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2007年08月05日

刹那

夜の帳に守られた恋人達の時間はもうすぐ終わりを告げる。
どんな苦しく悲しい夜もやがては明け朝がくる。
そして今しかない甘美な優しい夜にも朝はやってくる。
朝は別れの時間…。
「大名児、吾はどこにいようと、この身はなくなろうと、心はいつもそなたに寄り添っている。吾は光になりそなたを包むから強く生きてほしい。それが最後の約束じゃ。なぁに、あの時はこんなことを言って別れたの、と次に会うときは笑顔で言えるやもしれぬ。」
最後は気を紛らわせるようなおどけた口調だったが私は何も言葉が出てこなかった。
「そなたに会えて、そなたと寄り添えて吾は幸せだった。本気で人を想うことがこんなにも満たされるものだと教えてくれたそなたに礼を言うぞ。そなたの幸せだけが我が願い。大名児、さらば…。」
突っ立ったままの私の手をとり唇にあて大津様は出ていこうとした。
いけない、待って!皇后様の伝言が!
「大津様!」
私は辛うじて声を出した。
「皇后様が、、また次の年も一緒に山田寺で法要をしましょう、と。必ず一緒にと、それだけ大津に伝えておくれと。」
大津様は私の前まで戻り跪いた。そして凛とした涼やかな声で
「皇后様、大津、皇后様のご温情は終生忘れはしません。母のない吾をいつも見守り下さりありがとうございました。」
と、言い踵を返し入ってきた時と同じように靴音をかつかつ鳴らし出ていってしまった。
大津様の決意は固い。もう気持ちを変えることはできない。
私の耳の中で靴音だけが鳴り響いていた。


朕は気掛かりな一夜を送った。
眠られず志斐に酒を頼み昔語りを聞いているうちにウトウトし朝になった。
「そうじゃ、志斐、朝の食事を雨乃のところでとるゆえ2人分用意しておくれ」、と頼んだ。
瀬奈から大津が帰ったと報告をうけた朕は早速雨乃の元へ向かった。
雨乃は泣き腫らした目で今まで見たことのない疲れきった顔をしていた。
「まぁ、雨乃はひどいお顔でせっかくの美しさが台無しじゃ。さぁ、朕と食事を致しましょう。」
「皇后様、大津様は何故生き急ぐのでしょう。あまりにも刹那的過ぎます。」と独り言のように呟いた。
「雨乃、まずは蘇をどうぞ。そなたも今のままではゆっくり考えられないでしょう。一息つきなされ。」と、蘇を持ち勧めた。
雨乃は素直に差し出された蘇を飲み干した。
「大津は何と申しておりましたか?」
朕は雨乃に不安を与えないよう微笑みを浮かべたまま話を聞いた。
…謀反人と誹りを受けても構わない、もうそこまで覚悟をしておるのか。我が子の悲壮な決意に心は沈んだ。そなたは母に子を葬れ、と頼むのか!
しかし、自分の気持ちとは逆に微笑を残したまま
「雨乃、そなたの話を聞き安堵しました。大丈夫。大津は此花の里で翁に預けましょう。翁の了解はそなたがとってきてくれたじゃろ?あそこは山深く此花の者しか辿り着けません。訳語田を見張り動きがあったら大津の身を確保し、内密に此花に向かう。大津がいなければ新羅も手出しはできませぬ。」
それまでの力なく宙を彷徨うような視線が朕の視線と重なった。
「翁…」
「そうじゃ、さぁ、そうと決まれば雨乃、様々な場面を想定し応じた手筈を整えておきましょう。まずは何から手をつければ良いかそなたも一緒に考えておくれ。と、まずその前にちゃんと食事をしましょう。いつも『食べることが体を動かす大切なことなのです』と朕を叱るのはそなたじゃぞ。」
「はい。」
やっと雨乃の視線に力が宿った。
…先日、柊から聞いた道作が高市と組み朕と草壁を排除しようとしている計画のことは大津はまだ知らない。ここまできたら道作の罪状は明白じゃ。じゃが、道作を罰したら大津はどうするであろう。
朕は少し生気の戻った表情の雨乃を見つめながら1人、考えあぐねていた。  


Posted by jasmintea♪ at 16:49Comments(0)小説

2007年08月01日

最後の抱擁

大津様が入ってきた。
初めて会った日と同じように靴をかつかつ鳴らして。
そしてやはり初めて会った時のように闊達で清々しい声で私に話かける。
「大名児、久しぶりだったの。息災にしておったか?」
大津様の声、愛を囁いてくれる時は低くくぐもり、気持ちをぶつけあったあとはかすれた声になり、普段は涼やかに響く。
私はいろいろな折りに発せられる大津様の声が大好きだ。
…このお声が聞けて良かった。
私は喜びに何も言わずに大津様の胸に飛込んだ。
涙が次から次へと溢れていく。
「どうしたのじゃ。」
「ずっとどうなさっているか心配致しておりました。お顔を見たら嬉しくて言葉より涙が先に…。」
語尾はかすれて声にならない。
大津様はしばらく私をなだめるように優しく抱いていてくれた。
私はその暖かな温もりに少しづつ自分を取り戻していった。
「大津様、申し訳ありません。今日は大切なお話がおありなのですよね。」
私は大津様の腕から離れ椅子に腰掛けた。
「大津様もどうぞ。お話を賜ります。」
精一杯にこやかに微笑む。
「そなたに言い残しておきたいことと、頼みがあるのじゃ。大切なことなので取り乱すことなく最後まできちんと聞いてもらいたい。約束できるか?」
私は嘘がつけない。
「努力してみます。」
大津様はニッコリ微笑みうなづいた。
「実はの、先日、新羅の使いの者に会ったのじゃ。」
「行心とは関係なく?」
「いいや、仲立ちをしたのは行心じゃ。新羅の使いは吾に向かいこう言うた。『我が新羅はこれまでも英明な大津様がこの国を統べることを願い大いに支援して参りましたがこれまで以上に物的、人的支援をさせて頂く覚悟ですのでどうぞ何でもお申しつけ下さい。万一、大津様の御身が危なき時はお守り致しますのでどうぞ我が新羅へおいで下さりませ。』と。」
私は自分の血の気が引いていくのがわかった。
「支援して参りました、とはどういうこと?」
「そうなのじゃ。同席しておった道作の顔色がすぐに変わっての、聞けばすでに道作は新羅の援助を受けて難波に吾の即位のための宮を作ろうとしていたそうだ。以前そなたに話をしたが美濃の者を破格の待遇で大量に召抱えていたのはそのためだったのじゃ。」
「そんな…」
「難波の宮が焼失して計画が頓挫してより今度は新羅を難波に引き入れ美濃と双方向から明日香を挟み撃ちにすることを考えた。じゃが、これも難波を押さえられたので無理と諦めた。諦めたところでどうやら新羅が不審に思い動きに出たようじゃ。」
「大津様、それではご謀反になってしまうではありませんか。」
「そなたの申すとおりじゃ。ここまで計画ができていれば吾は謀反人じゃ。弁解のしようもない。でもの、大名児、吾は道作を責める気にはならぬ。そして道作1人に罪をかぶせるわけにもいかぬ。道作はただ吾の行く末を案じ考えただけのことなのじゃ。」
「でも…。」
「父上にもしものことがあらば、いや、それは遠くないうちに必ずやってくる。その時は新羅の手の者が吾を迎えにくる手筈になっておる。じゃが、吾は新羅の意のままに生きこの美しい国が乱れるもとにはなりたくない。吾は神と仰がれた父上の子なのじゃ。この国を出て吾を慈しんでくれた叔母上に背き敵となってまでこの命を長らえること、断じてできぬ。」
もう私に言葉はなかった。
「大名児、それでそなたに頼みが2つある。吾は父上が亡くなられたら新羅の手から逃れるために道作と美濃に向かう。吾がいなくなったら美濃へ抜ける関を固め美濃に入る前にこの身を拘束するよう進言して欲しい。そして万に一つ、この身が新羅の手に渡りそうになれば…。」
「……」
その続きは言わないで!聞きたくない!と叫びたいのに声が出ない。
「吾も一緒に父上のところに送ってくれるよう、叔母上にお願いしてくれ。」
「…大名児、愛しいそなたにこのようなことを頼み申し訳なく思う。じゃがこのことはそなたにしか頼めないのじゃ。吾はこの国を戦乱に巻き込むより謀反人と誹られる方を選ぶ。この吾の意思を叔母上、いや、皇后様にきちんと伝えられるのはそなただけじゃ。頼む。」
大津様はこの結論を出されるまで散々悩み迷ったのだと思う。
でも今は、ひとつの曇りもなく自分の導き出した結論を信じ、私の涙を見ても揺らぎはなかった。
「大名児、そなたを抱かせてくれ。今宵はそなたを離さない。吾の体にそなたを焼きつけ、そなたの体に吾を焼きつけたい。それがもう1つの我が願い。そなたのその体で吾を憶えていてくれ。」
大津様の声は低くくぐもっていた。
それからあとは私達は命のきらめきを精一杯体に記憶し合った。  


