズン!
刀は僅かの差で柊の肩口に命中した。
柊!と猪木の叫ぶ声、何ごとか次の指示を出す新羅の頭、戦況が変わると見て喜んだ新羅の闇の者達の声、
いつも閑静な森の中は異様な雰囲気に包まれた。
その時、
『目を閉じろ』
と、声が聞こえた。
いや、正しくは声はしていない。心の中で声が聞こえたのだ。
翁だ!翁の声だ!翁が助けにきてくれた!
柊達4人は翁の指示通りに目を閉じた。
その瞬間にまばゆいばかりの閃光がきらめく。
チカッ!
「よし、今だ!」
光のために一時視力を失った新羅の闇の者は猪木と力のパンチを受けうめき声を発し倒れこみ、もう一度小刀を投げようとしていた男には辰巳の刀が命中していた。
「よし、相手が動けぬ間に急ぎこの場を離れる。力、大津様を背負え。儂についてまいれ。」
吾らは翁のあとに続き疾風のように森の中を駆け抜けていった。  


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2007年08月29日

兆し

その場にいた博徳より柊を通し決起の状況は皇后様に伝えられた。
「どうやら川島は新羅の意を受け行心と繋がっておるようじゃの。」
「御意。」
「自らは安全な場所に身を置き大津を担ごうとするとは、何たることか!」
皇后様の声は怒りで語尾が震えている。
「どうせ大津様の次は川島様に、とか持ち上げられたのであろう。」
と、吐き捨てるように言ったその時、
「恐れ入ります、皇后様。瀬奈が柊に急用があると申しております。」
と、志斐が声をかけた。
「通せ。」
不愉快な声音を残しながら命じる。
「皇后様、お話中に申し訳ございません。」
「挨拶は良い、先に柊への用件を述べよ。」
瀬奈は一礼して柊に向き直り
「先ほど訳語田を見張っている者から連絡がきまして大津様が外へお出になり『大名児のところにいる柊殿に話があるのじゃが。』と、つぶやくように申されました。」
意外な展開に皇后様は腰を浮かしながら柊に尋ねる。
「何じゃと?柊、大津と面識はあるのかえ?」
「はい。此花の里から帰ったあとに雨乃様に紹介されました。もし、自分や皇后様に直接連絡をとりにくくなった時は夜中にそっと外へ出て柊の名を呼ぶときてくれる、柊は私や皇后様にちゃんと用件を伝えてくれるから、と申されまして。」
「その時の話を大津が覚えておったのか…。」
「そうだと思います。」
「柊、済まぬ。今より急ぎ行き大津の話を聞いてきてくれぬか。」
…吾は皇后様のお気持ちが痛いほどわかった。
頼まずともご命令下されば良いのに遠慮なさっている。
「急ぎ行ってまいります、では失礼を。」
柊はすぐに訳語田へ向かった。

一陣の風を残し柊が立ち去った部屋の中では瀬奈がまだ佇んでいた。
「あの、皇后様、ちょっとよろしいでしょうか?」
「まだ何か?」
「はい。はっきりとわからないのですが…」
瀬奈は言い淀んでいる。いつも簡潔にわかりやすく報告をするのに珍しい。
よほど言いにくいことなのかと気になり朕は気にせず何でも言うように話しかけた。
瀬奈は思い切るようにひとつ深呼吸をしたあと
「雨乃様は月のものが遅れています。あまり遅れる性質ではありません。それに最近は食が進まないようです…。」
と、一気に言った。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、瀬奈。雨乃は、雨乃は、子を身籠ったと言うのですか?」
「いえ、ですからはっきりとはまだ。何となくそうなのかな?と感じただけでございます。」
もはや瀬奈の語尾の方は聞いていなかった。
雨乃が子を!久しぶりに心浮きたつ思いがした。
抑えようとしても笑みが自然とこぼれてしまう。タカミムスビ神は朕の願いを聞いてくれたのじゃ。
「皇后様、私がはっきりしないことを思い切って申し上げたのは雨乃様の身が心配だからなのです。」
朕は天にも昇る心地だったのがいきなり冷や水を浴びせられ、瀬奈の顔を見つめ次の言葉を待った。
「最近の雨乃様は大津様のことで心労が重なり不安定になっております。お子が流れはしないかと私は気がきでなくて…。」
「雨乃は身ごもっていると気がついておるのか?」
「いいえ。たぶん今は大津様のことでお心はいっぱいかと。」
朕は考え込んでいた。
こういう時の女の勘は当たるものじゃ。瀬奈の言う通り雨乃は子を身ごもっているのだろう。じゃがまだ薬師に見せるには早い。
そうじゃ、確かに喜んではいられない、雨乃に、子にもしものことがないように細心の注意を払わなくては。
「瀬奈、思いきって知らせてくれたことを感謝する。そちの言うとおり取り返しのつかないことになって悔いても遅い。雨乃に大津のことを話す時は朕に相談をしておくれ。そして雨乃に変化があるようならそれも教えておくれ。」
「かしこまりました。それでは失礼いたします。」
「ご苦労であった。」
「ふぅ、男子は政争に巻き込まれるゆえ朕は雨乃に似たかわいい女子が欲しい。」と小さくつぶやいた朕の声を聞こえないフリをして瀬奈は退出した。  


