2007年05月02日

大津様の話

地震のあと、生活は一変した。
それまでは私は昼まで皇后様の元で木簡を読む仕事をし、昼からは嶋の宮に出かけて氷高様の家庭教師のようなことをしていたのだが、地震以来、陳情が表を取り仕切る高市様や大津様にも、裏(宮廷内)を取り仕切る皇后様にも多く寄せられるので私も木簡の確認や陳情の内容の記録に忙殺されていた。

今日も氷高様のところへは行く時間もなく少し遅めになって皇后様の執務室から退出しようとした時に
「雨乃、今日はそなたの絵のお披露目をしましょう。大津も呼んでいますので一緒に食事をしましょう。」と言われた。
スメラミコトのご病気以来、朝賀も休止となっているので大津様にお目にかかるのは久しぶりだ。

「大津、忙しいようじゃがお体は大丈夫ですか?」と微笑みを浮かべながら皇后様は尋ねた。
「お気遣いありがとうございます。吾は元気が余っておりますゆえ多少のことは何ともございません。吾より最近は草壁の具合が優れないと聞き及びますが。」
「そうなのじゃ。最近また臥せっていて政務をとれずにそなたや高市にも負担がかかって申し訳ない。」
「いいえ。高市兄上も、私も健康ですからお気遣いなきよう。」と、大津様は頭を下げた。
皇后様は目で応えながら
「そうじゃ、志斐、忘れておったがスメラミコトより薬を賜ったのじゃ。すまぬがこれより瀬奈と届けてくれぬか?少しでも早い方が良かろう。」と言われた。
志斐と瀬奈は急ぎ支度をし出ていった。
二人が出ていくと皇后様は「大名児、絵をここに。」と今までのすまし顔と打って変わったいたずらっぽい笑みを私に向けた。
私は皇后様のこの笑顔が大好きだ。
いつも人と会う時には決して表情を崩さず、笑ったり、怒ったりしない。
何が是なのか、非なのかを悟られないようすべての感情を仮面の中に隠す。
精神力がよほど強くなくてはできないことだろう。

「こちらでございます。」
大学ノートを持ってきた私の手元をお2人は真剣な眼差しで追っていた。
…何だか視線がくすぐったいなぁ。緊張しちゃうなぁ。この絵をご覧になってどんな感想を言われるのだろう。
私は緊張で指先をもつれさせながらページを繰って大津様の絵を見せた。
「おー、大津にそっくりじゃ。」と、目を大きく見開いている皇后様、
「はい。まさしく吾です。」とあんぐり口をあけたまま見ている大津様。
…だって大津様の絵を描いたんだもの。大津様に似ていなかったら困るわ、と、私はおかしくて
「それは大津様にモデルになって頂きましたので大津様に似ていないと困ります。」と、言ってしまった。
「大名児、モデルとは何か?」
「あ、、えっと、えっとですね、、モデルとは、、お手本?でしょうか?いえ、違う、、手本じゃなくて…え?え?何でしょう???」
ちょうど適切な言葉が見つからず慌てて言葉を探すが気があせって出てこない。
そんな私の慌てぶりがおかしかったのか皇后様も、大津様も顔を見合わせ声を出して笑い始めた。
「大名児、そんなに慌わてなくとも良い。そなたがいてくれると和むのぅ」と、言われ
「大津、この絵は先に朕がもらっても構わぬか?」と聞かれた。
「はい。吾はまた描いてもらいますゆえ。」
皇后様はにっこり微笑まれて、
「そうか、それでは朕はちょっと草壁の様子を見てくるゆえ大津はもう少しゆっくりして行かれませ。大名児、大津の相手を頼みますよ。」と言われ慌ただしく出ていかれた。

そして部屋は私と大津様だけになった。
何だか部屋が急に広く感じる。
…どうしよう、何か言わなくちゃ。
「あの」「そうじゃ」
大津様と同時に言葉が出た。
「あ、申し訳ありません。大津様からお先に。」
「いや、大名児からどうぞ。」
弾かれたように私達は笑った。
「こんなに笑ったのは久しぶりじゃ。最近は笑えるようなことがなくてのう。」
「はい。心中お察し致します。」
「大名児、そなたに話したいことがある。」
と、私の目を覗き込み、話しはじめた。
「大名児」
「はい。」
「吾はな、守ってくれる母上がいなかったせいか子供の頃から近江帝にも父帝にも認めてもらえるよう武術に励み、知識を身につけてきた。たくさんいる皇子の中で後ろ盾もない吾が自分の身をたてる術はそれしかなかったのじゃ。
群臣や諸皇子から尊崇を集められるよう、小さき頃より人一倍努力をしてきたのだ。
狩りとなれば一段と前に出て勇気あるところを誇示し、すべての人に父上のように優しく、力強く接してきた。吾はそうやっていつもいつも自分を押し殺し、絶えず男らしい自分を演出してきたのだ。」
「はい…」
「その甲斐があったのか、父上の威光かはわからぬが吾は人々の中心に位置するようになった。
だが、中心に立てば立つほど吾は孤独さが増えることを知った。
みんないろいろ言い寄ってくるが本物の吾を見てくれる人は誰もいない。
人々が見ている吾は幻想なのじゃ。吾は本当は人に嫌われるのが怖い臆病ものなのだ。
闊達でなくても、女々しい吾でも何も言わずにただ抱きとめてくれる人がそばにいて欲しかったのだ。草壁を無条件で守り続ける叔母上のように。」私は涙が止まらなかった。
何ていう運命の皮肉だろう。
皇后様はいつでも本当の子供である大津様を愛し、見守っているのに。
そして皇后様と大津様はこんなにも似ていて同じような苦しみを抱えているのに。
今、私が秘密を告げればこの人の悲しみは止まるかもしれない。
いっそのこと打ち明けてしまおうか…。
いや、それはできない。
できないから皇后様は苦しんでいるのだし自分を律しているのだ。

「大名児、吾は弱い人間じゃ。いつも誰かに甘えたいと思っておる。
そんな弱い吾でもそなたは吾を愛しいと思ってくれるか?吾のそばで吾を励ましてくれぬだろうか?」
私は何かにつられるようにフラフラと立ち上がり大津様のところに行き、座っている大津様を後ろから抱き締めた。大津様の背は私の手が回らないくらいガッシリしていた。
「大津様、大津様の悲しみも寂しさもすべて私にお預け下さいませ。私が大津様をお守り致します。」
と、言った。
「大名児」
それから大津様はしばらく泣いていた。
私はただ泣いている大津様を抱きしめていたが不意に草壁様の声を聞いた。
「雨乃、吾が大津の母上をとってしまったから大津は苦しんでいるのじゃ。大津を頼む。」
「草壁様、草壁様はこのことを知っていらしたんですか?」
「いや。雨乃がくるまで知らなかった。この前の雨乃と母上の会話を心で聞いてわかったのじゃ。」
「私は大津様を愛するためにここにきたのですね?」
私の問いに対する草壁様の返事は聞こえなかった。
返事を聞く直前に大津様に抱きしめられていたからだ。
「大名児、明日矢釣山のふもとの松柏の樹の下で待っている。」
大津様は私の耳元に熱くささやき足早に去っていった。


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Posted by jasmintea♪ at 22:03│Comments(0)小説
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