Posted by jasmintea♪ at 21:13Comments(0)小説

2007年07月29日

覚悟の逢瀬

最近の皇后様はひどくお忙しい。
大嶋や史、柊と会議をしたり、高市様と相談ごとをされたり、スメラミコトの病気平癒の法会を行ったりしている。
あいている時間はすべてスメラミコトの部屋で過ごされご自分の部屋に戻られるのは夜遅くである。
看病の半分を代わらせて下さい、とお願いをしたら
「雨乃、スメラミコトはずっと沢山の妃に囲まれいて朕も寂しい思いをしたのじゃ。こんなに長くお顔を見ていられるのはあの吉野以来。だから朕の楽しみを奪わないでおくれ。」と微笑んだ。
「それにの、きちんと最後を看取ってさしあげたいのじゃ。お姉様が亡くなられた時も、建が亡くなった時もスメラミコトが看取ってくれた。朕はスメラミコトには感謝しておる。それに何より朕が人生を賭けた御方じゃからのぅ。」と、寂しそうに語られた。
でも、皇后様のそんなお気持ちとは裏腹に群臣の中には皇后はスメラミコトを人に会わせないようにしている、それはきっとありもしない大権の禅譲を隠すためだ、と言う者もあり、それが大津様に心を寄せる人達に多いことが気になっていた。
大津様とはもうしばらく会っていない。
寂しかったり心配だったりするが回りの人達すべてが緊張状態に置かれている中で私がわがままを言える立場ではなかった。
しかし道作や行心との間はどうなっているのか、気持ち的には落ち着かない日々だった。

そんなある日、私は皇后様と山田寺の法会に出かけた。
「雨乃、ここは朕が敬愛する興志叔父上が建立された寺じゃ。叔父上は言われなき罪でこの場所で一族もろとも自刃に追い込まれ未完となっていた。朕はスメラミコトが即位されて一番にこの寺の完成を願い出た。スメラミコトは快くお許し下さっての、この仏様はお祖父様が庇護し懇意にしていた仏師にお祖父様にそっくりにするよう翁を通して計らってくれたのじゃ。」
私は仏様の顔を見つめた。
「皇后様、頬に穏やかな笑みを浮かべられています。」
「そうであろう。」
皇后様は嬉しそうに言った。
「ここにきてお祖父様のお顔を見ると勇気が湧いてくる。今でもお祖父様と叔父上の命日3月25日には残っておる一族の者で法要を営むのじゃ。併せて我が母とお姉様、建の法要を母上の妹姪様、大津、草壁、御名部、阿閉と朕で行うのじゃ。また次の年の法要も変わらず6人で行いたいものじゃ。」
「はい。」
「雨乃、今日ここにそなたを連れて参ったのは話したいことがあったのじゃ。」
「何でございましょう?」
「大津より朕に文がきた。」
「大津様が、ですか?どのような?」
「思うところがあり大名児に会って話がしたいのでそなたを一晩吾に預けて欲しいと。」
「…」
「宮からそなたを一人出し、大津に会わせることは大津に仕えし者が良からぬ考えを抱かないとは限らぬので明日夜に宮のそなたの部屋に大津を呼ぼうと思う。大津がそなたを傷つけるようなことはないので翌朝までそなたの部屋の警護は解く。それでどうかの?大津の話を聞いてやってはくれぬか?」
「皇后様、ご配慮感謝致します。でも大津様は何故そんなことを突然に…。何事かあったのでしょうか?」
私は不安な思いに駆られていた。
「それはわからぬが何もないのに突然にこのようなことはすまい。何があるのかよく聞いてやってほしい。雨乃、頼みますよ。」
「はい。皇后様は大津様にお会いになりませんか?」
「ホホ、そのような無粋なことは致しません。大津はそなたに会いたいと言っているのですから。」
私は皇后様の言葉に顔を赤らめた。
「ただの、、1つお願いがある。」
「何なりと。」
「大津にの、、」
「はい。」
「次の法要もぜひ一緒にしましょう、と伝えてくれまいか。必ず、一緒にと。」
「かしこまりました。」
私は皇后様のお気持ちが痛いほどわかった。
そして私は翌夜まで不安な長い、長い時間を過ごした。  


Posted by jasmintea♪ at 20:41Comments(0)小説

2007年07月25日

番外編愛のカタチ 大海人皇子

☆人生の終わりに☆
病になってどれくらいになるであろう。
特にここ2ヶ月くらいは吾は夢の世界をさ迷っている。
みな吾がずっと眠っていると思うているが誰が何を話しているかは聴こえている。
見ている者にはわからないようだが話しかけることは出来ないが話の内容は理解出来ていた。
この躯にどれだけの時間が残されているのかわからぬが「スメラミコト」と呼ばれ「神」と称えられた我が人生ももうじき終わりを迎えようとしている。
スメラミコトとして思い残すことはないが一人の男子(おのこ)としては悔いの多い人生であった。

若い頃の吾は女子(おなご)は自分の欲望を吐き出す道具としてしか思うておらなんだ。
女子なら誰でも同じ。
見目の良い女子を抱いても、優しい女子を抱いても、気の強そうな女子を抱いても結局は同じ。
美しい女子を我が物にすることには狩猟にも似た満足感はあったが一度我が物にしてしまえばどの女子も変わりはなく二度同じ女子を抱きたいと思うたことはなかった。
そんな折、吾は母上のところで美しい采女を見つけた。
しかしその女子は今までの女子とは違い、贈り物にも、情熱的な愛の囁きにも、皇子と言う地位にも靡かなかった。
「私は体を合わせれば気が済むだけの殿方とは一緒になりたくはありません。」と言った。
何故吾が体をあわせれば気が済むなどと思うのじゃ?と不思議に思い問うと
「あなた様の目は私を愛おしいと思ってはいません。女子なら誰でもよろしいのなら私でなくとも構いませんでしょう。」、と言い放った。
何て女なのだ、と腹を立ててもその女は気品に満ち溢れ、何ものにも媚びない力強さを持ち、しかも母上と接する時には聖母のような優しさを見せた。
吾は次第に彼女のことばかりを考えるようになり、どんどん惹かれていった。
用もないのに母上の宮に行くものの彼女にまた拒絶されるのが怖くて話かけられずにいた。
そんな状態が続いたある日、宮から退出しようと母上の部屋を出ると外に彼女が立っていた。
吾は突然訪れた偶然に胸の高鳴りを押さえきれずに「どうしたのじゃ?」と上ずる声で聞いた。
「大海人様を待っておりました。額田はあなた様とたくさんの話をいたしたく存じます。」
女子の身で皇子を誘うとは何という大胆さじゃ。そして吾の心の変化を見抜いていたその細やかな眼力にも驚いた。
彼女と初めて体を重ねた時は今までに経験したことのない陶酔を感じた。
心に想う女子を抱くことは何と幸せで心満たされることなのだ、と感じたあの日の喜びを今でも憶えている。
そうじゃ、吾は一生彼女と、彼女が授けてくれた愛おしい娘を守りたかった。
それなのに吾は彼女を手放し、結果大切な娘も自殺に追い込んでしまったのだ。
必ず守ると誓った大切な大切な吾の宝だったのに。
彼女に対する罪は償っても償いきれない、いくら悔いても時間は戻らないのだ。

