2007年05月26日

旅立ち

12月もそろそろ半分を過ぎようとする頃、スメラミコトに回復の兆しが見えてきた。
人々はスメラミコトの回復を喜び、それは大津皇子様が寝食を忘れて看病したからだ、と噂をした。
そして大津様を称える話のあとには必ず「草壁様は父君の看病は何もなさらず寝ていたそうだ。」がついていた。
草壁様は最後の霊力でスメラミコトの病気平癒を祈願しそのために生活もできないほど力をなくされている。
皇后様や阿閉様がいくら注意しても草壁様は自分の身を削るような祈願をやめなかった。
そんな草壁様を目の当たりにしている私は悪意のある噂が憎らしかった。
大津様もこうした噂が自分の周りから出ていることを察し、憂慮されていた。
「誰が噂を流しているのか調べようにもどの舎人に頼めば良いのか見当もつかぬ。吾を思うてこととはわかるがこうした行為はやめさせなくてはならない。」と言われた。
私は「舎人をみな一堂に集めて先日行心と道作に話されたようにお話されては如何でしょう?」と進言したが大津様は舎人や関係者を一堂に集めることがより大きな誤解を招かないか心配していた。

こうした状況のある日、私は皇后様とともにスメラミコトに召しだされた。
スメラミコトの部屋に一歩入ると祈祷の香の匂いが充満していた。
「皇后、どうじゃ。今日の朕はいつにも増して健勝であるぞ。」
「はい。今日はお顔のつやもよろしいようで。」
スメラミコトは半身を起こし脇息にもたれかかっていた。
私がここにきた頃、初めてお目にかかった時に比べると何という痩せかただろう。
これはやはり胃癌なのではないか。
だとすればこの一時的な回復は最後の命の輝きかもしれない。
「大名児、これに。」
スメラミコトは私を手招きをして呼び寄せた。
そんなに近くまで行って良いのか私は皇后様を見た。
皇后様は「大名児、スメラミコトの仰せのままに。」と小さな声で言った。

私が皇后様を通り越し、近くまで寄るとスメラミコトは「もっと近うに。」と手招きされた。
とまどいながら手が触れる距離にまで近づいた時、スメラミコトは私をまっすぐに見つめ一筋の涙を流した。
「大田」
小さなかすれるような声でスメラミコトはつぶやいた。
大田、って皇后様の姉上の大田様のことか?
「皇后、もっと近うに。」
「はい。」
「皇后、大田は何故朕に何も言わずに、息子を抱くこともなく1人であの世に行ってしまったのだろうか。」
と、絞りだすような声で言われた。
「この娘は大田に縁ある者なのか?」
「いいえ。血のつながりはございません。が、志斐は我が母に似ていると申しております。」
「おー、そうじゃのぅ。大田は遠智の生き写しと兄上がよく言われておったな。いつだったかそちと朕は女子の好みが似ているなどと戯れに申されていたが。」
皇后様の前で話すことではないのに、と私はちょっと反発を覚えたが皇后様は意に介さずに
「殿方はたおやかな方がお好みのようで。」と微笑んだ。
皇后様のスメラミコトを見る感じは夫ではなく子供を見ているようだ。
「大津がこの娘に夢中になるのが朕にはわかる。鵜野、そなたに頼みがあって呼び出したのじゃ。」
「何でございましょう?」
「そなたはこの娘をかわいがっていると聞くが。」
「はい。この娘は私の安らぎにございます。」
「大津との仲はそなたも承知しておるのか?」
「はい。」
「鵜野、この娘を大津にくれないだろうか。」
皇后様は黙っていた。
「すぐに返事をせんところを見るとダメなようじゃの。」
「いいえ、それは大津からの申し出でしょうか?」
「大津は今のままで良いと申しておる。ただ、朕は母を早くに亡くした大津が不憫でならぬのじゃ。大津の想い人がそなたが連れてきた大田によく似た娘と聞くとますます母に抱かれたことがない大津の気持ちを哀れに思ってのう。」
「はい。」
「それにそなたのかわいがっている娘と大津の婚姻であれば朕の病気で浮き足立っている宮の者達も祝福し、群臣同士の余計な溝も埋まるであろう。如何なものであろうか?」
「スメラミコト、この話はなかったことにして下さいませ。」
今まで話を聞いていた時とは違うキッパリとした言い方で皇后様は言った。
「朕は大津も、大名児も愛おしく思うております。2人の付き合いにも異存はございません。ただ2人の行く末を政治的に利用することは承服できませぬ。」
スメラミコトはつぶやくように「嘘じゃ。そなたは大津がかわいくないのじゃ。」と言い寝間の中に潜りこんでしまった。

