2007年09月05日

甘い幻覚

「よし、ここまでくれば安心であろう。」
「翁、ありがとうございます。」
「話はあとじゃ。茉莉花、すぐに柊を診てくれ。」
「茉莉花様!」
翁はこんな場面も想定し薬師として有能な茉莉花様を待機させていたのだ。
茉莉花様は柊の傷口と翁が持ち帰った柊に当った小刀を見ていた。
「どうじゃ?」
「翁の心配したとおり切先には毒が塗られています。今すぐ傷口を開き毒を吸い出さないと危険です。」
「うむ、頼む。」
茉莉花様は持ってきた道具の中から消毒用の酒や手術用に使う細く鋭利な小刀を出し準備をしている。
「猪木、力、しっかりと柊を押さえていて。」
テキパキと指示を出し傷口を開き柊の毒を吸い出す。
柊はうめき声をあげながら痛みに耐えていた。
「終わりました。これで大丈夫です。が、これから高熱が出て毒の影響で幻覚が出てくるでしょう。」
「わかった。力、そちはくぅを使い柊を連れ宮に戻り讃良に報告をしてくれ。」
「はっ」
「翁、皇后様は大津様の御身を確保したあと伊勢神宮に向うよう指示されております。」
呻きながら柊は言った。
「ほぅ、謀反など関係ない、姉に会いにいっただけとするのじゃな?讃良の考えそうなことじゃ。」
「吾も一緒に参ります。」
「何を言う、そちは喋るのがやっとではないか。足手まといじゃ。」
「柊殿、吾を庇ってこのようなことになり申し訳ない…。」
今まで黙って成り行きを見ていた大津様が青ざめた顔で初めて声を発した。
「大津様、至らなかったのは吾です。吾が甘かったため危険な目にあわせ申し訳ございませんでした。」
「そうじゃ。大津様のせいではございません。申し遅れました。初めてお目にかかります。此花一族を束ねておる菊千代と申します。このような爺なのでみなは翁と呼んでおります。」
「あなた様が翁にございますか。大名児から話は聞いております。大津と申します。」
「大津様、話もそこそこで申し訳ありませんが出立いたしましょう。長く留まるは危険、話は道中にて。」
「翁、皇后様は姉上様にお会いになられ1泊して戻ってくるようにと。」
「わかった、そちは心配せずとも良い。讃良の考えることはわかる。力、良いな、儂が直接大津様を送り伊勢に行ったと讃良に伝えてくれ。あともうひとつ、もし柊の意識が朦朧としていたら大名児を頼れ。皇后の部屋の采女の大名児じゃ。その下に瀬奈がいるから風通しが良かろう。わかったな。」
「かしこまりました。」
「茉莉花、1人で返して済まぬが先に戻り待っていてくれ。」
大津様の前でも翁はいつものように口づけをした。
「では我らは先に出立する。猪木、辰巳行くぞ。大津様、馬を用意しておりますのでお乗り下さいませ。」
柊と力を残し翁、大津様、猪木、辰巳の4人は伊勢へと向った。

「柊!!!」
白く透き通るような肌の娘は輿から飛び降りると転びそうになりながら駆け寄り柊の手を握った。
「何てひどい熱…。急ぎ輿に乗せ私の部屋に運びましょう。」
「大名児様の部屋にですか?」
「そうです。このような時です。かまいません。」
「承知しました。」
この娘が噂の大名児か。
大津、草壁の2人の皇子様の心を捉え、猪木の話によると柊も想っておるようじゃ、と言う。
もっと妖艶な色香漂う女子かと思うておったがほんの小娘じゃないか。
しかし今の光景を見ると見かけのなよやかさと反比例してしっかりとした意思を持っているように見える。
部屋についたあとも必要な物を持ってくるようにテキパキ指示をしている姿が先ほどの茉莉花様と重なった。
柊の額と腋の下に冷たい水でしぼった布をあてながら
「力、と言いましたね?皇后様は殯の最中ですが私が柊に何が起こったのか聞いて良いですか?」と聞く。
吾は新羅の闇の者に襲われたこと、大津様をかばい柊が負傷したこと、翁が助けてくれたこと、小刀には毒が塗ってあり茉莉花様が吸いだしたものの高熱が出て幻覚を見ること、大津様と翁は伊勢に向ったことを告げた。
娘は大きくため息をつき「力、ご苦労様でした。柊を運んでくれてありがとう。あとは私が看病しますがあなたは翁のあとを追い伊勢に行った方が良いのかしら?それともここにいて構いませんか?」と訊ねた。
どうもこの娘は話し方が普通の女子とは違い調子が狂う。
それにこんなにいかつい傷だらけの吾を見てもちっとも怖くはないようじゃ。
変わった女子だ。
「吾は瀬奈を通し連絡をもらうゆえお気になさらずに。」
「何か暖かいものでも用意させますから。」と言う小娘の言葉を無視し、柊をまかせ早々に宮を出た。