それなのに、額田は昨日も吾を訪ね吾の顔を見ながら静かに座り、若かりし頃の話を1人していた。
「大海人様、覚えています?あなたが初めて私に話しかけて下さった時、私は本当はとっても嬉しかったのよ。あんなに生意気なことを言ったけど私は初めからあなたを想っていたの。私を見つけてくれて、愛してくれてありがとう。」
…額田、何もしてあげることができなかったばかりかそなたを苦しめたこの吾に礼を言ってくれるのか。
吾こそ、そなたに礼を言いたいのに言葉を出すことができない…
「あら、大海人様、涙を流されて。」
彼女は吾の流した涙をその懐かしい唇で吸ってくれた。
額田、額田、何度生まれ変わろうと吾は必ずそなたを探し出す。
今度はそなたと十市だけのために生きる。
「大海人様、一人先に行くのは寂しいでしょうが私もじきに参ります。私が行くまでに大田様ばかりと仲良くしないで下さいね。そうでないと妬けてしまいますわ。ああ、やっと、今だからあなたに言える。女はいくら他の男性に抱かれようと真(まこと)の心をを捧げた方は絶対に忘れることができないのよ。」
「大海人様、×××」

額田、わかった。
吾は一足先に行きそなたを待っておるからの。
遠ざかる意識の中で額田を感じながら吾は母の胎内に戻っていくように再び眠りに落ちていった。  


Posted by jasmintea♪ at 22:14Comments(0)番外編

2007年07月22日

天皇位と大王位

それから柊は声もたてずに静かに涙をこぼしていた皇后様の了解を得、大嶋を皇后様の御名で召し翁の文の難波に関わる部分までを詳細に説明した。
大嶋は新羅の戦闘態勢が整っていることに驚き、そのまま高市様を訪れ了解を得て早速軍の編成にとりかかった。
翌日の午後には難波津は兵であふれていた。

そして、難波津の兵を確認した道作。
…何故急に難波に兵が集結したのだ。
誰かが密かに進行している新羅の計画に気がついたのか。
しかし倭にいては新羅の動きはわからぬはずじゃが…。
これで難波津からの上陸をあきらめるということは、新羅の軍事力をアテにできない、、となればあとはどんな手があるのじゃろう?と、考え込んでいた。
大津様の才知と力量をもってすれば国はきっと治まる。
いや、そうではない。行心は「太子の骨法、 是れ人臣の相にあらず、 此れを以ちて久しく下位に在らば、 恐るらくは身を全くせざらむ」と予言したではないか。
何か方法があるはず。
道作はしばらく考え込んでいたがやがて顔をあげ従者を呼んだ。
「博徳殿に今宵伺いたいがご都合を聞いてきてくれ。」と声をかけた。

その夜の博徳殿の邸では…
「道作殿、何か火急のご用でも?」
「火急ではないのですがちょっと博徳殿の知力を拝借致したく参上いたしました。これは土佐の酒です。飲みながらやりませぬか?」
「おーー、土佐の酒は旨いと聞いておるぞ。ありがたく。」と言い杯の準備をさせた。
杯を合わせながら
「で、ご用件は?」と、旨そうに一口舐めるように味わったあと聞いた。
「はい。ちょっと伺いたいのじゃがスメラミコトが高市様を後継に指名されたのは天皇位ぞ?大王位ぞ?」
「???申し訳ない、道作殿、質問の意図がわかりませぬ。」
「すまぬ。まだ考えがまとまっていないのでうまく話せぬのじゃ。そうじゃの、、、」と、少し頭の中を整理するように、
「今のスメラミコトは新しい制度で新しい国を作り自ら天皇と名乗られておる。が、倭の王は連綿と続く祭祀を司った大王家じゃ。大王は政は直接は行わずに臣の具申を裁可し、臣に守られ、天の意を聞くために古来より伝わる祭祀を行ってきた。蘇我氏の娘を娶ることでその莫大な財の恩恵に浴し血を受け継いできた。近江の帝は蘇我の男系を滅ぼしながら娘達を次々娶った。そしてスメラミコトはその先の帝と蘇我の妃の間に生まれた娘を娶り、ご自身の皇子達にの蘇我の娘を娶わせ更なる財と血統の集約を行った。その中でも葛城の流れを汲む遠智様の流れは絶対で人々の尊崇を集めてきた。その大王位も高市様が継げるのか?政を行う天皇位を高市様が継がれることに異はない。が、高市様は葛城はもとより蘇我の血も引いてはおらぬが。」と、一気に喋った。
「それはそうじゃ。そちの言うとおり。」
「それでのぅ、その足りないものを埋めるために高市様と組むことはできないだろうか。スメラミコトの天皇位は高市様が継ぎ大王位に大津様を推挙して頂く。」
「しかしスメラミコト統治中から祭祀は皇后様が行われていたぞ。」
「じゃから皇后と草壁は宮の奥に祀りあげ小事の祭祀だけをすれば良い。大王位に指名された大津様の捉え方は日嗣皇子と同じじゃ。高市様の政も助け大事の祭祀を行う。後に何年かして高市様の後継として天皇位も大王位も統合した形で皇太子(ひつぎのみこ)に大津様をたてて頂ければ良い。高市様も皇后に遠慮しながら政を行うよりは楽であろう。悪い話ではないと思う。」
「うーむ。」
「今までの大王の即位の年齢を考えると大津様はまだまだお若い。じゃが藤原宮を建て、貨幣経済を流通させ、官人機構を整え倭を国家として確固たるものにしていくには高市様の右腕として大津様は絶対に必要じゃ。現にここ数年スメラミコトの政を具現化してきたのは高市様と大津様のお2人じゃ。今までとおり高市様の支えとして大津様を使って頂けば良いのじゃ。」
「つまり大津様の敵は高市様ではなく草壁様と認識されたということか?」
「そうじゃ。新羅の手を借り武力を使うより時間を待つ方が賢明じゃ。あと10年して大津様がちょうど即位に良い年齢になる頃は皇后は年をとるし、群臣は言わずと大津様の登極を望むであろう。高市様の次は大津様、そして大津様の次は長屋王で良い。どうせ皇后は高市様のあとは草壁、軽と自分の系統で独占するつもりであろう。我らは大津様を後継にしてさえ下されば最大限高市様を尊重するし皇后にたつ御名部様もお子様方も大切にする。どうであろう?高市様にとって皇后と組むより魅力的であろう?」
「うーむ。」
「博徳殿、さきほどより『うーむ』ばかりでは良いのかダメなのかわかりませぬぞ。」
「いいや、よくここまで考えられたと感心しておるのじゃ。確かに新羅の力を借りるより実現性も高い。」
「そうですか!」
「ただ行心がどう出るかじゃ。大津様に新羅の力で即位頂くことが行心や新羅の願いじゃからのぅ。」
「はい。それも考え申した。しかしそれは大津様が帝位についた暁には新羅を尊重する外交方針を約束すれば良いかと。」
「うーむ。」
「また戻ってしまいましたな。」
「いいや、道作殿がこんなに知恵者とは思ってもおりませなんだもので。これは失敬な言い方じゃが。儂などより頭が切れるわぃ。」
「またそのようなことを。吾はただいつも大津様が吾に教えて下さったことをひとつずつ思い出していったのです。藤原京建設も貨幣経済の流通も新羅との外交方針も、大津様は難しいことをこのような吾にわかりやすく真剣にお話下さるのです。やはり大津様は類稀な御方にございます。」
「主を思う一心じゃの。いやいや、道作殿の言いたきことはよくわかった。あとはどうやって計画を組み立てていくかじゃの。まずは高市様にどうやってご同意頂くかが重要じゃ。誰が話をするのか。」
「はい。それは博徳殿の知力を拝借し一番有効な方法をとりたいと思うております。壬申年の戦を一緒に乗り切った御仁で大津様にお味方下さる方が適役かと。いや、大津様ご自身が高市様を説得されるのが一番やもしれませぬ。」
「うーむ。一度にたくさんは考えられん。申し訳ないが道作殿、今宵はこのくらいにして本格的に酒を飲まんか?」
「はい。ここまで吾の考えが大きくは違っていないことに安堵しました。いや、滅多に使わぬ頭を使いましたので少々疲れました。博徳殿、明日もこの件でお訪ねしてよろしいか?」
「もちろんです。明日夜にはもっと突っ込んで打ち合わせましょうぞ。それまでどなたが適役か考えておきましょう。」

それから博徳は道作にたくさんの酒を勧めた。
酔った道作を家の者に送らせたあと此花の翁より連絡役として置かれている家の者を呼んだ。
「こんな時間にすまぬが柊殿に火急の用件でお目にかかりたい、と伝えてくれ。できれば柊殿がこちらにお越し頂く方が後を尾られる心配もなかろう。必ず今宵のうちに、と伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
「おい、誰かおらぬか、儂に水をくれぬか。」と声をかけた。  