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2007年08月25日

決起

朕はいつも我が子を案じ、見守ってきた。
雨乃に会うまでの大津はいつも寂しそうな冷めた目をしておった。
たくさんの人に囲まれ快活に振る舞いながらも立場を利用しようとする人の中で孤独で、誰も信ずることができぬようだった。
その孤独から大津を救ったのは雨乃。
雨乃と出会い、心より想いあうことで孤独が癒され、やるせないような目つきが柔和になりその頃から朕にも心からの笑顔を向けるようになった。
2人の幸せな仲睦まじい様子は微笑ましく周りで見ている者も和み、朕の心も変えていった。
報われない翁への想いを断ち切ることはできなかったが想いに捉われるよりも今、朕の周りの人を大切にしようと思うようになりその心の変化を大海人様が感じてくれたのかもしれない。
今の朕の唯一にして切なる願いは大津と雨乃の赤子をこの手に抱くこと。
我が子に注げなかった愛情をすべて愛しいものの血を分けた子に注ぎたい。
人々に謗りを受けようと、新羅と戦うことになろうと朕は大津と雨乃を守る。


訳語田に集まった人の中で一番に口を開いたのは川島皇子だった。
「大津、ここで決断をしないとこの先、命を狙われる危険があるかもしれぬ。」
「川島、何を言う!皇后様は吾の命を奪おうとなどなさらない。その物言いは皇后様に失礼だぞ。」
怒気を含んだ声で大津様が答える。
「いいえ、大津様そうではございません。スメラミコトが後継は高市様に、とおっしゃったのに今、政を執っているのは皇后様ではございませんか。越権行為も甚だしい。このままでは大津様の御身が心配、とおっしゃる川島様のお気持ちはわかります。」
中臣意美麻呂が口を挟む。
「そうでございます。皇后はスメラミコトの代弁者などと言い、高市様を政府の首班に据え置き後継をなかったことにするやもしれませぬ。そうすれば次に邪魔になるのは大津様です、何故皇后をお信じになるのか我らにはわかりませぬ。」
「吾も同感です。時間をおいてはなりませぬ。この際お父上の先例に倣いこの明日香を逃れ美濃に入り兵を出されては如何ですか?東国の豪族もあの壬申年の戦のように必ずお味方下さいます。」
「そうじゃ!それにいざとなれば新羅の力も借りることができるのではないか。さすれば軍事力では我が方が有利じゃ。」
「はい。我が新羅はすでに壱岐沖に軍船を2艘停泊させております。大津様の安全を確保するために小舟が1艘鳥羽に向かっており陸からは我が手の闇の者がすでに鳥羽に入っております。」
「おおっ、」
「新羅王はいつでも如何なる援助も惜しみませぬ。」
一際力強く大きな声で言った行心の言葉に一同はどよめいた。
場内を熱気が包む。
「我々は大津様の御為に決起しましょうぞ。方々、如何でございます?」
「おぅ、命が惜しい者は今すぐここから立ち去るが良い、後は追わぬ。」
「そうじゃ、そうじゃ!吾は残る!」
「吾も大津様のために!」
「命など惜しくはない!とうに大津様に捧げておる!」
各々が大津様への忠誠を口にしながら立ち上がっていく。
そして頃合を見計らったように川島様はおもむろに立ち上がった。
「方々、この川島、大津の莫逆の友として大津に代わり心より深く御礼致す。」と、深く頭を下げると今度は波をうったように静まり返った。
その異様な静けさの中、皆は川島様の次の言葉を待つ。
「大津登極の際は方々の忠心に篤く応えることをこの川島が約束する。方々の役割分担や細かいことは道作や行心と相談して連絡を致す。それでよろしいであろうか?」
「おうっ。」
川島様はずっと下を向いて押し黙ったまま座っている忍壁皇子様に視線を移した。
「忍壁は先ほどよりずっと黙っておるが何か不服でも?」
「いえ、兄も賛成にございます。」
本人が口を開く前にすかさず磯城皇子が答える。
壬申年の戦の折に大津様、草壁様、皇后様と共に桑名に残りスメラミコトの勝利を待ち同じ時間を過ごした忍壁様には大津様の気持ちがわかる。
…あの折も皇后様は分け隔てなく3人に接した。いや、むしろ母のない大津には一番慈愛の眼差しを向けていたようにも思う。大津の言うとおり皇后様が大津の命を狙うはずはない。
しかしこの異様な熱気はどうしたことか。誰も大津の意思を確認しようとしないではないか?
反対などしたら裏切り者としてこの場で殺されそうだ…。大津…。どうしたら良い?
忍壁様はそっと大津様を窺った。
2人の目が合い大津様は小さく首を振る。それを見て忍壁様は立ち上がった。
「忍壁も賛同してくれたの。ではここに集まった我らは1人の離脱もなく大津をスメラミコトとして戴くことをここに誓う。方々、勝利は我らが手に!」
「おぅ!!」
川島様が力強い言葉で締めくくったあと道作が深く頭を下げ興奮の中、決起の集いは散会した。
人々はヒーローになることを自分の中で思い描き「体制側との戦い」という美酒に酔っているが、その実は何も具体的な計画はなかった。
そんな中忍壁様はひとり大津様の胸中を思いやるようにいたわりの目を向けたが大津様は「気にせずとも良い。」と目で答えていた。   


