2007年07月11日

切ない心

明日香の春は冬の真っ白なキャンバスに色とりどりの絵の具を使い絵を描いていくような美しさがある。
単純な色使いではなくパレットの上にはたくさんのチューブを絞りだし色を混ぜあわせる。
そうして作ったたくさんの色をまた何色も重ね塗りしやっとできたのが明日香の春の風景だ。
この時代にきて二回目の春を迎えたがキャンパスと絵の具がないことを残念に思った。
これから明日香は春から初夏へ衣替えをするが季節の変わり目は変調をきたしやすい。
寒暖の差が激しくなって来る頃スメラミコトは再び体調を崩された。
そんな中、、
筑紫にいる大嶋から報せが届き皇后様は麻呂、柊、史をお召しになられた。
「筑紫の大嶋からの使いがきたが行心が金智祥を訪ねたそうじゃ。」
「あの警戒の中会見したのですか。新羅も切羽詰っていると見えまする。」
「高市様の後継指名は意外だったのは新羅も同じでしょう。難波宮も焼かれ打つ手を止められておる。」
「その通りじゃ。しかし何を話したのかはあちらの警固が厳しく闇の者も近寄れなかったそうじゃ。」
「皇后様、スメラミコトが御体調を再び崩されてからまた動きが加速しております。我が手の者によると道作の腹心が美濃で兵と武器と兵糧を集めているようにございます。」
「また、道作ですか…。」
「おそらく道作には新羅より相当の軍資金が渡っておるのでしょうな。そうでなければたやすく人は集められませぬ。」
「皇后様、万一新羅が大津様を戴いて難波から入り道作が集めた軍勢が美濃で立つと明日香は挟み撃ちになる危険もございます。」
「そうじゃのぅ…。」
「皇后様!」
皇后様の煮え切らない態度に不満顔の史は詰め寄るように言った。
「皇后様、差し出たことを申し上げますが道作の手の者を捕えては如何でしょう?このままでは危険でございます。」
「いいえ、それをすれば道作も捕えなくてはならぬ。それは逆に大津を追い詰めてしまいます。」

…朕は先日雨乃から聞いた大津と道作の話を思い出し激しく後悔をしていた。
あぁ、お姉様が亡くなられた時、大津を手放すのではなかった。
大海人様のお姉様に対する深い愛情を承知していた父上は自分の手元で育てると言う私達から奪うように大津と大伯を引き取り近江の宮に置き留めた。
父上の目的はひとつ、大海人様の愛しい者を人質にすること。
あの折、父上のなさりように反対をし朕の手で育てていればこのようなことにはならなかったであろうに。
今のこの事態を招いた因果は朕にあるのに応報はたった1人の我が子大津に向かっていく。
何で大津がこのようなことに巻き込まれないといけないのか…

「史、関を固めるように高市に進言しましょう。いくら兵を持っても、武器を持っても烏合の衆では意味がありません。道作を美濃へ入れないように態勢を整えさせましょう。」
「かしこまりました。」
「行心と会談が終わりもう用がなくなったのか金智祥は国に帰るそうじゃ。大嶋もじきに戻ってくる。それまでよろしく頼みます。」
一同は皇后様にお辞儀をして散会となった。
皇后様が退出された部屋では柊と史が話をしていた。
「柊殿、皇后様は何故あのように大津様をかばうのでしょう?皇后様が心を許す大名児様の想い人が大津様であるからでしょうか?」
「いえ、それは吾にもわかりませぬが…たぶん皇后様の姉上であられる大田様の御子ですから想いも深いのではないかと。」
「うむ。それだけであんなにも大津様をかばうものでしょうか?」
「史殿は他に何かあるとお考えですか?」
「いいえ、それがわかりませぬ。ただ危険な芽は早くに摘まねばなりませぬ。泳がすのも手かもしれませぬがそれが相手につけ入らせる隙を与えてしまっては…。手が遅れることが逆に大津様を追い詰めてしまうこともあるやもしれぬ、と吾は心配しているのです。」
と、史は真剣な眼差しで言い、
「おお、これは言わずもがなのことを申してしまいました。いやいや、申し訳ございません。柊殿、このことはお忘れ下さい。」と頭を下げた。
「はい、吾は忘れっぽい性質でございますゆえ。」
と、笑いながら返したが史殿の不安は吾も感じていた。
そう言えば以前翁の話をした時も皇后様は突然様子が変わられた。
雨乃様が背をさすったりしていつもの皇后様に戻られたが明らかに様子がおかしかった。
あの折、「翁の占を変えてみせます。」とおっしゃっていたことは吾は雨乃様を守りたいゆえのことだと思うていたがあれは大津様と皇后様の間には何か人には見えない繋がりがあり大津様を守るために占を変える、ということだったのか?
吾は気にかかることを思い出そうとしたがもやがかかったように思い出せなかった。
どちらにしても翁が見た占がおぼろげながら浮かび、今の状況では占に向かって進んでいるのは確かだ。
これからの雨乃様にはどんな未来が待っておるのであろう?
そこまで思いを馳せてから吾はふと自分は何を望んでいるのだろう?と考えた。
このまま雨乃様が大津様と幸せな時間を送ることを望んでいるのか?
それともいつか雨乃様をこの腕(かいな)で受け止めることができることを望んでいるのか?
もちろん愛する女性を我が手に抱き、我が胸の中で想いのたけを伝えたいと願う。
しかしそれでは吾は大津様の破滅を望んでいるようなものだ。
それに雨乃様の哀しい顔など見たくない…
と、吾は自分でも説明のつかない複雑な思いが胸をよぎっていた。
どうしたのだ?報われない想いで構わない、雨乃様の笑顔を守るために吾のすべてを賭けよう、と自分で葛城の山に誓ったのではなかったか。
いくら自分で自分を押さえようとしても突き上げてくる激情に吾は戸惑っていた。
幼き頃より自己を律することを覚え、鍛えられ、自分の感情が迸ることなどなかった。
それが今はどうだ。吾は自分を見失っている。自分を律することができない。
この我が気持ちを雨乃様に伝えたいのに伝えることはできない…
誰かを想うことはこんなにも己の無力さを知り、こんなにも切ないことなのか?と、吾は初めての感情に揺れ動いていた。


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Posted by jasmintea♪ at 12:38│Comments(0)小説
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