Posted by jasmintea♪ at 16:06Comments(0)小説

2007年07月18日

愛しき讃良へ

封印のしてある美しい紙を見つめながら皇后様はため息をついた。
「美しいものには不吉を感じます。悲しみや衝撃を包み込むためにわざと美しく装っているような。読むのが恐ろしい気もするのぅ。柊、そちが読んでおくれ。」
「かしこまりました。」
柊は封印を切り中身を取りだし静かに読み始めた。


讃良、儂は今新羅にいる。
万一のためにこの文を2通作成し儂は筑紫、銀杏は難波より帰る。
そなたが読むこの文は銀杏が持ち帰るものじゃが、そなたの手元に届くより儂の筑紫到着の方が早かろう。
儂は西国各地の様子を見極めながら帰るのでもう少し時間がかかる予定じゃ。
さて今回新羅に渡りいろいろ調べ考えたことを書き記す。
壬申年の戦の折りは唐と倭が手を携えることを懸念した新羅は唐との関係が深い近江側より大海人殿を支持し即位とともに親善使節を送ってきたりした。
新羅の願いはただひとつ。
唐に戦いを挑みながら半島より追い出し韓民族の統一国家を構築すること、そのためには倭と友好関係を保つ必要があったからじゃ。
しかし、新羅の悲願が達成された今、倭に対する見方も変わってきた。
それでも大海人殿がいれば目立った動きはできなかっただろう。
しかし倭の神が病に倒れた。これは新羅にとって千載一遇の倭を手中にする好機なのじゃ。
新羅はかつて倭が百済からの多くの人を受け入れたことを記憶している。
倭を新羅化することで唐の驚異を軽減するように方針を転換したのじゃ。
新羅は既に動員令をかけ水軍の編成を終えている。
初めは筑紫に本営を置く予定だったが明日香に一番近い難波から攻め入るつもりじゃ。
儂が見た船は1艘で20人くらいの兵を運べるであろう。その船が30艘港に並べておった。
新羅が今回の件で倭に投入する兵力は600ほどの計算じゃな。
間隙をついて600で難波に上陸すれば一気に雌雄を決することができる算段なのじゃろう。
新羅に比べ倭の準備はほとんどできておらん。
ほとんどできていない、ではなく何も手をつけてない、と言うべきであろう。
まずは急ぎ難波の港を固め簡単には上陸ができないようにせよ。
難波津が兵であふれ簡単には落とせないとなると必ず行心は本国へ使いを出す。
そうなると本国でも難波以外の上陸地点を探す他はなくなるが遠距離の行軍は兵糧を考えれば無理じゃ。
それに倭制圧に日数を有すれば唐が動き出す危険がある。
これでは無理、と、もし新羅が判断し兵の展開を諦めた場合、次の手は何じゃと思うか?
その前に、新羅が兵力で明日香を制圧したとして、彼らはどんな方法で倭を新羅化していくだろう?
たぶん多少時間はかかっても危険性が少ない方法を選ぶであろう。
そうじゃ。自分達で統治するより自分達の意のままになる倭の大王をたて協力者となる。そして兵を駐留させる。
要は徐々に倭に新羅人を増やしていけば良いのじゃ。
では、話を戻して兵力を展開できなかったら次の手をどう打つか?これはもう賢いそなたにはわかっておるであろう。
自分達の意のままになる大海人殿の後継者たる身を確保することじゃ。
その後継者を一旦新羅に連れ再び倭へ向かうなら筑紫から攻め入ってもその軍は倭制圧の軍ではない。壬申年の戦と構図は同じじゃからの。
そう、人望があり、より多くの者を味方にできる、が、まだ政治手腕は未知数、しかも唐に近くなく対新羅に対する基本的外交路線は大海人殿の考えを引き継ぐ大海人殿の皇子、となれば新羅の狙いは大津しかなかろう。
良いか、大津を明日香より外に出してはならぬ。
もう行心は大津の脱出計画を練っており本国に通達し、倭の近海を離れたら軍船が迎える手筈を整えておる。
訳語田を此花の手の者で見張らせ関を固めよ。
しかしのぅ、讃良。
そなたと身二つになった時にあんなに元気に泣いていた嬰児(みどりご)、儂もこの泣きっぷりならこの国を統べる身になるやもしれぬ、と期待をかけた嬰児にこんな運命が待っておるなどと誰も思いはしなかったのぅ。
嬰児が本来の名と違う名で呼ばれようとも儂はそなたの血を受け継ぐ者をいつも見守ってきた。
かの戦の折りに近江の宮を脱出し大海人殿の許へ道作と駆けつけようとした時に野盗に襲われはしまいか、近江方に見つかりはしまいかと心配でずっとあとを追ったのが昨日のようじゃ。
儂はここまで育てあげてくれた道作に感謝しておったのに、こんなことになってしまうとは口では言い表せないほど無念だ。
何故タカミムスビの神はこんな苛酷な運命をあの嬰児とその母に与え給ふのか。
こんなにも長く生きながら讃良の愛しい者を守ってやることもできない己に怒りを覚えたり、運命を呪いたくなったりもする。
でものぅ今、儂はそなたに言わねばならぬ。
互いにいくら辛くとも己の情に流されては道を誤る。
先人達が作り上げたこの国つ神がおられる美しい国を異国の支配下に置いてはならぬ。
儂はこの命ある限りそなたの苦しみを共にこの身に受ける覚悟じゃ。
じゃから儂と共に運命と戦ってくれ。
できうる限りのことをして愛しい者を守ろう。
今はそなたが凛として前を向いて生きることを心より願っておる。
我が愛しき讃良へ


吾は一気に読みあげ大きく深呼吸をした。
皇后様も吾も一言も発することができずに部屋は重たい静寂が支配していた。  


Posted by jasmintea♪ at 12:32Comments(0)小説

2007年07月18日

突然の来訪

先日の火事以来外を歩く人が急激に減った。
「大津様が兵を挙げて壬申年の戦が再び起きるそうだ。」とか「難波の海から新羅が攻めてくるそうだ。」と、人々は噂をした。
何故、どこからそんな話が出るのかわからないがまことしやかに伝わり壬申年の混乱を記憶している人達は財産を隠したり、逃げられる場所を確保したりしていた。
そんな政情不安を煽るように火付けや強盗が横行し自分の身は自分で守るしかない民達は不安な毎日を過ごしていた。
このままでは統治能力を疑われマイナスになると判断した高市様は皇后様に承諾を得てスメラミコトの名で食封を賜った。
スメラミコトの皇子、近江の帝の皇子、寺院と幅広く賜り、和を訴え人心の安定に努めたがスメラミコトの病状はいくら秘しても伝わりやがてくる神の死を目前に人々は浮足だっていた。


「雨乃様、至急内密に雨乃様にお目にかかりたいと茉莉花様がおみえになっていますが。」
私は瀬奈の言葉に驚いた。
「大変!早くこちらに。急いで柊を呼んでちょうだい。」
「はい。かしこまりました。」
柊は驚いて駆け付けた。
「茉莉花様が直々のお越しとはどのような用でございましょう?」
「柊も知らなかったの?」
「はい…。」
と、話していた時に茉莉花様が入ってこられた。
「雨乃様、お久しゅうございます。」
「茉莉花様、こちらこそご無沙汰しております。よくお越し下さいました。」と、頭を下げた。
「茉莉花様、御用がございましたら呼んで頂ければ吾が伺いますものを。」と、柊はまだ茉莉花様の突然の来訪に驚いている。
そんな柊を見ながら
「何を申す。柊は今は雨乃様の警護を怠ってはなりませぬ。」と微笑んだ。
「あ、茉莉花様、どうぞお座り下さいませ。」
「まぁ、雨乃様は相変わらずで。そんなにお気遣いなく。実は今、翁は旅に出ておられます。」
「あら。茉莉花様を置いてお1人でですか?」
「はい。危険なのでそなたは連れていけぬと。」
「危険とは、翁はどちらに行かれたのですか?」
「それが、新羅に…」
「新羅???」
私も柊も素っ頓狂な声をあげお互い顔を見合わせた。
「驚きますよね。私も翁が新羅に行くと言い出した時は驚き止めましたもの。」
「いつからですか?」
「高市様後継を柊が報告したあとすぐに。相手の動きを知らずに戦略は立てられないと。」
「翁らしい…」
「それで今日茉莉花様がわざわざ足をお運び下さったのは翁から連絡があったのですか?」
「はい。筑紫まで戻ってきました。一刻も早く讃良に伝えよ、と。どうしましょう?讃良様に、と言われても私はお目にかかったことがないし、身分などない普通の里の娘なので考えあぐね雨乃様のところに参りました。」
「そういうことだったのですか。わかりました。申し訳ありませんが茉莉花様、ちょっとここでお待ち下さいね。」
私は席を立ち瀬奈に声をかけた。
「志斐に私が急ぎ皇后様と話がしたいのですぐに伺いたいと伝えてくれる?」
「かしこまりました。」