柊は冷たい水で絞った布がすぐに乾いてしまうほどの高熱だった。
毒が完全に体から抜けるまで熱は続くのだろう。
体を冷やそうと何度も何度も布を換える。
脱水症状にならないよう水を飲ませたいが受け付けない。
私は自分の口に水を含み柊の口にあてた。
そっと水を流し込む。
柊は水が入ってくると反射的に飲み込んだ。
良かった。飲んでくれた!2度3度繰り返すと少し呼吸が楽になったようだった。

吾は混濁する意識の中で雨乃様と口づけをする夢を見ていた。
茉莉花様が言ってた幻覚とはこんなにも甘く優しいものなのか。
鬼や蛇が出てくるのが幻覚だと思うておった。
この甘美な夢のためなら苦しさも悪くはない、と苦笑していた。
雨乃様の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
幸せな幻覚だ、吾は夢の中で自分の気持ちを伝えるように思いきり愛しい想い人を抱き締めた。
雨乃様…

私はいきなり柊に抱き締められていた。
柊…
声をかけるが息遣いは以前として荒く苦しそうで意識は朦朧としている。
これでは布を代えられないわ、と腕をほどこうとするが私は動けないくらいしっかりと抱き締められていた。
そっと顔を窺うとこんなに苦しそうなのに微笑を浮かべているようだ。
何か幸せな夢でも見ているのかしら?
私は腕をほどくのを諦め柊の腕に体をまかせていた。

あぁ、雨乃様を我が腕に抱きとめている。
吾はその感触と甘い香りに安堵し深い眠りへと落ちていった。

目覚めた時、皇后様と雨乃様が吾の目に飛込んできた。
慌てて起きようとしたがめまいに襲われその場で手をつき上半身さえ起こすことができない。
「柊!」
雨乃様が吾を支えながら寝かせてくれた。
「まだ無茶をしてはいけないわ。体の中の毒が抜けきっていないのよ。」
雨乃様に体に触られ体の芯から熱くなった。
心の臓の鼓動が聞こえはすまいかと戸惑った。
その間合いから救ってくれるように皇后様が声をかけてくれる。
「柊、大津を助けてくれてありがとう。朕はそなたに感謝します。」
「皇后様、大津様を助けたのは翁です。翁が助けて下さらなかったらどうなっていたことか。吾が至らずに申し訳ございませんでした。」
「いいえ、そなたが身を挺して大津を守ってくれたことを朕は忘れません。大津は此花の皆様に救って頂きました。日が暮れる頃には戻ってくるでしょうが無断で殯を欠席したので謹慎させます。外部との連絡も遮断します。」
皇后様はふぅとため息をつきにっこり笑った。
「これで大津の身を確保できました。柊、改めて礼を言います。」
皇后様は深々と頭を下げた。
「そなたは一昼夜寝ていました。今は養生専一にしておくれ。そして早く回復しまた朕の力となって下され。」
「皇后様、身に余る光栄でございます。」
「それからそなたには迷惑やもしれぬが雨乃が自分で看病すると言い張って聞かぬのじゃ。良くなるまでしばらくそばに置いてやってくれぬか?」
「ありがたきこと。」
と、お礼を言いながらまた吾は眠りの中に落ちていった。


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Posted by jasmintea♪ at 12:53│Comments(0)小説
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