2007年09月22日

最期の夜

皇后様、大名児様の侍女の瀬奈が目通りを願っておりますが。
「すぐに通せ。」
先ほど翁との連絡を依頼したばかりなのにもう戻ってきたのか?朕はあまりに早い瀬奈の行動に不安を持った。
「瀬奈、早かったの。如何した?」
「皇后様、大嶋様より伝言を伺う前に翁から使いが参りました。訳語田の周辺は新羅の者が邪の結界を張っており秘密裏に大津様を脱出させるのは困難だと申しております。」
「秘密裏には困難、と言うと他に手はあるのか?」
「はい。結界を破れば問題はないのですが…。」
「ないのですが、のあとは言いにくそうじゃのう。」
「翁を始め此花の手の者が戦い新羅の結界を張っている者を倒すことが唯一の方法にございますす。」
「え?瀬奈、ちょっとお待ちなさい。それでは翁の命が危険にさらされることはあるまいか?柊は宮に置きたいので使えぬぞ。新羅の結界を張っておる者がどれだけの力を持つのかわからないのであろう?」
「皇后様、、翁には申すな、と言われましたが…。」
瀬奈は声を落として言う。
「構わぬ。申してみよ。」
「はい。翁はこれほどの結界を張れる者なら自分より力は上であろうと申されました。しかしこの老いぼれの命のひとつやふたつ、讃良と大津のために投げ打つ覚悟はできておる、と申され…茉莉花様も翁のお気持ちはわかっているのでお止めしませんでした。」
朕は瀬奈の言葉に衝撃を受けていた。
大津を助けたい、でもそうすると翁の命が奪われるかもしれない。
そんな、、そんなことが。
朕にどちらかを選べと言うのか!そのようなことをできる道理がない!
かたや少女時代からずっと心に思う方で、かたやこのお腹を痛めて生んだただ1人の我が子である。
「瀬奈、もし、首尾よく事が運び翁が傷つくことなく新羅の結界が破れたらそのあとはどうなる?大津が逃げたことは新羅の者に周知の事実となるの。さすれば、新羅は攻めてくるであろうか?」
「私にはわかりませぬが翁の情報では新羅の軍船はすでに筑紫の沖から動き出したと言うことです。そして新たな軍船も3艘、あちらの軍港を出港したと。」
朕は軽いめまいを覚えた。
「ふぅ…。わかった。しばらく朕を1人にしてくれぬか?ゆっくり考えなければ結論は出ん。」
…皇后様、今は時間がないのです。早く行動に移さないと既に先手をとられておりまする!と、瀬奈は言いたかったが苦悩する皇后様を見てその言葉を飲み込んだ。