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2007年08月18日

645年、乙巳の変から始まった日本の変革時期に壬申の乱を経て力により政権を奪取し強烈なリーダーシップを元に国家の礎を作った偉大なるスメラミコトが亡くなった。
発病してから時間があったので予想されたこととは言え、人々は次にどのような事態が起こるのか不安に脅えていた。
壬申年、白村江の戦の二の舞が起きないように、と、誰もが祈っている。
スメラミコトの御体は宮の南庭の殯宮に置かれ、2年3ヶ月に渡り鎮魂の儀式である殯が続く。
皇后様は悲しみに浸る暇もなく万一の事態を考慮に入れ、高市様と協議し高市様の即位の式は見送り皇后様が亡きスメラミコトの代弁者として有事の対応にあたることを決め、補佐として実際の政務は高市様が執ることとした。
これは高市様側から提案されたことで、大津様をめぐる新羅との外交関係など鑑み最後の決断を皇后様に委ねた形であったが、見方を変えれば高市様後継で決まっていたものを皇后様が横から我が子かわいさに奪い取った、とも見え、そう噂する者も多かった。
私はすべて自分で背負い込もうとする皇后様が心配でもあり、何よりもこの先大津様がどうなるのか心は揺れていた。
大津様はあれからどうしているのだろう?
あの折に話していたように美濃へ向かうのか?
新羅の動きは今、どうなっているのか?
愛しい人の身を心配して眠れぬ夜を過ごしていた。


「皇后様、訳語田に人が集まっています。」

スメラミコトの殯が始まって間もないある日、柊が飛込んできた。
皇后様はひとつため息をつき、小さく深呼吸をして反問する。
「誰が集まっておるのじゃ?」
「忍壁皇子様、磯城皇子様、川島皇子様、行心、中臣意美麻呂、博徳、臣勢…」
「馬鹿な!」
最後まで聞き終わらないうちに皇后様は席を立ち叫んでいた。
「先日高市が5人以上の集まりは届け出ること、殯は諸皇子、諸王、氏族の長は必ず出席のこと、殯宮では帯剣を禁じ、違反した者は反意ありと見て罰することを通達したばかりではないか。届け出はあるのか?」
「申し訳ありません。表向きのことはわかりません。」
「そうじゃの。それは史に調べさせる。朕が確認するゆえそちは次の連絡を待つように。」
「はっ、それともうひとつ。」
「何じゃ?」
柊は声を一段、落とし言ってはいけばいことを話すように小さな声で囁いた。
「新羅の小さな舟が動き出しました。」
皇后様は息を呑んだ。
「瀬戸内海を通るようですが目的地はわかりません。翁は盗人を装い襲撃するか、このまま様子を見るか皇后様のご判断を求めています。」
「襲撃したら新羅に口実を与えまいか?」
「新羅の舟とは見た目ではわかりませんし、盗人に襲われたのなら詮無きことのように思いますが翁もその心配をしており、大津様の御身の心配どちらをとるのか迷われています。」
皇后様は遠くを見つめ考えている。
…大海人様ならどうされるだろうか。
最後の責任がある立場とはこんなにも神経をすり減らし大変なことなのじゃ。
お疲れになっていたはず…、と朕はまた朱い鳥が翼を広げ飛んでいったときのことを思い出していた。
「もし、ここで襲撃すれば新羅の動きを加速するであろう。もう少し様子を見よう。」
「はっ。」
「しかし、訳語田に人が集まっていることと無関係とは思えん。よぅく見張りを続けてくれ。」
…大津が美濃へ向かうと言ってた日が近いのだろうか?
人が集まることも、殯に出席しないことも罰を科すと言っておるのに。
このままでは罪人になってしまう。どうしたら…
そうじゃ!
「柊、近う、もっと近う」
皇后様は柊を手招きし顔を近づけ何事か指示を与え、柊は一言一言にうなづいている。
「わかったの?」
「確かに。」
「よしなに。」
柊はそのまま皇后様の部屋を退出した。  


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2007年08月15日

星離り行き月を離りて

皇后様は突然の出来事に自失していた。
私は不思議な出来事に驚いていたが職業柄こういう時はしっかりとしてくる。
皇后様のお体に触れてはいけないことはわかっているが肩口を揺すってみた。
「皇后様、皇后様」
緩慢な視線で私を見
「雨乃、朱い鳥が…」と、呟いた。
「皇后様、スメラミコトはお亡くな…」
私が最後まで言わない間に皇后様は急ぎスメラミコトの口に手を差し出し呼吸をしていないことを確かめると「大海人様…」と、へなへなと脱力し座り込んでしまった。

草壁様は紫の光でスメラミコトに最期の力を与えたために気を失っていた。
「草壁様、草壁様」
草壁様は目をあけ微かに微笑んだ。
「雨乃、そなたのおかげで父上は母上に最期の言葉を残せた。礼を言うぞ。そなたがこの時代で果たす役割はたくさんあるのぅ。吾は少し休むが心配はいらぬ。」と、言い再び目を閉じた。

