2007年06月15日

満月の夜

私は翁や茉莉花様、柊と温泉に出かけたり、茉莉花様と一緒に里の子供に字を教えたりして時間を過ごした。
この里は全面的に皇后様を支援するかわりに中央に支配されず税も免除され、兵役も労役もなく翁と長老を除けば身分差別もなく奴婢などもいない。
里の運営は長老による合議制でその上に翁が位置し成り立っている。
壬申年の戦の前まではこうした里の上に各氏(豪族)がいて里を守ってもらう対価として物品を供与していた。
それが律令法の整いとともに豪族ではなく国に納めることとなり取立ては中央から派遣される役人があたるようになった。
その変わりに豪族もその子弟も役人として取り立ててもらえ膨大な報酬を得るのだが律令が強化されていくといずれこの里も維持できなくなるのではないか?と翁は心配していた。
翁の寿命は120歳前後で、今の翁は100歳を越え何年たつかは記憶にないそうで自分の亡きあとの皇后様や茉莉花様、里のことを気にされていた。

楽しい時間が過ぎるのは早く1週間の滞在予定はあっと言う間に過ぎた。
明日は宮に戻るので今日が最後の晩餐である。
最後の晩餐の夜は真ん丸の妖しい光を放つ満月だった。
私達は満月の下、茉莉花様が用意してくれた心尽くしの肴でお酒を飲んだ。
柊はいくら飲んでも変わりなく、私も飲める方だが翁はあまり飲まない。
「もうそろそろ年でのぅ、あまり飲むと茉莉花に叱られる。」と微笑んだ。
「翁、茉莉花様、いろいろありがとうございました。これ、私が描いた翁と茉莉花様お2人の絵です。受け取って頂けますか?」
「おぅ、雨乃は本当に上手に描くのぅ。儂は若々しくて茉莉花に出会った頃のようじゃ。」
満足げに絵を見つめる翁に茉莉花様は「雨乃様、翁を若く描きすぎでございます。」と、微笑んだ。
「そんなことはないぞ。なぁ、茉莉花、儂に万一のことあらばこの絵の儂に毎朝口づけをしてくれんか?」
私と茉莉花様は顔を見合せた。
「翁、そんなことをおっしゃってもそれは無理です。これは紙ですもの、毎朝口づけたら破れてしまいます。だから翁が長生きされて茉莉花様に毎朝おはようの口づけをもらって下さい。」
「おぅおぅ、それが一番じゃのぅ。」
茉莉花様はすっと立ち上がり翁の席にいき「私のために長生きして下さいね。」と言いキスをした。
翁は一旦綻んだ口元を締め
「茉莉花は感じておるようだが儂の寿命は多くは残っていない。草壁と同じで霊力を使うほどに寿命も縮まっていく。それでな、この里は柊に継がせたい、とこの前長老達にお願いしたのじゃ。」
「吾でございますか?」柊は目を今日の満月よりも丸くして驚いた。
「そうじゃ、この先里を守れるのはそちしかおらん。でも、長老達は葛城の血を引かないそちを推挙できないと抜かす。」
「それは致し方ございません。」
「腹もたったがよく考えたらそちはここにいるより雨乃や讃良を守ってもらう方が得策と考えてな。」
「はい。」
「じゃからそちのことは諦めた。しかし、そちがいなくてあの長老達ではこの里はこれから新しく大きくなる勢力には対抗できぬであろう。それで柊と雨乃に頼みがあるのじゃ。」
「何なりと。」
「この里が危険になった時は茉莉花を助けてほしい。儂が炎の中から助けた命を大切にしてほしいのじゃ。茉莉花、そなたは元々この里の人間ではないのだからここに殉じることはない。柊と雨乃のところへ行け。そしてそなたはその命を全うしてくれ。その美しさじゃ、再婚するのも良いであろう。まぁ儂以外の男にそなたが満足するとは思えんがの。」
「菊千代様ったら…」何か言おうとした茉莉花様を制し
「そなたは何も言わずとも良い。話さずとも十分気持ちはわかっておるゆえ。」と微笑んだ。
「この通りじゃ、柊、雨乃、茉莉花を頼む。」と頭を下げた。
「あと、讃良のことじゃが」
「はい。」
「これから世は変わっていく。川に水は流れていても同じ水が流れているわけではない。古きものは生まれ変わり形を新しくしなくてはいけないのじゃが未だに葛城の血が、、などと抜かす石頭にはそれができぬであろう。我が一族が変われないのなら讃良が変われ。枯れていく木もあればこれから新芽をつけ大きくなる木もある。真夏の暑さを避けるには枯れた木ではなく青々とした木が良いのじゃ。どの木が良いのかを見極めるのが讃良の役目じゃ。讃良にならできる、と伝えてくれ。」
「はい。」
「もう1つ、葛城が滅びようとも我らを支えてくれたこの里の者は守るようそれも讃良に託してくれ。雨乃、しかと頼んだぞ。」
「承知いたしました。」
「さぁ、難しい話はも終わりじゃ。今宵はあの満月を愛でながら楽しく過ごそう。」



