2007年08月05日

刹那

夜の帳に守られた恋人達の時間はもうすぐ終わりを告げる。
どんな苦しく悲しい夜もやがては明け朝がくる。
そして今しかない甘美な優しい夜にも朝はやってくる。
朝は別れの時間…。
「大名児、吾はどこにいようと、この身はなくなろうと、心はいつもそなたに寄り添っている。吾は光になりそなたを包むから強く生きてほしい。それが最後の約束じゃ。なぁに、あの時はこんなことを言って別れたの、と次に会うときは笑顔で言えるやもしれぬ。」
最後は気を紛らわせるようなおどけた口調だったが私は何も言葉が出てこなかった。
「そなたに会えて、そなたと寄り添えて吾は幸せだった。本気で人を想うことがこんなにも満たされるものだと教えてくれたそなたに礼を言うぞ。そなたの幸せだけが我が願い。大名児、さらば…。」
突っ立ったままの私の手をとり唇にあて大津様は出ていこうとした。
いけない、待って!皇后様の伝言が!
「大津様!」
私は辛うじて声を出した。
「皇后様が、、また次の年も一緒に山田寺で法要をしましょう、と。必ず一緒にと、それだけ大津に伝えておくれと。」
大津様は私の前まで戻り跪いた。そして凛とした涼やかな声で
「皇后様、大津、皇后様のご温情は終生忘れはしません。母のない吾をいつも見守り下さりありがとうございました。」
と、言い踵を返し入ってきた時と同じように靴音をかつかつ鳴らし出ていってしまった。
大津様の決意は固い。もう気持ちを変えることはできない。
私の耳の中で靴音だけが鳴り響いていた。


朕は気掛かりな一夜を送った。
眠られず志斐に酒を頼み昔語りを聞いているうちにウトウトし朝になった。
「そうじゃ、志斐、朝の食事を雨乃のところでとるゆえ2人分用意しておくれ」、と頼んだ。
瀬奈から大津が帰ったと報告をうけた朕は早速雨乃の元へ向かった。
雨乃は泣き腫らした目で今まで見たことのない疲れきった顔をしていた。
「まぁ、雨乃はひどいお顔でせっかくの美しさが台無しじゃ。さぁ、朕と食事を致しましょう。」
「皇后様、大津様は何故生き急ぐのでしょう。あまりにも刹那的過ぎます。」と独り言のように呟いた。
「雨乃、まずは蘇をどうぞ。そなたも今のままではゆっくり考えられないでしょう。一息つきなされ。」と、蘇を持ち勧めた。
雨乃は素直に差し出された蘇を飲み干した。
「大津は何と申しておりましたか?」
朕は雨乃に不安を与えないよう微笑みを浮かべたまま話を聞いた。
…謀反人と誹りを受けても構わない、もうそこまで覚悟をしておるのか。我が子の悲壮な決意に心は沈んだ。そなたは母に子を葬れ、と頼むのか!
しかし、自分の気持ちとは逆に微笑を残したまま
「雨乃、そなたの話を聞き安堵しました。大丈夫。大津は此花の里で翁に預けましょう。翁の了解はそなたがとってきてくれたじゃろ?あそこは山深く此花の者しか辿り着けません。訳語田を見張り動きがあったら大津の身を確保し、内密に此花に向かう。大津がいなければ新羅も手出しはできませぬ。」
それまでの力なく宙を彷徨うような視線が朕の視線と重なった。
「翁…」
「そうじゃ、さぁ、そうと決まれば雨乃、様々な場面を想定し応じた手筈を整えておきましょう。まずは何から手をつければ良いかそなたも一緒に考えておくれ。と、まずその前にちゃんと食事をしましょう。いつも『食べることが体を動かす大切なことなのです』と朕を叱るのはそなたじゃぞ。」
「はい。」
やっと雨乃の視線に力が宿った。
…先日、柊から聞いた道作が高市と組み朕と草壁を排除しようとしている計画のことは大津はまだ知らない。ここまできたら道作の罪状は明白じゃ。じゃが、道作を罰したら大津はどうするであろう。
朕は少し生気の戻った表情の雨乃を見つめながら1人、考えあぐねていた。


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Posted by jasmintea♪ at 16:49│Comments(0)小説
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