大嶋とずっと枕元についていた薬師は不思議な出来事に腰を抜かし呆けたように鳥が飛んでいった方角を怖いものを見るように見つめていた。
「大嶋、大嶋」
肩を揺するがまだ気がつかない。仕方がない…
「大嶋殿!」
私は軽く頬を叩く。
大嶋は夢から醒めたように「雨乃様、いや大名児様、、」ともぞもぞ口を動かした。
「大嶋、薬師を起こしてちょうだい。」
薬師も頬を叩かれ夢から醒めた。
「スメラミコトはご他界されたと思います。確認して下さい。」
薬師は慌ててスメラミコトの元へ行った。そして状態を確かめたあと
「スメラミコトご崩御。」と重い声で言った。
大嶋は息を飲み、横を向いた瞬間に倒れこんでいる草壁様を見つけた。
「大名児様、草壁様は如何されましたか!!」
「草壁様は力を使い果たし眠っておられるだけで心配ないとご自身がおっしゃっていました。」
安堵してため息を一つついたあと皇后様に声をかけるが返事がない。
私は皇后様の近くまで行き
「皇后様、史殿と柊を呼んで構いませんか?」と尋ねた。
皇后様は首をこっくりと下げた。
大嶋は部屋を出て部下に指示をし戻ってきた。

先に柊、続いて史が入ってきてスメラミコトに深々と礼をした。
「皇后様、あとのことは我らにおまかせ下さい。少し休まれたら如何でございましょう?」と、史は言ったが、それには答えずに
「雨乃、、」と、私を呼んだ。
「はい。」
「そなただけここに残り、他の者はしばし次の間で待っててくれぬか。」
「かしこまりました。」

皆が出て行くと皇后様は静かに話し始めた。
「朕は心の奥の一番大切な場所に翁への想いを封印し嫁いだのじゃ。いつか翁の腕に抱かれ共に泣き、笑い、翁を助けて生きる夢を無理やり忘れ心を無くし大海人様と接した。そんな朕の想いを大海人様はご存知だったのじゃな。朕には菊千代様だけ、とずっと思うておったのに、このやるせない気持ちは何じゃ?何故、朕は大海人様をわかろうとしなかった?この胸が締め付けられるような痛みは何じゃ?」
と、一気に話した。
「皇后様、積み重ねた年月は心を柔らかく溶かして行くのかもしれません。」
「雨乃…」
「私が見ていた皇后様はどんなに忙しくても毎日看病をされスメラミコトのために生きお幸せそうでした。」
皇后様の目は潤んでいた。
「私は次の間で皇后様を待っています。どうぞ、スメラミコトと最期のお別れを。」

朕は雨乃が出て行った部屋でスメラミコトの枕元に行き乱れていたお髪を丁寧に直していった。
大海人様は翼を広げどこに飛んでいったのだろう?
あなた、自由な世界で翼を休めて下さいね。
朕は大海人様のまだ暖かさの残る唇にゆっくりと唇を重ねた。

北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離りて   


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2007年08月12日

朱い鳥

その日は誰もがくることを予測していたものの、やはり突然の出来事だった。
9月9日、私は皇后様と夕食を頂いていた。
皇后様のお疲れを感じたあの日から私はなるべく皇后様の部屋で夕食を頂くこととなった。
最近は食が進まずこの日も目の前に並ぶ食べ物を見ていた。
そんな私を見て皇后様が口を開こうとした瞬間に誰の案内も乞わず草壁様が突然入っていらした。
「母上、父上がうのを呼んで参れと仰せです。雨乃も一緒に参れ。」と、有無を言わさず皇后様の手を握り歩き始めた。
私と皇后様は顔を見合わせた。
皇后様は草壁様の迫力に押され、
「草壁、わかりましたから手をお離し下さい。」と、言葉遣いが公式な場でもないのに丁寧だった。
草壁様は手を離し、
「では吾は先に参りますゆえすぐにいらして下さい。」と言い出ていった。
「雨乃、草壁はまたタカミムスビ神の声を聞いている…。」
「はい。皇后様、早く参りましょう。もしかするとスメラミコトが最期をお迎えで草壁様に呼び掛けたのかもしれません。」
私達は急ぎスメラミコトの部屋に向かった。
部屋の前には大嶋がいた。
「草壁は?」
「草壁様ですか?」
大嶋は何を訊かれたのかわからずキョトンとしている。
「先に草壁がここにきたはずじゃが…」
「おみえになっておりませんが。」
皇后様は大嶋の返事を最後まで聞かず部屋に入った。
スメラミコトの枕元には草壁様が座っていた。
大嶋は狐につままれたような顔をしている。
皇后様は草壁様の隣に行きスメラミコトを覗き込んだ。
「父上、母上が見えましたよ、よくお待ち下さいました。父上、母上ですぞ。」
草壁様はスメラミコトの手を握り話しかけた。
「うの…」
「大海人様!」
「済まぬ、吾はずっとそなたは菊千代の翁だけを頼りとし、吾のことは頼りとしていないと臍を曲げておった。」
…スメラミコトは朕の翁への想いを見抜いておられたのか。
「そなたに冷たくし続けた吾をよく看てくれたのぅ、最期にそなたと話がしたい、と願ったら草壁が呼んでくれたのじゃ。」
「大海人様。」
「うの、高市は壬申年の戦で吾の手足となりよう働いてくれた。その功に報いたいのじゃ、じゃが高市の次はそなたの好きなように致せば良い、あとはすべてそなたに託す。うっ…」
「大海人様!もうお話はしなくてもお気持ちはわかりました。無理をなさらないで。」
その時草壁様の体が紫色に光を発しその光はスメラミコトの中に流れていった。
「うの、朱い鳥の翼の歌を歌ってくれ。」
皇后様は一瞬の驚きのあと私を振り返り「雨乃、この前の歌を!」と促す。
『今、私の願いごとが叶うならば翼がほしい。子供のころ夢みたこと今も同じ夢にみている~』
「良き歌じゃ。うの、吾にも翼がほしいのぅ。」と、一息ついたあと最後の力を振り絞るように
「うの、あまたつらい思いをさせたことを詫びる。あとは大津を頼む。大津を、うの、大津を、、うの、、大津を、、」
スメラミコトの力が抜けた。
私はスメラミコトの枕元に駆け寄る。
脈は…止まっている、、、
呼吸は…止まっている、、
心臓も触れてみるが動いていなかった。
「皇后様!朱い鳥が!!」
その時スメラミコトの体から朱い鳥が翼を広げ飛び立ったように見えた。
「大海人様!!!!!!!!」