一方訳語田では…
「草壁、この邸を囲む霊気に気がついたか?」
大津様は草壁様に訊ねる。
「霊気なのか結界を張っておるのかわからぬが邪悪な気を感じる。」
「そうなのじゃ。ここは表向きには兵政官の兵で固めているが普通の人間には感じ取れない気で包囲されておるのじゃ。」
「何故、そちが結界を張ってあるとわかるのじゃ?」
「昨日新羅の闇の長が訪ねてきた。」
「それと川島に告発させたことと関係があるのか?」
「うむ。新羅はどうしてもこの国に攻め入る口実が欲しいのじゃ。訳語田を包囲しておいてから吾を拘束したことを高市様、叔母上に伝えようとした。吾が拘束され新羅に連れていかれるのを黙って見ているわけにはいかぬであろう、そうなればこの国と新羅との間で衝突が起きるという算段じゃ。うまく行かずとも吾の身を拉致すれば最悪吾を旗印として攻め入ることができる。じゃから先手を打ち川島に密告の役を担わせてしまった。この身が無くなれば新羅は手がなくなるし川島も一度気脈を通じてしまっているのでその身の安全と一挙両得を狙ったのじゃ。吾は愚かだからこんな戦い方しか思いつかなかった。草壁、そちからも叔母上に川島や行心、道作への寛大な処置をお願いしてもらいたい。みな、新羅の上の者に心惑わされただけのこと。この通りじゃ。」
大津様は草壁様に向かって深々と頭を下げた。
「吾は明日早朝に死ぬ。新羅の者へ見えるように石を詰めこの身もろとも小舟と沈める。もう内密に手筈は整えておる。」
「大津、母上は此花の里で大名児と生まれ来る子と共に生きることを望んでおる。」
大津様の表情が一変した。
「大名児が、子をみごもっておるのか?」
「母上がそう言うておった。」
「そうなのか、吾の子を大名児が!」
大津様はしばらく喜びをかみ締めていた。
「草壁、世の中悪いことばかりではないな。粟津もどうなるかわからぬがそれが吾の選んだ道じゃから覚悟はしておった。それが大名児の中に吾の血を受ける新しい命が宿っておるとは!頼みごとばかりで済まぬが大名児のこと、我が子のことをよろしく頼む。愛しき我が子が謀反人の子として生きていくのは忍び難い。ゆえにそちの子として育ててはくれまいか?」
大津様は必死の目で草壁様を見つめる。
「吾の子としてでは大名児も母上もご不満ではあるまいか?」
「いいや、これは吾の願いとして聞いてくれ。そちのところなら何も心配はない。謀反人の子ではその命さえ全うできるかどうか。」
…大津の気持ちは痛いほどわかる。母上が育てたいと申されても周囲が許さないであろう。
「よし、大津、そちの言うことはわかった。吾にまかせてくれ。」
「ありがとう。あとの、大名児には決して吾がいなくなっても悲嘆に暮れず子のことだけを思い生きてくれ、と。母を早くに亡くした吾の寂しさを一番わかってくれたのは大名児じゃ。子にはそのような思いはさせたくない。父はなくとも母が凛として生きている、それだけで子は良いのじゃ。母と言うその存在があるだけで安心できるのじゃ。」
草壁様は大津様の母が皇后様であることを告げるべきか考えていた。
ここで秘密を打ち明ければ大津は母上のために生きようとするのではないか。
「話が違う方向に行ってしまったの。」
草壁様の迷いを断ち切るように大津様が声をかけた。
「吾が此花の里に行けば平和な里が新羅に狙われ多くの人が命を落とすであろう。あの優しかった本当の爺のような翁にも、吾を命がけで救ってくれた柊にも迷惑をかける。吾は此花の方々が何故か他人とは思えないほど優しくて暖かくて好きなのじゃ。吾のために誰かが死ぬなど是非もない。」
「大津、その気持ちはわかるが母上や大名児の気持ちも察してくれ。」
大津様は草壁様の説得には何も答えず静かに口を開いた。
「さぁ、難しい話はこれで終わりにしようぞ。草壁、今夜が我が人生最期の夜じゃ。今宵は眠りたくない。語り明かさぬか?」
「おぅ。」
「そうじゃ、これ。今日家の者に頼み無花果を山の中より摘んできてもろうた。」
大津様は包みを広げる。
「無花果か、懐かしいのぅ。桑名で父上のお帰りを待っていた頃忍壁と3人で探しにいったの。」
「そうじゃ。覚えているか?無花果は叔母上の大好物じゃ。あの時も叔母上が喜んでくれたのが嬉しくての。母上がいらしたらこうやって小さきこともあのように満面の笑みで喜んでくれるのか?と思った。それまでは姉と2人、近江のミカドのところで肩を寄せ暮らしていたからの。」
「大津、そちは幼き時より苦難の連続じゃったの。」
…済まぬ。それは吾が甘受すべき運命なのに吾はいつも父上、母上に守られ生きてきた。
「それでの、これを叔母上に差し上げてほしいのじゃ。大津の感謝の念と伝えてくれ。」
と、大切そうに元あったように無花果を包む。
「しかと。」
それから2人はたくさんの思い出話に花を咲かせた。
このまま時間を止めることができたら、と念じていたが時間は止まらずに無情にも夜は確実に時間を刻んだ。


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Posted by jasmintea♪ at 10:53│Comments(0)小説
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