2007年07月05日

歴史上の登場人物

ちょっとここ数回歴史上の人物の名前が登場していますのでその方々について。
☆石川麻呂(蘇我倉山田石川麻呂)
鵜野皇后の母方の祖父になります。ここで書いた石川麻呂事件の顛末(Wikipedia)は鵜野が心に描く事件の真相で彼女の意思と蘇我氏を追いとしていった藤原氏の思惑が一致し日本書紀の形となった、と私は思っています。
私が考える真相はここで書いた見方ではなくもうちょっと石川麻呂に厳しいかもしれません。
蘇我入鹿を殺すために結びついた中大兄・鎌足と石川麻呂でしたが基本路線は中央集権国家を目指す中大兄と豪族の代表石川麻呂では相容れないのが当たり前。
阿倍内麻呂の死がきっかけとなり溝が埋まらなくなったのではないでしょうか?
ただ、この事件を見るとこの時の政治の中心は中大兄&鎌足なのでそうなってくると孝徳天皇はやはり飾り物に過ぎなかった?→昨今主流となりつつある山背大兄事件は軽が主犯と見る見方は違っていないのだろうか?と違う疑問を持つ私です。

☆興志
この事件で徹底抗戦を主張したと言われる石川麻呂の長男です。
この小説では遠智と興志は唯一の同母兄妹としていますが母方の血は定かではありません。
討伐軍を迎撃しようした&小墾田宮を焼き討ちにしようとした記述、これは本当は両軍が交戦状態になっていたのでは?と想起させる記述ですよね。
戦闘があったけど、兵力に差がありすぎ死を選んだんじゃないのかな??
この興志という人物は私は興味ある方なのですが、日本書紀を読むと山田寺造営をまかされたり、積極果敢に敵を撃退しようとしていますので、有能で入鹿の次の蘇我氏の期待の星だったような気がします。
石川麻呂謀殺の背景には興志も始末してしまう意味合いもあったかな?と勝手に思ったりもしてface01

☆十市皇女
十市が亡くなった時の高市皇子の歌は本当に胸を打ちますね。
吹黄刀自が作った歌と合わせてイメージを膨らませ書きました。
でも高市と十市が恋愛関係にあったら十市は自殺などしなかったと思うし、透明なイメージの彼女が高市を受け入れたとはあまり思えない。
高市の初恋の人は十市だった、と空想しながら描きました。

☆山辺皇女
以前から何故大津は山辺を娶ったのだろうか?と疑問に思っていました。
結局答えは出ないので天武天皇の責任にしてしまいましたicon10
もし、大津の正妃が阿閉か御名部であったら粟津王まで殺されるようなことはなかったんじゃないか?と思います。
この小説では雨乃を起点としていますのでこんな描き方になっていますが山辺の薄幸な人生は本当に気の毒で小説になりそうだぞと思います。
大津がいなくなればもう彼女は生きていく術も見出せなく「死」しかなかったのでしょうか?それとも大津を死に追いやった人たちへの無言の抗議だったのでしょうか?
大津を彩る女性の中で殉死したと思われる山辺より大伯や大名児の方が後世で有名なのも不思議な感じですね。
(って、この説明はちょっと先走ったことまで書いていますね~)

☆阿斗連薬
難波宮焼失について日本書紀で名指しされている人です。
薬は失火を疑われてどうなったのかは記述されていませんが何故この人の名前が残っているのでしょう?
やはり何やら関連があった、と見るのが順当ですが歴史は何も語らないので難波宮焼失の原因はまるでわかりません。
先般大阪歴史博物館で見たCGの前期難波宮は眼前に海が広がっていて新羅と連携をとるのに格好の場所だなぁ、それに筑紫には新羅から使がきていたし…とか、難波宮の模型は想像していたよりも大きく広くてあの広大な宮が簡単に失火で焼けるのだろうか?とかそんな疑問を混ぜこぜにして書きました。
難波宮跡で佇みながらストーリーを考えてから3ヶ月。
「難波宮焼失」をupできるまでこの小説を続けられて良かったicon102と思ったり、内容はともかくよくここまで書いてきたなicon58と嬉しかったりします。
本当に、これも読んで下さる方々のおかげですicon12
感謝、感謝face05

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Posted by jasmintea♪ at 12:44│Comments(0)コーヒーブレイク
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