朱鳥元年、9月9日、朱い鳥は翼をはためかせ天へと飛んだ。  


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2007年08月08日

翼をください

明日香は重苦しい雰囲気のまま表面的には目立った動きもなく9月を迎えた。
宮では皇子、王、諸氏が作り献上した観世音菩薩像百体をスメラミコトの寝所の次の間におさめた。
最近では呼吸が止まることもあり、もうスメラミコトの命の火はいつ消えても不思議はない状況であった。
9月4日、皇后様は宮のスメラミコトの寝所において、高市様始め皇子、王、諸氏の長は川原寺において病気平癒のための法会を行った。
川原寺は黒と紫の衣であふれていた。
各氏族の長の中ではスメラミコトの病気平癒をそっちのけでひそひそと話をするものがあとをたたなかった。
スメラミコトが崩御し大津様が立った場合味方につくか否かが諸臣の苦悩であった。
みな壬申年の戦を記憶しており選択を間違えれば家族や官位、財産すべてを失うことがわかっていた。
負けた近江朝についた人達が赦され命は長らえたものの活躍する場もなく冷や飯を食わされたことは鮮明に人々の記憶の中に染み付いている。
『スメラミコトは大津様と草壁様、どちらも選べず政治を預かっていた高市様に託したので高市様はつなぎのような存在でいずれ2人の皇子のどちらかに皇統を譲られるだろう』、『いや、大津様は高市様が皇后様に遠慮し草壁様に譲られるのはわかっているのでここで新羅の力を借り一気にご自分が帝位を狙ってくるだろう。』などとヒソヒソ声で話した。
そんな人々の口の端を重苦しく流れる観世音経の読経がかき消していった。

皇后様は史に法会の様子の報告を受けていた。
「スメラミコトの病気平癒に何と畏れを知らぬ所業。そんなにも人心は浮き足立っておるのか。」と、ため息をついた。
「御意。しかしながら新羅と組もうとする大津様には不信感が多く趨勢は草壁様支持にございます。」と、阿るように言った史に
「史、大津は新羅と組もうなどとはしておらん。」
と、険しい声で切り捨てるように言い放った。
「はっ。」
『皇后様、柊殿が急ぎの用件でお越しですが。』
「すぐに通せ。」
「では吾はこれにて。」
気まずい沈黙の直後だったので史は腰を浮かしながら言ったが皇后様はこの場に残るように指示をした。
「良い。そちもおった方が良かろう。」
「皇后様、柊にございます。」
「柊、挨拶は構わぬから用件を先に述べよ。」
「はっ。筑紫の我らが長から連絡が参りました。新羅の軍船が3艘出港したそうです。」
…朕は鳥肌がたってきた。とうとう、そこまできてしまったのか。
「1艘は小さめの船、これはどこぞの小さな港に目立たぬよう入り大津様の身柄を確保するために動くものと思われます。あと2艘は兵だけで20前後、計40くらいで壱岐の沖に停泊し、小さな船から大津様を乗せ護衛するためと思われます。」
皇后様は大きくため息をつきこめかみを押さえながら訊いた。
「それで翁はどのように致せと?」
「そこまでは申しておりませんが今の手立てとしては訳語田の動きから目を離さないようにするしかありません。」
「そう言い警戒をしていたのに大津が新羅の使者と会うのを止められなかったではないか。」
…いけない、言ってはいけないことを言ったと朕は後悔した。
こんなにイライラしていてはダメだ、周りの信頼を失ってしまう。
「史、柊、すまぬ。朕を信じ忠誠を尽くしているそち達にあたってしまった。この通りじゃ、済まぬ。」
「皇后様、そのようなことは!」
「少しお疲れなのではございませんか?今日はもうお休みになられたら如何でしょう?」
「そうじゃの。続きは明日にでも考えるので2人ともここへ寄っておくれ。ご苦労であった。」
2人は頭を下げて退出した。