そして…
「茉莉花様、初めてお目にかかります。讃良にございます。」
と、部屋に入ってくるなり皇后様は茉莉花様に頭を下げた。
私の報告を聞いた皇后様はご自分の部屋だと茉莉花様が窮屈であろうからこれから忍びで1人そなたの部屋に行くゆえ先に戻り待っていてくれ、と言われた。
茉莉花様が椅子から飛び降りあいさつしようとしたのを見て
「茉莉花様、どうぞそのままで。朕も座らせて頂きます。」と言い腰かけた。
「茉莉花様、朕は少女の頃に菊千代様と契りを結びたかったのです。何度も何度もお願いしたのに断られてしまいました。」と、笑いながら言われた。
まだ緊張している茉莉花様の気持ちを解きほぐすように
「菊千代様が妻を娶ったと聞いた時は衝撃を受けました。まさか婚姻なさるとは夢にも思うておりませなんだので。でもこうして茉莉花様とお目にかかれて嬉しいです。」と微笑んだ。
茉莉花様は困ったように私を見た。
「茉莉花様、何か?」
「いえ。雨乃様、讃良様と直接話して構わないのですか?」
「茉莉花様、讃良は菊千代様なくば皇后と呼ばれることもありませなんだ。今の朕があるのは菊千代様と此花一族のおかげ。翁を支え、里の者に読み書きを教えたり薬学を教えて下さる茉莉花様にはずっと感謝しておりました。どうぞお気遣いなくいつも翁と話をされるようにお話下さい。」
「讃良様、ありがとうございます。」

…やはり皇后様は素晴らしい方だ!と私は感心していた。

「翁は新羅に渡られたと雨乃より聞きましたが。」
「はい。讃良様のためには新羅の情勢がわからなくては話にならぬと献上のための財宝を持ち銀杏だけを伴い向かいました。」
「銀杏だけとは…危険な。」
「明日香が大変な折に儂のために人を割かなくとも良い、と。あ、でももう筑紫に戻りましたので大丈夫にございます。」
「して、翁の伝言は?」
「これを直接讃良様に渡し柊と2人だけで読むようにと仰せです。」
と、美しい倭紙に包まれた文を手渡した。
皇后様は受け取り
「此花の里の紙作りの技術は素晴らしい。他所で産される紙とはまるで違います。」
と、感心された。
「ありがとうございます。志斐様の兄上柏様が先頭に立ちどんどん新しいものを作っております。では讃良様、私は雨乃様とつもる話もございますので他に移りますが…。」
「茉莉花様、お気遣いなく。朕は自室にちょっと戻って参ります。雨乃、申し訳ないがここで茉莉花様歓迎の食事をしましょう。志斐を遣わすゆえ瀬奈と2人で準備させて下さい。雨乃は続き部屋で茉莉花様とお話の続きを。では、柊、参りましょう。」
と、部屋を出ていかれた。  


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2007年07月15日

走り出した謀反計画

スメラミコトはもう意識がないことを隠すために大権禅譲の勅が発せられた日よりスメラミコトの部屋は秘された。
入口の前には大嶋の兵政官の手の者が正式に警固にあたり誰一人として自由に出入りできなくなった。
大嶋は不測の事態に備え皇后様と高市様の警護も兵政官を使った。
これは見方によっては皇后様と高市様の示威行動に見えなくもない。
皇后様は急ぎ大嶋を呼んだ。
「大嶋、何故厳重な警戒をするのじゃ。過剰な警護は戦闘態勢の様相に見え道作や行心を刺激するだけぞ。」
「皇后様、お言葉ですがスメラミコトの強奪が無理となった今彼の者らはどんな手に出るかわかりません。高市様からも皇后様の警護を厳重にするよう直接言い付かっております。」
「大嶋。」
朕は深くため息をついた。
「それと皇后様にお願いの儀がございます。大名児様の警護も我が手でいたしとうございます。万一大津様方に浚われては一大事。」
「ちょっと待て、大嶋!何と申す。あの2人は想い人同士ぞ。大津が浚うなどあるわけないではないか。」
「お言葉ですが『大津様が』、とは申しておりませぬ。皇后様が大事に想う方をその周りの者が利用しないとは言い切れませぬ。現に難波宮の件は大津様がご存知ないところで計画が進行していたではございませんか。」
「それはそうじゃが…。」
「ご了解頂けるのでしたら皇后様から柊殿にこのことをお話頂きたいのです。」
「柊が?如何した?」
「大名児様の警護は我らがいたします、と申し上げたら『吾は皇后様より大名児様の警護を申しつかっておりますゆえ皇后様のご命令なくばこの役、他のどなたにも譲ることはできませぬ』、と強く申され我らも手を出せませぬ。」
「そうか。柊がそのようなことを。そうじゃの。柊の言う通りじゃ。良いか、大嶋。雨乃はそのまま違う世界に返すべき女子、朕は雨乃に対しその責任があるのじゃ。朕が命じる。雨乃の警護は柊にまかせよ。あの者は朕が敬愛する此花の菊千代の翁が認めている男子じゃ。心配はいらぬ。しかし、朕の警護は大嶋、そちに頼む。その手で朕をしっかり守ってくれ。」
大嶋はまだ何か反論したそうだったが朕の身をまかす、と言われたので引き下がらないわけにはいかなかった。
「ご高配、感謝いたします。この命をかけ皇后様の御身をお守りいたします。」と下がった。

最近は誰と話をするのもその者の見えない意図を考察しなくてならない。
その中で最善と考える方法を選び一番大切なことのためには他のことには目を瞑る。
毎日毎日神経が磨耗していくようだ。
こんなことで朕は大津を、雨乃を守られるのだろうか?
朕はただ1人甘えられる存在である翁に無性に会いたかった。


一方、大津様に悟られないように道作は行心と会っていた。
「行心殿、先般は過分なご配慮、感謝申す。」
「あれは新羅の気持ちじゃ。新羅では儂の説得により大津様支持で一致しておる。援助は惜しまぬゆえ必要であれば申し出てくれ。」
「ありがたきこと。しかし最近の高市・皇后側は警備を厳戒にして我らを挑発しておるようじゃ。」
「少し薬が効きすぎたかもしれぬの。」
「何のこと?」
「いいや、何でもない、何でもない。大権が禅譲されたからにはスメラミコトを強奪しても意味のないこととなった。この上は力勝負しかない。」
「しかし『大権禅譲』などと今まで聞いたこともない。誰がそんなことを考えついたのじゃろう?」
「わからぬが誰か頭の良いヤツがついておるようじゃの。」
「このままの兵力で我らは高市・皇后側に勝てるであろうか?」
「何を申される。あの強大な唐を駆逐したわが国が支援すればこのような島国、屈服させるのはわけもないこと。筑紫に拠点を置くことも考えたがやはり難波より入り美濃と呼応し明日香を落とし高市と皇后を追いやれば大津様のお人柄に期待を抱いている群臣がわれ先にわれも先にと大津様の下に集うであろう。大津様はそういう星に生まれた御方じゃ。」
「そうじゃ、そうじゃ。吾も大津様のためにこの命などいつでも投げ出す。あとは大津様に申し上げるタイミングじゃの。」
「美濃の兵がもう少し整ってからで良かろう。後顧の憂いを失くしてから颯爽と大津様にお出まし願おう。」
「おう。吾は大津様がその凛々しいお姿で馬に乗り諸臣を随えておる夢を見るぞ。」
「もう少しの辛抱じゃ。こうなるとスメラミコトの命がもう少し長らえてくれると良いの。」
「そうじゃの。ともかく我らは準備を万全にしよう。」
「明日香から美濃へ抜ける道は用意できておるか?」
「そうなのじゃ。それは幾通りも考えておかねばならぬ。そして国境には兵を駐留しておかねばならぬの。」
「明日香からなら難波の方が近くはないか?」
「いや、難波の方が人目につくし海を背には守りにくい。我が故郷美濃なら山が多いし土地も熟知しておるので大津様をお守りしやすい。」
「よし、あとは少しでも味方を増やしておけると良いの。呼応しそうな皇子はどうじゃ?」
「大津様と竹馬の友の川島様、一緒に壬申年の戦の折桑名で時間を過ごした忍壁様、大津様を慕ってやまない忍壁様弟君磯城様はお味方頂けると確信している。」
「諸臣は如何?」
「中臣意美麻呂殿は大津様が登極の暁にはそれなりの地位を用意すると伝えたところ全面的に協力をすると約束しています。博徳殿も巨勢多益須殿も大丈夫でしょう。」
「よぅし、そうなればあとは博徳殿の知恵を借りて詳細な計画を練りましょう。穴があってはなりませぬ。我らも実際に会うのは今日を限りと致しましょう。あとは我が新羅の闇の者を使っての連絡とするのでご承知おきを。」
「はい。次にお目にかかる時は乾杯の杯を。」
「では大津様の御為に。」