皇后様と部屋に戻る途中、私は皇后様がどれだけ傷つかれたことか、と悲しかった。
スメラミコトは長い間寄り添ったご自分の妻がどんな女性なのかわかっていないのか、と腹だたしかった。
たぶん、この時の私は憮然とした顔をしていたのだと思う。
部屋に戻ると皇后様は人払いをし「雨乃、そなたに頼みたいことがあるのじゃ。」と声をかけられた。
「フフ、雨乃、そのように恐ろしい顔していては大津が逃げてしまいますよ。」と微笑みながら言った。
「雨乃、スメラミコトは今でも姉上を愛し、早くに母と別れた大津が愛おしくて仕方がないだけです。今は病床で余計に大津の先々が心配なのでしょう。哀れな親心です。スメラミコトを悪く思うことはなりませぬよ。」と諭すように話された。
「この話はもうこれで終わりじゃ。ところでの、そなたへの頼みなのじゃが葛城山の此花一族の長、菊千代の翁にこの文を届けてもらいたいのじゃ。」
「はい。私がですか?」
「そうじゃ。本当は朕が行って翁に会いたいのじゃが今の状態ではここを離れることができぬ。ここに3つのお願いが書いてあるゆえ翁に読んでもらっておくれ。そうじゃのう、年が明けると朝賀もあるのでそれまでに戻ってくれれば良い。そなたも都を離れ少し楽しんできなされ。」
「いえ、皇后様、私は皇后様の頼みとあらばどこへでも参りますがもし私を気遣ってのことでしたら私は皇后様のおそばにおります。」
「雨乃、そなたはこのような朕のそばにいたいのですか?」
「はい。私は皇后様を姉のように、母のように思っています。」
皇后様は静かに口を開いた。
「雨乃、ありがとう。その言葉、嬉しく思います。今の言葉で決心がつきました。やはり朕の代わりの使者はそなたしかいません。菊千代の翁のところまで行ってくれますか。」
「はい。仰せのままに。」
「どうしても翁に相談したいのじゃ。翁はそなた以外で草壁と大津のことを知っている唯一の人なのです。」
草壁様と大津様のことを知っている人の元へ皇后様の手紙を持っていく、、そんな大切な役目なのか。
「またそんなに緊張せずとも良い。もうひとつの目的はそなたに明日香以外の空気に触れさせたいのじゃ。スメラミコトの病状が安定しているこのときでないと旅もできぬからのぅ。」
「はい。」
「それでは明日の朝にも旅立って下され。そなたの警護と道案内には柊があたる。」
「え?柊と2人で旅立つのですか?」
私の驚いた声に皇后様は
「いいや、そなたと柊は若い男女ですから2人は危ないですよね。雨乃のような女子が始終そばにいたらいくら心身を鍛えられた柊でも心が揺らぐやもしれぬからのう。」と悪戯な笑みで微笑んでいる。
「いえ…。あ、柊の配下の方々もご一緒ということですね。」
「いいえ、そなたと柊2人だけじゃ。」
「え????」
「まぁ、そなたは楽しみにしていなされ。柊よりすごい使い手が一緒ゆえ心配することはない。」
「はい…。」
私は何が何だかわからず曖昧に返事をした。
「さぁ、朕は翁への贈り物をみつくろうとしよう。翁を一目見たら、そなたもビックリしますよ。」
皇后様はやけに楽しそうだった。


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Posted by jasmintea♪ at 18:27│Comments(0)小説
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