執務室を出、部屋に戻ると次の間で雨乃が待っていた。
「皇后様、お戻りなさいませ。」
「雨乃、どうしたのじゃ?」
「特に用はございません。良かったら皇后様と夕飯を一緒にと思い伺いました。」
柊から何か聞いたのじゃな、と思いながら最近報告を受ける以外は1人で考え込むことが多い朕は嬉しかった。
「そうじゃ、たまには柊も呼んでは如何じゃ?」
「はい。」
「志斐、柊に部屋にくるように伝えておくれ。あと柊は酒が好きじゃから用意しておくれ。つまみはの、、」
誰かと一緒に食事をできることは嬉しいことだ。朕はさっきの焦燥も忘れ、志斐にいろいろ指示をしている。
志斐は嬉しそうに「ひめみこ様、そんなに一度におっしゃられても志斐は覚えきれません。」と言った。
最近は沈みがちな時が多かったので心配していたのであろう、彼女もやけに嬉しそうだ。
その夜は久しぶりに心安らぐ夜を過ごした。
雨乃は幼き頃に母上が歌ってくれたと言う「竹田の子守唄」なるものを聴かせてくれた。
『守りもいやがる 盆から先にゃ~』
どことなくもの悲しげで雨乃の澄んだ歌声によう合い、懐かしい気分にさせてくれる。
「これは『赤い鳥』と言う人達が歌っているのですが『朱鳥』ですね。」と1人微笑んでおった。
「他の歌も歌っておくれ。」
「そうしましたら私が大好きな同じ赤い鳥の『翼をください』を。」
『いま、私の願いごとが叶うならば翼がほしい。子供の時夢みたこと今も同じ夢にみている~』
…朕も天翔ける翼がほしい。翼があれば悲しみのない世界に行けるのであろうか?
子供の頃から夢見ていた祖父様や叔父上、母上が悲しむことのない優しい世界へ。
草壁だ、大津だと争うことも、他国から我が子を狙われるようなこともない自由な世界に。
「雨乃、この歌はほんに良い歌じゃの。今度ゆっくり朕に教えておくれ。」
「はい、承知いたしました。」
朕は雨乃の歌うこの歌がずっと頭の中に残っていた。

この夜が心落ち着く最後の夜だったかもしれない。
この夜から5日後、スメラミコトは天に召された。   


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2007年08月05日

刹那

夜の帳に守られた恋人達の時間はもうすぐ終わりを告げる。
どんな苦しく悲しい夜もやがては明け朝がくる。
そして今しかない甘美な優しい夜にも朝はやってくる。
朝は別れの時間…。
「大名児、吾はどこにいようと、この身はなくなろうと、心はいつもそなたに寄り添っている。吾は光になりそなたを包むから強く生きてほしい。それが最後の約束じゃ。なぁに、あの時はこんなことを言って別れたの、と次に会うときは笑顔で言えるやもしれぬ。」
最後は気を紛らわせるようなおどけた口調だったが私は何も言葉が出てこなかった。
「そなたに会えて、そなたと寄り添えて吾は幸せだった。本気で人を想うことがこんなにも満たされるものだと教えてくれたそなたに礼を言うぞ。そなたの幸せだけが我が願い。大名児、さらば…。」
突っ立ったままの私の手をとり唇にあて大津様は出ていこうとした。
いけない、待って!皇后様の伝言が!
「大津様!」
私は辛うじて声を出した。
「皇后様が、、また次の年も一緒に山田寺で法要をしましょう、と。必ず一緒にと、それだけ大津に伝えておくれと。」
大津様は私の前まで戻り跪いた。そして凛とした涼やかな声で
「皇后様、大津、皇后様のご温情は終生忘れはしません。母のない吾をいつも見守り下さりありがとうございました。」
と、言い踵を返し入ってきた時と同じように靴音をかつかつ鳴らし出ていってしまった。
大津様の決意は固い。もう気持ちを変えることはできない。
私の耳の中で靴音だけが鳴り響いていた。


