2007年09月08日

杞憂と安堵

その夜、大津様を訳語田に送った翁が柊の見舞いに宮を訪れた。
翁が宮を訪れるのは初めてで皇后様は「翁に会うのは10年ぶりかしら?」と、心なしかウキウキしているように見えた。
「翁をお連れしました。」
瀬奈がいつもよりくぐもった声で案内した。
「讃良、久方ぶりじゃの。」
翁は茉莉花様の前だと鼻の下が伸びて子供のようにフニャフニャ甘えたり、年寄りぶってダダをこねたりするが茉莉花様以外のところでは相変わらずの精悍な顔つきに男らしい容貌、闊達な喋り方でホントに素敵だ。
皇后様は穴があくほど翁を見つめていた。
「此度は柊が世話になった。礼を申す。」と頭を下げた。
皇后様はまだ翁をウットリと見つめている。
「皇后様…」
「え?」
「あの翁が柊を看たお礼を。」
「あ、こちらこそ大津を助けて頂き感謝しています。」
翁は柊の枕元に行った。
「具合はどうじゃ?茉莉花がよく持ち堪えたとそちの生命力に感心しておった。本当は助かるかどうか見込みは半々だったそうじゃ。」
「雨乃様に看て頂いたおかげです。」
吾は甘美な幻覚を思いだし心がときめいた。
翁は私に近寄り「雨乃に柊を託した茉莉花の判断は正解だったようじゃ。よく看てくれたのぅ。感謝するぞ。」と頭を撫でてくれた。
「はい。でもまだ水しか飲めませんし、起き上がることができません。これからも真心を込めて看病します。」
「頼んだぞ。良くなったらまた2人で此花の里にくるが良い。」
「はい!」
「讃良?どうしたのじゃ?いつものそなたらしくないが、大津のことが心配か?」
翁は皇后様の顔を覗き込み優しく訊く。
「いえ、何でもありません。」
…まったく翁は他のことはよく気が廻るくせに鈍感だ、女心と言うものがわからないらしい。
「ならば良いが。」と言いながら椅子にドカっと座った。
「雨乃、讃良もまぁ座りなさい。」
「のぅ、讃良、どうして新羅は大津を狙ったのだろう?あやつらは間違いなく頭の指示で大津を狙った。それもただの小刀ではない。毒殺できる威力があるのじゃぞ。」
「翁…」
「何じゃ、柊?」
「前夜の大津様と吾の会話を新羅が聞いていたとしたらどうでしょう?」
「大津が意のままにならぬと新羅が初めてわかったと言うことか?」
「でも讃良、それがわかっても大津がいなければ新羅は動けん。」
「いいえ、たとえば誰か新羅の意のままに動く第2の皇子様がいたらどうでしょう?」
「川島…」
皇后様は呟いた。
「ほぅ、讃良と柊の考えが一致したようじゃな。」
「川島と言う持ち駒が増えたことがどんな影響があるのでしょうか?」
「それは儂にもわからん。これで新羅が大津を諦めてくれれば良いがそう簡単に行くのか。」
「大津の身がこちらの手にある限り新羅も手出しはできぬであろう。」
「うむ。」
…こんなにも容易く占が変わるのじゃろうか?
翁はまだ何か引っ掛かるものがあるようだったが言葉を飲み込んだ。
この時、私も皇后様も大津様はもう大丈夫だと信じて疑わなかった。
翁の杞憂だわ。これで謹慎処分がとけ、喪が明けたら大津様が私を迎えにきてくれる!
翁は心配性じゃ。これで大津と雨乃が一緒になり待望の子が生まれこの腕に抱くことができる!

まさかこの日から1週間とちょっとで大津様の命が消えようとは翁さえ予想がつかなかった。


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Posted by jasmintea♪ at 01:10│Comments(0)小説
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