2007年09月17日

血の絆

大嶋が退出したあと誰もいなくなるのを待ち兼ねたように草壁が入ってきた。
顔を見た朕は驚いた。目に涙を浮かべ憔悴しきった表情だ。
「草壁、如何した?」
「母上、大津の運命は吾の運命だったのに申し訳ありません。」
朕は驚いた。
「草壁!そなた!」
草壁は大津と入れ替わっておることを知っていたのか!
「母上、お願いの儀がございます。吾が大津であることを公にして下さい。そしてその罪は吾が購います。長い間大津から母を取り上げていた償いにございます。」
「待ちなされ。今、大津を逃がす準備をしておるゆえもう少し朕に時間をおくれ。軽挙な振る舞いはなりませぬ。」
草壁は唇をかみ締めたまま下を向き黙っている。
「草壁、朕は2人とも愛し子として同じように大切に育てたつもりじゃ。朕とお姉様は一心同体であった。その姉上のお子は自分の子と同じ。どちらも大切な大切なタカミムスビ神からの授かりものなのじゃ。」
「はい…。」
「朕はどちらも失わない。必ず大津を説得し此花の里で大名児と生まれてくる子と3人で暮らせるようにする。じゃから、そなたも待っていておくれ。」
「母上…」
朕は男性にしてはひ弱なその体を眺めながら草壁の気を落ち着かせるように髪を撫でていた。
この髪の柔らかさも、細く儚げな肢体も、人への優しさも、芯の強さも何もかもがお姉様にそっくりじゃ。
それに比べ大津はガッシリとした体躯で意思が強そうな目を持ち、闊達にしてはいるがその内には弱さを秘め外見も内面も朕に似ておる。
お姉様と草壁、朕と大津。タカミムスビの神は皮肉な運命を与え給ふたものじゃ…。
「誰か、阿閉をここに呼びなさい。」
「はい、ただ今」
「草壁、そなたは氷高と軽の大切な父です。そしてそなたは我が父祖石川麻呂と母上に連なる葛城の血を受け継ぐ大事な御身、簡単に命を縮めてはなりませぬ。大津のことは心配せずとも良い。阿閉と嶋の宮にお戻りなさい。」
「…母上、吾は訳語田に行き大津を説得したいのです。お許しを頂くために参上しました。」
目をあげた草壁の顔は先程までと違い力強い意思を持ち言葉には力がこもっている。
…タカミムスビの神が草壁を大津の元へやるように言っておるのか。
ならば大津を説得できるのは草壁しかいないのかもしれない。
「わかりました。今すぐに輿を用意させましょう。」
「いいえ、人目につかない方が良いでしょう。吾のことはご案じ召されるな。では。」
と、草壁は部屋の戸を開けずにそのまますり抜け出て行った。
草壁を見送りながら朕はふと疑問を感じた。
何故、神の言葉を聞けない普段の草壁が大津と入れ替わっておることを知っていたのか?
もしや、記憶が混在してきているのか?
草壁もそろそろ姉上が亡くなられた年齢に近づいている…
朕は言いようのない不安な思いを抱いた。


訳語田は形容しがたい邪悪な霊気に包まれていた。
何故こんな霊気がここを支配しているのであろう?
誰が発する霊気なのか?まさか新羅の闇の者が結界を張っておるのか?
大津は邸の1部屋に兵政官の兵により拘束されていた。が、部屋の中での見張りはついていない。
吾は大津の後ろから声をかける。
「大津。」
大津は振り向きもせずに
「草壁、よく来てくれた。待っておったぞ。」と言った。
「そちはいつも子供の頃から吾が困った時はどこからともなく来てくれた。あの大津宮で迷子になり帰ることができなくなり立ち往生した時もそちが迎えにきてくれたの。あの時は叔母上に心配をかけた。」
「そんなこともあったの。ミカドや父上は大事ないと言うのに母上は伴もつけず1人で探しておられた。母上を見るに見かね吾はそちを探しに行ったのじゃ。」
「あの時のそちの腕は暖かじゃったの。」
大津は遠い子供の頃を追憶していた。
「我らは同じ日に同じ星の下に生まれしもっとも血の濃き兄弟。母上や父上にも我らの不思議な繋がりはわからぬ。」
「そうじゃの。草壁、そのそちに頼みがあったのじゃ。」
「うむ。そちの吾を呼ぶ声が聴こえた。」
大津はニッコリ笑った。
「念じればそちに届くと思うておった。」
「そちの話を聞く前に何故こんなことになったのか先に教えてくれぬか?何故1人で罪を被ろうとする?何故川島に友を告発する役を与えたのじゃ?」
吾の問いに大津は目を丸くし
「そこまでわかっておるなら話すことはもうないではないか。」と言う。
「いいや、そちの言葉できちんと聞き真実をハッキリさせなくては母上や大名児はこの先、生きてはいけぬであろう。」
大津はしばらく母上と大名児の面影を追うように虚空に視線を泳がせていた。
「そちの言う通りじゃ。草壁、吾の話を聞いてくれるか。」
大津はゆっくり話し始めた。


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Posted by jasmintea♪ at 11:57│Comments(0)小説
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