この日から謀反は実行を念頭に置き走り出した。  


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2007年07月12日

大権禅譲

「皇后様、あの火付けは失火として始末致しましたがどうも妙な口の端を流しておる者がおります。」
「大嶋、どんな口の端じゃ。」
「民のあいだではあれは忍壁様の失火だと。」
「忍壁の失火?それは火付けを企んだ連中が流しておるのか?」
「皇后様、発言してもよろしいでしょうか?」
「史、ここは正式な場ではない。発言はいつでも自由ぞ。自分の思うことをどんどん申してみよ。」
「ありがとうございます。あの火付けの目的は何だったのでしょう?」
「庸を灰にすることではないのか?」
「それも目的のひとつだったかもしれませぬが主目的は違うような気がいたします。短絡的かもしれませぬがやはり行心の手の者としか思えないのです。」
「そうじゃの。朕もそう思う。」
「まさか…。」
「柊?どうした?」
「いえ、もしかすると皇后様、難波宮を巡る謀を考えますれば狙いがスメラミコト、と言うことはございませんか?」
「柊殿、吾もそう思います。」と、史は同調した。
「そうか。受け皿である難波宮がなくなろうともスメラミコトを手中にしたら勅を出すことができる。」
「はい。」
「あの折たまたま雨が強く降って火は思ったほど勢いがつかなかった。もしもっと広まったら…。」
「そうでございます。火消しでてんやわんやの隙をついてスメラミコトを連れ出すつもりだったかもしれませぬ。」
「そうじゃ。そうすると辻褄があう。」
「そんな…あの夜、スメラミコトの部屋は雨乃と薬師しかおらなんだ…。やろうと思えばできる。しかし何と危険な…。スメラミコトについておる者の命が危ないではないか!何か打開策はないものか。」
と、皇后様は一同を見渡し聞いた。
「皇后様、、」
「史、何じゃ?」
「スメラミコトに、、大権をお譲り頂いたら如何でしょう?」
「大権を譲る、とはどういう意味じゃ?」
「はい。スメラミコトが持っている統治権をお譲り頂くと申しましょうか。スメラミコトの地位はそのままスメラミコトでスメラミコトが実施していた政策の裁可や、人事権、裁判権、軍事権など権限だけを禅譲して頂く形となります。」
「史、もう少しわかりやすく有体に話してみよ。」
「はい。万一、スメラミコトを違う場所に強奪し、スメラミコトが発したなどと勅を偽造する輩がなきよう大権をお譲り頂くのが肝要かと。」
「そうすればスメラミコトを基点とした謀などできなくなるということか。」
「御意。大権を譲り渡したあとのスメラミコトの勅は有効ではございません。」
「うーむ。そちの言うことはわかる。じゃがの、もうスメラミコトはすでにそのような勅を出せる状態にはない。意識はほとんどないのじゃ。」
「ですので皇后様…」
史は声を落とした。
「皇后様がスメラミコトからその旨をお聞きになったことにすれば良いのです。」
「何を申す!それでは偽の勅ではないか!」
「そうではありませぬ。スメラミコトが御意識がないことは高市様、皇后様と大名児様、瀬奈以外に存じておる者がありますか?」
「あとは薬師だけです。」
「ならば、スメラミコトから皇后様が聞かれたことに異を唱える者などおりませぬ。偽ではありませぬ。スメラミコトが申されたことにございます。」
「…」
「スメラミコトに意識はなくともスメラミコトの御体がありましたら勅などいくらでも作れるのです。スメラミコトが大権を持ったままであれば連れ去った者が義を持ってしまうのです。」
「史、、、わかりました。明日にでも高市に断り大権を禅譲して頂きましょう。」
「皇后様、もうひとつ重要なことがございます。」
「何ですか?」
「大権禅譲の勅は皇后様と皇太子様に譲る、として下さいませ。高市様に権限委譲をなさるのではなくあくまでも皇后様と高市様は平等、スメラミコトの代弁者は後継の高市様と共同統治者であった皇后様ということになさって下さい。2人のご意見が合わないものはその権利を行使しえないこと、と。」
もう史と皇后様のほかには誰も口を挟まずただ話の成り行きに聞き入っていた。
「史、それは何故?」
「はい。万一兵をあげねばならぬ状況が生じた場合今のままではスメラミコトのご承諾が必要、と言うことは高市様の権限となってしまいます。が、大権を高市様と皇后様にお譲り頂いた後なれば皇后様の裁可で兵が動員できます。先般の難波宮の件では兵を集めることはできませなんだが大権を皇后様が持っておればあとは高市様には事後承諾でも済みます。他の力はすべて此花の翁がお持ちです。ないのは軍事権のみ。」
「史、そちはすごいことを考えるのぅ。そうじゃ。確かにこのままでは朕は兵を動かす権力は持っておらぬ。」
「はい。高市様にしてみれば皇后様にも権限を委譲するのは納得が行かぬかもしれませんが翁との関係を考えれば拒否はできぬはず。もし、反対をなさるようなら先般の難波宮の件を持ち出せば良いのです。麻呂様、如何でしょう?無理があるでしょうか?」
「いいや。何もない。史殿の申すとおりにございます。」
「あいわかった、そちの申す通りにいたしましょう。史、明日の朝もう一度ここに寄って下さい。すまぬが朕は疲れておるので休みたい。今日はもう下がって良い。」
「はっ。」

…朕は史が出て行く後姿を見ながら考えていた。
さすがに父上を支えた内臣の子じゃ。
雨乃が伝えてくれた菊千代の翁の言葉、
『真夏の暑さを避けるには枯れた木ではなく青々とした木が良い』とは、もしかしたら史のことかもしれない。
いつかふと仰ぎ見た時は周りを威圧するように大きくなっているのかもしれぬ。
しかし史はできすぎる。大嶋とは違い毒にも薬にもなりそうじゃ。
それを朕が承知していなくては。

翌7月15日
『天下のことは大小となく、ことごとく皇后および皇太子に申せ。』とスメラミコトは勅を出された。  


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2007年07月12日

不審火

明日香の夏の暑さは厳しい。その厳しさに耐えられず病身のスメラミコトはますます弱っていった。
健康な私達には心地良いそよ風さえ今のスメラミコトには害となる。
薬師の方針でスメラミコトの部屋は光を遮り、少しの風も入らないようにしたが、真夏がもう少しで通り過ぎていこうとする頃スメラミコトの病は死の病であることは誰の目にも明らかとなった。
死が近づくと子供の頃に魂が戻ると言われるが『神』と詠われたその人も同じであった。
死はどんな権力者にも、何の力を持たない人にも平等にやってくるのだ。
スメラミコトは遠い意識の彼方から醒める時は母上様か大田様を呼ぶ。
「母上、母上吾は…」と目覚め皇后様の顔が見えると「母上…そこにおられましたか。」と安心し再び眠りにつく。
そして「大田、大田何故吾を置いて先に行くのだ。行かないでくれ」と嗚咽にならない弱々しい泣き声で目覚め私の顔が見えると「大田、そこにいてくれたのか。」と安心し再び眠りにつく。
このような状態を他の方々に見せることはできない、との判断でスメラミコトの部屋に入れるのは薬師、高市様、皇后様と私、私達を支援している瀬奈だけとなった。