その頃…
同じ満月に照らされた複都難波宮の阿斗連薬宅には新羅僧行心、大津皇子舎人砺杵道作、薬が集まり密談をしていた。
「最近、難波に鼠が入り込んでいるようですが薬殿、警護は大丈夫でしょうか?」
「道作殿、ぬかりはございませんのでご心配なく。なぁに、鼠が入り込んだとしてもここは難波宮修築の最中、あやしいことは何ひとつございません。」
「笑止。目出度いことに薬殿は何一つ知らないと見える。」
「失礼なことを申すでない!行心殿は吾を愚弄されるか?」
薬は顔を真っ赤にして怒りだした。
「行心、言い過ぎだ。薬殿に対する非礼はこの儂が許さんぞ。」と行心を一喝して薬に向き直った。
「いやいや、薬殿、大変失礼をした。この僧にちゃんと話をつけるゆえすまぬがしばし席を外してもらえぬか?日頃の薬殿のご尽力への御礼の気持ちを兼ね遊び女と酒を別室に用意致しました。薬殿が気に入りそうな抜けるような肌の白いポッチャリとした女子ですぞ。」
「ほほぅ、道作殿、いつもお気遣い感謝致す。吾は皇子様のために存分に働き申すのでおまかせ下さい。ではちょっと失礼するのでごゆっくり。話が終われましたらお呼び下さい。」
と、先ほどの怒りはどこへやらで卑猥な笑みを残しいそいそと出て行った。

「道作、あやつは危ないぞ。女子に弱すぎる。」
「わかっておる。じゃが儂らがここで工事の進捗を監理するわけには行かぬであろう。」
「薬が最近熱を上げておる百合と申す侍女、あれは大名児の侍女だ。吾はわからなかったが大津様とあの娘が会った時、返された輿の持ち手が顔を覚えておった。」
「皇后の近辺の者が難波を探っておるのか?」
「そういうことじゃ。あの侍女は美しいからのぅ、抱かせてあげると言えばあやつはすぐ話してしまうであろう。」
「ならばその百合を斬る。」
「馬鹿な。それでは我らの謀(はかりごと)を知らせているようなものじゃ。あんな小娘など何もできぬ。捨ておけ。それよりおかしな動きは他にもあるのだ。どうも中臣の手の者が動いている気配がある。」
「皇后が兵制官を動かせるわけないだろう。」
「いや、中臣だが大嶋ではない。」
「意美麻呂が裏切ったか?」
「まさか。危ない奴ではあるが今は裏切りはしない。そうではない、史じゃ。」
「史と言ったら近江の内臣の子息ではないか?」
「そうじゃ。」
「近江の重臣の息子ならこのままでは出世の糸口もないな。五百重殿はスメラミコト一番の愛妃なのに未だに大舎人のままと聞く。」
「そうなのだ、その史が何故難波を探るのだろうか?」
「一応動きには注意が必要だがその身分では何もできぬだろう。」
「そうなのじゃ、だが百合が大名児と消えた時のことを考えれば史以外にもう1つの組織が動いおるのがわかるのだがそれが何かはわからぬ。それがひっかかる。」
「うむ。行心の言いたいことはわかった。薬を始末しなくてはいけない時はタイミングを逃さぬようにしよう。我らは大津様の宮となるこの難波を守らなくてはならぬ。」
「その通りだ。もう良いであろう、怪しまれるからそろそろ薬を呼び戻そう。」
「いや、あの者は朝までゆっくり眠ってもらっておる。女を抱く前に酒で眠っているはずだ。」
「ハッハハ、道作殿も人が悪い。」
「すべては皇子様の御為に。」
2人は満月に誓うように月を見上げた。
満月は人の心を妖しげ惑わすのかもしれない。


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Posted by jasmintea♪ at 21:17│Comments(0)小説
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