2007年09月28日

追憶…無花果

花の咲かない果実…
この無花果のように大輪の花を咲かせることなく大津は若き命を散らした。

水死刑は大津の意思で朕が知らぬ間に実行された。
目隠しをされた大津は気負いもせず、臆することもなく堂々と小舟に乗り込んだと聞く。
朕は立会人となった大嶋と、前夜を共に過ごした草壁から報告を受けた。
大津は自らの命と引き換えに新羅の目的を阻止し、従容として死に臨んだ。
朕はその決意を聞き無花果を受け取り大津のたった独りの戦いを汚さぬよう、誇りを持って受け入れることを決め、雨乃にも包み隠さず全てを話した。
しばらくの間雨乃は泣いていたが
「あまり嘆くと大津様が心配で安らかに眠られませんものね。」
と、この時点では大津の死を受け入れ生きていく意思を見せ翁の占のようなことは阻止できた、と安堵していた。
朕は引き揚げの時に大津の最期の顔を見たいと大嶋に頼んだが
「水死刑のためお顔が変わっておられるので拝見されない方がよろしいかと存じます。大津様の笑顔だけを残して差し上げて下さい。」
と、涙ながらに説得され愛し子の顔を見ることはなかった。
しかし、引き揚げの段階で事態は急展開をみせる。
大津の変わり果てた姿を見た正妃山辺は
「大津様、お1人では逝かせませぬ。山辺がどこまでもお供します。」と叫び、裸足のまま走り、髪を振り乱し、大津が果てた同じ池に身を投げあとを追った。
それを聞いた雨乃の心は壊れた。
「私も大津様のおそばに行きます!」と言いあとは翁の占のとおりとなった。
命は柊により救われたものの心を閉ざし、言葉も発せず食事も受け付けない。
感情がすべて固まって涙を流すこともできないという。
泣き喚くことができるうちはまだ救いがあるのやもしれぬ。
大津の遺言と草壁の申し出により今は嶋の宮で柊が必死の看病をしているがこのままでは子が流れてしまうかもしれない。
草壁も大津を止められなかったことを悔い深く傷ついていた。
阿閉の話によると1日のほとんどを寝て過ごし、目を開けると「大津は?」と聞く。
「今、お出かけですわ。」と返事をすると微笑み「大津の赤子は?」と再び聞く。
「今、眠っています。」と言うと安心したように眠りにつく。
氷高が心配して声をかけてもほとんど返事もしないようだ。
そして朕が密かに心配しているのは翁…。
あれから柊を通しても、瀬奈を通してもまるで連絡がとれなかった。
此花の者が八方手を尽くして探しておるが茉莉花様共々行方がわからない。
何か緊急な出来事でもあったのか、争いごとにでも巻き込まれたのか、草壁と同じように大津を救えなかったことを悔いているのか、朕は杳として行方知れずの翁の心配を密かにしていた。

大津は逝き、雨乃は草壁のところで、柊も、瀬奈も翁もいない…。
大津が届けてくれた無花果だけがぽつねんと残っておる。
壬申年の戦の折、桑名で大津がとってくれた無花果は甘酸っぱくおいしかった。
「叔母上、叔母上の大好きな無花果です。どうぞ!」と自慢げに目を輝かせる大津。
礼を言いながら早速口にし、
「大津、この無花果は今までに口にしたこともない格別なおいしさじゃ。」と言うと満足げに胸をはり、嬉しそうに笑顔を浮かべておった。
我が息子と暮らせた幸せな日々を追憶し、幼き日の大津の笑顔を目に浮かべ目の前の無花果を一口かじってみる。が、味がしない。
この果物はこんな味もしないものじゃったろうか?
いいや、そうではなくて今は何を食べても味を感じないのかもしれない。
味だけではなく嬉しさも悲しみも、感情のすべてが凍りついていた。
季節が巡り花が咲き乱れてもきっと美しいとは感じないのだろう。
夏の暑さも、肌を刺すような冬の冷たい風も感じることはないのかもしれない。
体だけが生かされ心は死んでいる。
いつの日か親子の名乗りをあげることを支えに生きてきたのに。
思いっきり我が子をこの手で抱きしめるのを夢に見ていたのに。
もし、今、あの世にいけばまだ間に合うか?
大津に追いつき母と名乗り思いっきり抱きしめることができるであろうか?
長年寂しい思いをさせたことを詫びることができるであろうか?
そんな甘い幻想に心は支配されていた。

結果的には大津の目論見は成功し、新羅は旗印をなくしたためにスメラミコト亡きあとにつけ込みこの国を間接的に支配することは諦め軍船も引き上げていった。
大津の行動が正しかったことは図らずも新羅の動きにより立証され、この国は大津により救われたと言っても過言ではなかった、が、それは一部の者しか知らず朕は息子草壁かわいさに甥を手にかけたと人々の謗りを受けた。
それでも知らない人には何を何と言われても良い。
この国を守った達成感はなく虚しさだけが残り、代償はあまりに大きい。

我が子大津の死から7日…みな、血の涙を流し、全身に傷を受けながら生きていた。


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Posted by jasmintea♪ at 20:47│Comments(0)小説
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