「雨乃、今日は朕がついておるゆえそなたは部屋に戻り休みなさい。」
「いいえ、皇后様こそお休み下さい。私はここにいるだけですが皇后様には政務がございます。お顔がひどくお疲れにございますからしばらくここにいらっしゃるならマッサージをいたしましょう。」
「そのような気遣いは無用。わかりました。そなたにはかなわぬ。朕は部屋で休みますからスメラミコトをよろしく頼みます。」
「はい。」
「ずっとここでスメラミコトを看ていては大津とも会えぬであろう。申し訳ないのぅ。」
「皇后様、そんな。」
頬を染めた私を見つめながら
「スメラミコトに縁も所縁もないそなたに病人を看てもろうてすまないと思うておる。」と頭を下げた。
「皇后様、そのようなことはございません。私の仕事は病人を看護することでしたので何もお気遣いなさいませぬよう。」
「ありがとう。そなたは強いうえに優しいのぅ。では明日の朝にはそなたに心配をかけぬ顔になって交代するゆえ今日はよろしく頼みます。」と優しく微笑まれた。
「おやすみなさいませ。」
…それにしても今日の皇后様はひどくお疲れだ。少しでもおやすみになられると良いのだが。

朕は疲れた体を引きずるように部屋に戻った。
頭が重くて鈍い痛みがある。
「ひめみこ様お戻りなさいませ。まぁお顔が本当にお疲れのようで、、、大丈夫でございますか?何かお召しあがりになりますか?それとも休まれますか?」
「志斐、そんなに一度に言わないでおくれ。」
「あ、申し訳ございませぬ。」
「今日はもう休むゆえ構わぬ。寝間の用意はできておるか?」
「はい。すぐにでもお休み頂けます。」
「ありがとう。では朕は休みます。もし何かあったらすぐにでも起こして下さい。」
「かしこまりました。」
と、その時、瀬奈が飛び込んできた。
「皇后様、皇后様!」
「こら!瀬奈、皇后様はひどくお疲れなのじゃ。騒々しいぞ。」
「申し訳ございません。でも、皇后様、大変でございます。どこぞで火の手が上がっております。」
「何ですって!」
「こちらです。」
皇后様と瀬奈、志斐は急いで外へ出た。
「本当じゃ。あれはどこじゃ!」
「皇后様!大変にございます。先ほどのすごい音の雷の時に火が上がりまして民部省の舎屋が燃えております。」
「柊、何じゃと?民部省の舎屋とは各地の庸を集め保管しておる蔵ではないか!」
「はい。忍壁様のお邸の隣にございます。ただ今忍壁様方は他の場所にお移り頂き皆様ご無事にございます。」
「忍壁は無事、それは良かった。それで火消しは進んでおるのか?」
「はい。折りよくこの雨ですのでじきに消えると思われますが庸は灰となるでしょう。」
「そうか…。庸はダメか…。じゃが落雷では致し方ない。」
「それが皇后様、、ここだけの話ですがよろしいでしょうか?」
「部屋に戻りましょう。」
「はい。」
「瀬奈と志斐はちょっとここで待っていておくれ。」
「はい。」
朕は柊と2人だけで部屋に戻り椅子に座った。
「何じゃ?柊。」
「はい。民部省の蔵より走る人影を見た者がおりました。先ほど麻呂様のところに連れていきました。」
「どういうことじゃ?」
「憶測で申し上げてもよろしいですか?」
「申せ。」
「たぶん落雷で焼けたのではなく誰かが火をつけたのかと。」
「何ですと?その麻呂のところに連れていった者がか?」
「いいえ、その者は走り去る怪しい男を見たと言っております。嘘をついている風でもなかったので逆に狙われては大変と麻呂様の元へ連れていきました。」
「その者は何と?」
「この暗さですので身体的特徴ももちろん顔もわかりませぬ。が、逃げた男は2人。何故男かと判断できるのかと言うと話し声が聞こえたそうです。それが男の声だったと。じゃが何を話しているのかわからなかったと言うのです。」
「どういうことです?」
「倭言葉ではない、と申しております。」
「あっ。」
それから少しの沈黙が流れた。
「柊、、そちの言いたいことはわかりました。ご苦労であった。ちょっと頼みたいのじゃがこのままスメラミコトの部屋に行ってくれぬか?今、雨乃が薬師とスメラミコトに付き添っておる。この騒ぎは伝わってないかもしれぬが火が出たことだけ伝えておくれ。そして今晩はそちはそのままスメラミコトの部屋にいて欲しい。宮の内とは言え何が起きるかわからぬからの。よろしく頼みましたよ。」
「承知いたしました。」
…今晩は一晩中雨乃様を見ていられる、こんな時に吾は何を考えているのじゃ、と思いながら高ぶる心を抑えられずにスメラミコトの部屋に向かった。
  


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2007年07月11日

切ない心

明日香の春は冬の真っ白なキャンバスに色とりどりの絵の具を使い絵を描いていくような美しさがある。
単純な色使いではなくパレットの上にはたくさんのチューブを絞りだし色を混ぜあわせる。
そうして作ったたくさんの色をまた何色も重ね塗りしやっとできたのが明日香の春の風景だ。
この時代にきて二回目の春を迎えたがキャンパスと絵の具がないことを残念に思った。
これから明日香は春から初夏へ衣替えをするが季節の変わり目は変調をきたしやすい。
寒暖の差が激しくなって来る頃スメラミコトは再び体調を崩された。
そんな中、、
筑紫にいる大嶋から報せが届き皇后様は麻呂、柊、史をお召しになられた。
「筑紫の大嶋からの使いがきたが行心が金智祥を訪ねたそうじゃ。」
「あの警戒の中会見したのですか。新羅も切羽詰っていると見えまする。」
「高市様の後継指名は意外だったのは新羅も同じでしょう。難波宮も焼かれ打つ手を止められておる。」
「その通りじゃ。しかし何を話したのかはあちらの警固が厳しく闇の者も近寄れなかったそうじゃ。」
「皇后様、スメラミコトが御体調を再び崩されてからまた動きが加速しております。我が手の者によると道作の腹心が美濃で兵と武器と兵糧を集めているようにございます。」
「また、道作ですか…。」
「おそらく道作には新羅より相当の軍資金が渡っておるのでしょうな。そうでなければたやすく人は集められませぬ。」
「皇后様、万一新羅が大津様を戴いて難波から入り道作が集めた軍勢が美濃で立つと明日香は挟み撃ちになる危険もございます。」
「そうじゃのぅ…。」
「皇后様!」
皇后様の煮え切らない態度に不満顔の史は詰め寄るように言った。
「皇后様、差し出たことを申し上げますが道作の手の者を捕えては如何でしょう?このままでは危険でございます。」
「いいえ、それをすれば道作も捕えなくてはならぬ。それは逆に大津を追い詰めてしまいます。」

…朕は先日雨乃から聞いた大津と道作の話を思い出し激しく後悔をしていた。
あぁ、お姉様が亡くなられた時、大津を手放すのではなかった。
大海人様のお姉様に対する深い愛情を承知していた父上は自分の手元で育てると言う私達から奪うように大津と大伯を引き取り近江の宮に置き留めた。
父上の目的はひとつ、大海人様の愛しい者を人質にすること。
あの折、父上のなさりように反対をし朕の手で育てていればこのようなことにはならなかったであろうに。
今のこの事態を招いた因果は朕にあるのに応報はたった1人の我が子大津に向かっていく。
何で大津がこのようなことに巻き込まれないといけないのか…

