2007年06月02日

旅の始まり

あくる朝、私は自分のバッグに大学ノート、シャープペン、買ったままの頭痛薬とのど飴も入れた。
あっ!バンドエイドも確か化粧ポーチの中に残っていたっけ。

支度を済ませ皇后様の元へ行くと柊がもう待っていた。
「柊、よろしくお願いします。」私はペコリと頭を下げた。
「柊、くれぐれも雨乃をよろしくお願いします。あと翁にもよしなに伝えておくれ。」
「はい。心得てございます。」
「あと、柊!」と、言いながら皇后様は柊を手招きしている。
「はい。」柊は皇后様に近づき跪いた。
皇后様は何やらいたずらっぽい笑みを浮かべ小声で柊に話しかけた。
何を話されたのかは聞こえなかったが普段冷静沈着な柊が首まで真っ赤になってうつむいていた。
あの柊があんなに舞い上がるなんて皇后様は何をおっしゃったのだろう??
「さぁ、宮が動き出す前に出発なさい。雨乃、よろしくお願いしますね。」
「はい。皇后様、いってまいります。」
私は皇后様に深々とお辞儀をしてから皇后様の私室を出た。
朝が早いため宮はまだ静粛を保っている。
聞こえてくるのは小鳥のさえずりと風のざわめきだけ。
静かな宮の中を足音を立てないようにそっと歩き門に着くとそこには麻呂と大嶋が待っていてくれた。
「大名児様、お気をつけて。」と、必要最小限しか言わない麻呂に
「いや〜、柊は羨ましいなぁ。そのお役目、吾と代わりませぬか?」と軽口を叩く大嶋。
対照的な2人の見送りを受け私と柊は宮を出た。

宮を出てしばらく歩き法興寺にきた。
ここは蘇我氏の氏寺であるが今のスメラミコトは大官大寺・川原寺・薬師寺と四大寺として保護している。
これは皇后様の後ろに見え隠れする蘇我氏を盛り立てた組織を意識しての措置で、蘇我氏が残した人的財産は莫大で彼らの協力なくしては寺を作ることも都を作ることもできず、史部達の協力がなければ政権が機能しない。
彼らは表の顔が近江帝からその息子大友、浄御原の帝に代わろうとも裏の顔である葛城と蘇我の血を受け継ぐ者にしか帰属しない。
柊は寺に向かい深々と礼をした。私も隣で礼をする。
私たちはそのまま歩き塚の前で足を止めた。
「ここは蘇我林大臣様(蘇我入鹿)の魂が眠る場所にございます。瀬奈は林大臣様の孫娘に当たります。瀬奈の母方の血は船恵尺殿の娘御で林大臣様とお幸せにお暮らしでした。巳乙の事件の折り、お腹にお子がいらしたので大臣殿(蘇我蝦夷)が命を守られるよう国記と一緒に恵尺殿にお返ししたのです。しかし娘御は子供を生むとすぐに愛しい林大臣様の元へ逝かれたので恵尺殿は都を捨て生き残りの者と高見山で娘の忘れ形見を育てました。恵尺殿はご自分の亡きあとを以前から親交があった菊千代の翁に託され此花一族の者と結婚させ生まれたのが瀬奈にございます。」
柊は大きく息を吸い込んだ。
「実は私と瀬奈は兄妹でして私の祖父にもあたる方でございます。祖父は他国にこの国が狙われていた時外交で敵から身を守りこの国が強くなるために国としてまとめあげようとした、と聞いております。」
私は柊の説明を聞いて塚に向かい静かに手を合わせ礼をした。
…中学校の頃教わった歴史の教科書に載っていた蘇我入鹿。
蘇我氏は専横が過ぎ天皇家を乗っ取ろうとして中大兄皇子と中臣鎌足に誅された、、歴史は長い時間の経過や勝者だけの記録によって本当の姿が見えなくなっていることもあるのだ。
もし、現代に戻ったらもっと深く歴史の勉強をしてみよう、私は思った。

それから私たちは柔らかな陽が注ぎ込む甘樫丘を登った。
旅立ちの日は穏やかな小春日和だ。
現代にいた時は雨女の雨乃と言われていたのに。
中腹まできた時に
「雨乃様、お話がありますのでここでしばらく休みながら話をしましょう。」
と、柊は竹筒の中に入れた水を差し出してくれた。
「ありがとう。話とは何でしょう?」と竹の香りが残る水を飲みながら答えた。この時代の水は無臭でとてもおいしい。現代の塩素消毒の水道水に慣れた私には信じられないおいしさだ。
「まず、皇后様からのお言葉です。」
私は背を伸ばし姿勢を正した。
柊はそんな私を見つめて微笑みながら言った。
皇后様はこうおっしゃいました。
『雨乃は最近ちょっと元気がないようじゃ。草壁や大津のことも心配であるようだし、草壁の霊力でここに連れてこられ生活も激変したこともあるであろう。宮での窮屈なしきたりやいつも人の目にさらされている緊張感もあると思う。何より自分のことを話せる人もいない。それでも雨乃は何ひとつ弱音をはかない。何も言わないだけに朕は心配なのじゃ。雨乃に伝えておくれ。旅をしている間は宮でのことは忘れいろいろなものを見たり聞いたりして楽しんでくるように。そして旅の間は柊や翁を友と思い甘えておいでなさいと。柊も翁もきっと雨乃を優しく包んでくれるであろう。』
ですから雨乃様、もうそんなに肩肘を張らずここにくるまえの雨乃様に戻られて下さい。
「ありがとう、柊。ありがとう皇后様」
…私は何と暖かで優しい人によって支えられているのか。
皇后様の心遣いが嬉しくて涙が出てきた。
「では雨乃様、出発の前に仲間を紹介致します。」私の涙を断ち切るように柊が明るくおどけた感じで声をかけてくれた。
「仲間?皇后様が柊よりスゴい使い手と言っていた?」
「はい。」
『くぅ〜〜。くぅ〜〜』
柊の呼びかけに答えるように目の前に突然に大きなムク犬が現れた。
陽に透けて毛が黄金色にキラキラ輝いている。
普通ムクは愛嬌があってかわいいのにこのムクはすました顔立ちをしていた。
に、しても此花一族の人は突然に現れいつも驚くのだがこのムクも突然現れて驚いた。
「この犬は草壁様と大津様と同じ年に生まれた双子の犬で皇后様用の犬として訓練をしています。」
「皇后様用?」
「皇后様の御身が危険にさらされるようなことあらば宮からお連れ申し上げます。」
「この犬が皇后様を?」
「はい。今日もこの犬に乗り葛城山まで参ります。」
「皇后様の犬なのに私が乗って良いのですか?」
「はい。皇后様の仰せですので。」
「名前は?」
「くぅ、にございます。赤ちゃんの時にくぅくぅ鳴いていたので皇后様がつけられました。」
「くぅちゃん、よろしく。重くてごめんね。」

「では最初はゆっくりと畝傍山を目指しましょう。雨乃様が慣れてきたら飛ばしますので。ではくぅに乗って下さい。」
私は自分の体重にくぅが潰されないかおそるおそる乗ったが大きな犬だけあってビクともしない。
「大丈夫ですね。では」
と、私の様子を確認して柊が手をポンと打った。
それに反応するようくぅが地上から1mくらいフワッと舞い上がった。
…え?地に足がついていない!!
「くぅ、ゆっくりだぞ。」
柊の声を聞いてくぅは走り出した。いや、飛び出した。


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Posted by jasmintea♪ at 19:45│Comments(0)小説
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