朕は気掛かりな一夜を送った。
眠られず志斐に酒を頼み昔語りを聞いているうちにウトウトし朝になった。
「そうじゃ、志斐、朝の食事を雨乃のところでとるゆえ2人分用意しておくれ」、と頼んだ。
瀬奈から大津が帰ったと報告をうけた朕は早速雨乃の元へ向かった。
雨乃は泣き腫らした目で今まで見たことのない疲れきった顔をしていた。
「まぁ、雨乃はひどいお顔でせっかくの美しさが台無しじゃ。さぁ、朕と食事を致しましょう。」
「皇后様、大津様は何故生き急ぐのでしょう。あまりにも刹那的過ぎます。」と独り言のように呟いた。
「雨乃、まずは蘇をどうぞ。そなたも今のままではゆっくり考えられないでしょう。一息つきなされ。」と、蘇を持ち勧めた。
雨乃は素直に差し出された蘇を飲み干した。
「大津は何と申しておりましたか?」
朕は雨乃に不安を与えないよう微笑みを浮かべたまま話を聞いた。
…謀反人と誹りを受けても構わない、もうそこまで覚悟をしておるのか。我が子の悲壮な決意に心は沈んだ。そなたは母に子を葬れ、と頼むのか!
しかし、自分の気持ちとは逆に微笑を残したまま
「雨乃、そなたの話を聞き安堵しました。大丈夫。大津は此花の里で翁に預けましょう。翁の了解はそなたがとってきてくれたじゃろ?あそこは山深く此花の者しか辿り着けません。訳語田を見張り動きがあったら大津の身を確保し、内密に此花に向かう。大津がいなければ新羅も手出しはできませぬ。」
それまでの力なく宙を彷徨うような視線が朕の視線と重なった。
「翁…」
「そうじゃ、さぁ、そうと決まれば雨乃、様々な場面を想定し応じた手筈を整えておきましょう。まずは何から手をつければ良いかそなたも一緒に考えておくれ。と、まずその前にちゃんと食事をしましょう。いつも『食べることが体を動かす大切なことなのです』と朕を叱るのはそなたじゃぞ。」
「はい。」
やっと雨乃の視線に力が宿った。
…先日、柊から聞いた道作が高市と組み朕と草壁を排除しようとしている計画のことは大津はまだ知らない。ここまできたら道作の罪状は明白じゃ。じゃが、道作を罰したら大津はどうするであろう。
朕は少し生気の戻った表情の雨乃を見つめながら1人、考えあぐねていた。  


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2007年08月01日

最後の抱擁

大津様が入ってきた。
初めて会った日と同じように靴をかつかつ鳴らして。
そしてやはり初めて会った時のように闊達で清々しい声で私に話かける。
「大名児、久しぶりだったの。息災にしておったか?」
大津様の声、愛を囁いてくれる時は低くくぐもり、気持ちをぶつけあったあとはかすれた声になり、普段は涼やかに響く。
私はいろいろな折りに発せられる大津様の声が大好きだ。
…このお声が聞けて良かった。
私は喜びに何も言わずに大津様の胸に飛込んだ。
涙が次から次へと溢れていく。
「どうしたのじゃ。」
「ずっとどうなさっているか心配致しておりました。お顔を見たら嬉しくて言葉より涙が先に…。」
語尾はかすれて声にならない。
大津様はしばらく私をなだめるように優しく抱いていてくれた。
私はその暖かな温もりに少しづつ自分を取り戻していった。
「大津様、申し訳ありません。今日は大切なお話がおありなのですよね。」
私は大津様の腕から離れ椅子に腰掛けた。
「大津様もどうぞ。お話を賜ります。」
精一杯にこやかに微笑む。
「そなたに言い残しておきたいことと、頼みがあるのじゃ。大切なことなので取り乱すことなく最後まできちんと聞いてもらいたい。約束できるか?」
私は嘘がつけない。
「努力してみます。」
大津様はニッコリ微笑みうなづいた。
「実はの、先日、新羅の使いの者に会ったのじゃ。」
「行心とは関係なく?」
「いいや、仲立ちをしたのは行心じゃ。新羅の使いは吾に向かいこう言うた。『我が新羅はこれまでも英明な大津様がこの国を統べることを願い大いに支援して参りましたがこれまで以上に物的、人的支援をさせて頂く覚悟ですのでどうぞ何でもお申しつけ下さい。万一、大津様の御身が危なき時はお守り致しますのでどうぞ我が新羅へおいで下さりませ。』と。」
私は自分の血の気が引いていくのがわかった。
「支援して参りました、とはどういうこと?」
「そうなのじゃ。同席しておった道作の顔色がすぐに変わっての、聞けばすでに道作は新羅の援助を受けて難波に吾の即位のための宮を作ろうとしていたそうだ。以前そなたに話をしたが美濃の者を破格の待遇で大量に召抱えていたのはそのためだったのじゃ。」
「そんな…」
「難波の宮が焼失して計画が頓挫してより今度は新羅を難波に引き入れ美濃と双方向から明日香を挟み撃ちにすることを考えた。じゃが、これも難波を押さえられたので無理と諦めた。諦めたところでどうやら新羅が不審に思い動きに出たようじゃ。」
「大津様、それではご謀反になってしまうではありませんか。」
「そなたの申すとおりじゃ。ここまで計画ができていれば吾は謀反人じゃ。弁解のしようもない。でもの、大名児、吾は道作を責める気にはならぬ。そして道作1人に罪をかぶせるわけにもいかぬ。道作はただ吾の行く末を案じ考えただけのことなのじゃ。」
「でも…。」
「父上にもしものことがあらば、いや、それは遠くないうちに必ずやってくる。その時は新羅の手の者が吾を迎えにくる手筈になっておる。じゃが、吾は新羅の意のままに生きこの美しい国が乱れるもとにはなりたくない。吾は神と仰がれた父上の子なのじゃ。この国を出て吾を慈しんでくれた叔母上に背き敵となってまでこの命を長らえること、断じてできぬ。」
もう私に言葉はなかった。
「大名児、それでそなたに頼みが2つある。吾は父上が亡くなられたら新羅の手から逃れるために道作と美濃に向かう。吾がいなくなったら美濃へ抜ける関を固め美濃に入る前にこの身を拘束するよう進言して欲しい。そして万に一つ、この身が新羅の手に渡りそうになれば…。」
「……」
その続きは言わないで!聞きたくない!と叫びたいのに声が出ない。
「吾も一緒に父上のところに送ってくれるよう、叔母上にお願いしてくれ。」
「…大名児、愛しいそなたにこのようなことを頼み申し訳なく思う。じゃがこのことはそなたにしか頼めないのじゃ。吾はこの国を戦乱に巻き込むより謀反人と誹られる方を選ぶ。この吾の意思を叔母上、いや、皇后様にきちんと伝えられるのはそなただけじゃ。頼む。」
大津様はこの結論を出されるまで散々悩み迷ったのだと思う。
でも今は、ひとつの曇りもなく自分の導き出した結論を信じ、私の涙を見ても揺らぎはなかった。
「大名児、そなたを抱かせてくれ。今宵はそなたを離さない。吾の体にそなたを焼きつけ、そなたの体に吾を焼きつけたい。それがもう1つの我が願い。そなたのその体で吾を憶えていてくれ。」
大津様の声は低くくぐもっていた。
それからあとは私達は命のきらめきを精一杯体に記憶し合った。  


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2007年07月29日

覚悟の逢瀬

最近の皇后様はひどくお忙しい。
大嶋や史、柊と会議をしたり、高市様と相談ごとをされたり、スメラミコトの病気平癒の法会を行ったりしている。
あいている時間はすべてスメラミコトの部屋で過ごされご自分の部屋に戻られるのは夜遅くである。
看病の半分を代わらせて下さい、とお願いをしたら
「雨乃、スメラミコトはずっと沢山の妃に囲まれいて朕も寂しい思いをしたのじゃ。こんなに長くお顔を見ていられるのはあの吉野以来。だから朕の楽しみを奪わないでおくれ。」と微笑んだ。
「それにの、きちんと最後を看取ってさしあげたいのじゃ。お姉様が亡くなられた時も、建が亡くなった時もスメラミコトが看取ってくれた。朕はスメラミコトには感謝しておる。それに何より朕が人生を賭けた御方じゃからのぅ。」と、寂しそうに語られた。
でも、皇后様のそんなお気持ちとは裏腹に群臣の中には皇后はスメラミコトを人に会わせないようにしている、それはきっとありもしない大権の禅譲を隠すためだ、と言う者もあり、それが大津様に心を寄せる人達に多いことが気になっていた。
大津様とはもうしばらく会っていない。
寂しかったり心配だったりするが回りの人達すべてが緊張状態に置かれている中で私がわがままを言える立場ではなかった。
しかし道作や行心との間はどうなっているのか、気持ち的には落ち着かない日々だった。

そんなある日、私は皇后様と山田寺の法会に出かけた。
「雨乃、ここは朕が敬愛する興志叔父上が建立された寺じゃ。叔父上は言われなき罪でこの場所で一族もろとも自刃に追い込まれ未完となっていた。朕はスメラミコトが即位されて一番にこの寺の完成を願い出た。スメラミコトは快くお許し下さっての、この仏様はお祖父様が庇護し懇意にしていた仏師にお祖父様にそっくりにするよう翁を通して計らってくれたのじゃ。」
私は仏様の顔を見つめた。
「皇后様、頬に穏やかな笑みを浮かべられています。」
「そうであろう。」
皇后様は嬉しそうに言った。
「ここにきてお祖父様のお顔を見ると勇気が湧いてくる。今でもお祖父様と叔父上の命日3月25日には残っておる一族の者で法要を営むのじゃ。併せて我が母とお姉様、建の法要を母上の妹姪様、大津、草壁、御名部、阿閉と朕で行うのじゃ。また次の年の法要も変わらず6人で行いたいものじゃ。」
「はい。」
「雨乃、今日ここにそなたを連れて参ったのは話したいことがあったのじゃ。」
「何でございましょう?」
「大津より朕に文がきた。」
「大津様が、ですか?どのような?」
「思うところがあり大名児に会って話がしたいのでそなたを一晩吾に預けて欲しいと。」
「…」
「宮からそなたを一人出し、大津に会わせることは大津に仕えし者が良からぬ考えを抱かないとは限らぬので明日夜に宮のそなたの部屋に大津を呼ぼうと思う。大津がそなたを傷つけるようなことはないので翌朝までそなたの部屋の警護は解く。それでどうかの?大津の話を聞いてやってはくれぬか?」
「皇后様、ご配慮感謝致します。でも大津様は何故そんなことを突然に…。何事かあったのでしょうか?」
私は不安な思いに駆られていた。
「それはわからぬが何もないのに突然にこのようなことはすまい。何があるのかよく聞いてやってほしい。雨乃、頼みますよ。」
「はい。皇后様は大津様にお会いになりませんか?」
「ホホ、そのような無粋なことは致しません。大津はそなたに会いたいと言っているのですから。」
私は皇后様の言葉に顔を赤らめた。
「ただの、、1つお願いがある。」
「何なりと。」
「大津にの、、」
「はい。」
「次の法要もぜひ一緒にしましょう、と伝えてくれまいか。必ず、一緒にと。」
「かしこまりました。」
私は皇后様のお気持ちが痛いほどわかった。
そして私は翌夜まで不安な長い、長い時間を過ごした。  


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