「史、関を固めるように高市に進言しましょう。いくら兵を持っても、武器を持っても烏合の衆では意味がありません。道作を美濃へ入れないように態勢を整えさせましょう。」
「かしこまりました。」
「行心と会談が終わりもう用がなくなったのか金智祥は国に帰るそうじゃ。大嶋もじきに戻ってくる。それまでよろしく頼みます。」
一同は皇后様にお辞儀をして散会となった。
皇后様が退出された部屋では柊と史が話をしていた。
「柊殿、皇后様は何故あのように大津様をかばうのでしょう?皇后様が心を許す大名児様の想い人が大津様であるからでしょうか?」
「いえ、それは吾にもわかりませぬが…たぶん皇后様の姉上であられる大田様の御子ですから想いも深いのではないかと。」
「うむ。それだけであんなにも大津様をかばうものでしょうか?」
「史殿は他に何かあるとお考えですか?」
「いいえ、それがわかりませぬ。ただ危険な芽は早くに摘まねばなりませぬ。泳がすのも手かもしれませぬがそれが相手につけ入らせる隙を与えてしまっては…。手が遅れることが逆に大津様を追い詰めてしまうこともあるやもしれぬ、と吾は心配しているのです。」
と、史は真剣な眼差しで言い、
「おお、これは言わずもがなのことを申してしまいました。いやいや、申し訳ございません。柊殿、このことはお忘れ下さい。」と頭を下げた。
「はい、吾は忘れっぽい性質でございますゆえ。」
と、笑いながら返したが史殿の不安は吾も感じていた。
そう言えば以前翁の話をした時も皇后様は突然様子が変わられた。
雨乃様が背をさすったりしていつもの皇后様に戻られたが明らかに様子がおかしかった。
あの折、「翁の占を変えてみせます。」とおっしゃっていたことは吾は雨乃様を守りたいゆえのことだと思うていたがあれは大津様と皇后様の間には何か人には見えない繋がりがあり大津様を守るために占を変える、ということだったのか?
吾は気にかかることを思い出そうとしたがもやがかかったように思い出せなかった。
どちらにしても翁が見た占がおぼろげながら浮かび、今の状況では占に向かって進んでいるのは確かだ。
これからの雨乃様にはどんな未来が待っておるのであろう?
そこまで思いを馳せてから吾はふと自分は何を望んでいるのだろう?と考えた。
このまま雨乃様が大津様と幸せな時間を送ることを望んでいるのか?
それともいつか雨乃様をこの腕(かいな)で受け止めることができることを望んでいるのか?
もちろん愛する女性を我が手に抱き、我が胸の中で想いのたけを伝えたいと願う。
しかしそれでは吾は大津様の破滅を望んでいるようなものだ。
それに雨乃様の哀しい顔など見たくない…
と、吾は自分でも説明のつかない複雑な思いが胸をよぎっていた。
どうしたのだ?報われない想いで構わない、雨乃様の笑顔を守るために吾のすべてを賭けよう、と自分で葛城の山に誓ったのではなかったか。
いくら自分で自分を押さえようとしても突き上げてくる激情に吾は戸惑っていた。
幼き頃より自己を律することを覚え、鍛えられ、自分の感情が迸ることなどなかった。
それが今はどうだ。吾は自分を見失っている。自分を律することができない。
この我が気持ちを雨乃様に伝えたいのに伝えることはできない…
誰かを想うことはこんなにも己の無力さを知り、こんなにも切ないことなのか?と、吾は初めての感情に揺れ動いていた。  


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2007年07月05日

歴史上の登場人物

ちょっとここ数回歴史上の人物の名前が登場していますのでその方々について。
☆石川麻呂(蘇我倉山田石川麻呂)
鵜野皇后の母方の祖父になります。ここで書いた石川麻呂事件の顛末(Wikipedia)は鵜野が心に描く事件の真相で彼女の意思と蘇我氏を追いとしていった藤原氏の思惑が一致し日本書紀の形となった、と私は思っています。
私が考える真相はここで書いた見方ではなくもうちょっと石川麻呂に厳しいかもしれません。
蘇我入鹿を殺すために結びついた中大兄・鎌足と石川麻呂でしたが基本路線は中央集権国家を目指す中大兄と豪族の代表石川麻呂では相容れないのが当たり前。
阿倍内麻呂の死がきっかけとなり溝が埋まらなくなったのではないでしょうか?
ただ、この事件を見るとこの時の政治の中心は中大兄&鎌足なのでそうなってくると孝徳天皇はやはり飾り物に過ぎなかった?→昨今主流となりつつある山背大兄事件は軽が主犯と見る見方は違っていないのだろうか?と違う疑問を持つ私です。

☆興志
この事件で徹底抗戦を主張したと言われる石川麻呂の長男です。
この小説では遠智と興志は唯一の同母兄妹としていますが母方の血は定かではありません。
討伐軍を迎撃しようした&小墾田宮を焼き討ちにしようとした記述、これは本当は両軍が交戦状態になっていたのでは?と想起させる記述ですよね。
戦闘があったけど、兵力に差がありすぎ死を選んだんじゃないのかな??
この興志という人物は私は興味ある方なのですが、日本書紀を読むと山田寺造営をまかされたり、積極果敢に敵を撃退しようとしていますので、有能で入鹿の次の蘇我氏の期待の星だったような気がします。
石川麻呂謀殺の背景には興志も始末してしまう意味合いもあったかな?と勝手に思ったりもしてface01

☆十市皇女
十市が亡くなった時の高市皇子の歌は本当に胸を打ちますね。
吹黄刀自が作った歌と合わせてイメージを膨らませ書きました。
でも高市と十市が恋愛関係にあったら十市は自殺などしなかったと思うし、透明なイメージの彼女が高市を受け入れたとはあまり思えない。
高市の初恋の人は十市だった、と空想しながら描きました。

☆山辺皇女
以前から何故大津は山辺を娶ったのだろうか?と疑問に思っていました。
結局答えは出ないので天武天皇の責任にしてしまいましたicon10
もし、大津の正妃が阿閉か御名部であったら粟津王まで殺されるようなことはなかったんじゃないか?と思います。
この小説では雨乃を起点としていますのでこんな描き方になっていますが山辺の薄幸な人生は本当に気の毒で小説になりそうだぞと思います。
大津がいなくなればもう彼女は生きていく術も見出せなく「死」しかなかったのでしょうか?それとも大津を死に追いやった人たちへの無言の抗議だったのでしょうか?
大津を彩る女性の中で殉死したと思われる山辺より大伯や大名児の方が後世で有名なのも不思議な感じですね。
(って、この説明はちょっと先走ったことまで書いていますね~)

☆阿斗連薬
難波宮焼失について日本書紀で名指しされている人です。
薬は失火を疑われてどうなったのかは記述されていませんが何故この人の名前が残っているのでしょう?
やはり何やら関連があった、と見るのが順当ですが歴史は何も語らないので難波宮焼失の原因はまるでわかりません。
先般大阪歴史博物館で見たCGの前期難波宮は眼前に海が広がっていて新羅と連携をとるのに格好の場所だなぁ、それに筑紫には新羅から使がきていたし…とか、難波宮の模型は想像していたよりも大きく広くてあの広大な宮が簡単に失火で焼けるのだろうか?とかそんな疑問を混ぜこぜにして書きました。
難波宮跡で佇みながらストーリーを考えてから3ヶ月。
「難波宮焼失」をupできるまでこの小説を続けられて良かったicon102と思ったり、内容はともかくよくここまで書いてきたなicon58と嬉しかったりします。
本当に、これも読んで下さる方々のおかげですicon12
感謝、感謝face05


  


Posted by jasmintea♪ at 12:44Comments(0)コーヒーブレイク

2007年07月05日

不安

「大名児、」
「はい。」
「吾がここまで回復できたのはそなたのおかげじゃ。礼を申す。」
草壁様は私に向かい頭を下げた。
「とんでもありません。翁の命水のおかげです。」
「もう吾はこの命は先は短いとあきらておった。でもの、せっかくそなたが吾に生きる楽しみを教えてくれたからもう少し頑張らねばならぬ。」
「はい。阿閉様や氷高様、軽様のためにも。」
「そうじゃの。そなたも大津と仲良く過ごすのじゃぞ。あれはああ見えても寂しがりやの甘えんぼうじゃ。」
「よーく存じております。」
私はおどけるように言った。
草壁様はハハハ、と笑いながら、
「吾は父上のあまたおる女性のことで心を悩ます母上を間近で見ていたので妻は1人で良いと思っておった。じゃが大津は山辺を娶っても派手に遊んでいての。吾は余計なことじゃが大津に女遊びはやめよ、それでは父上と同じじゃ、と諭したのじゃ。そうしたらの、大津は何と言ったと思う?」
「わかりません。」
「『草壁、吾は遊んでいるのではない。この世でたった1人の相手を探しておるのじゃ。相手がみつかったらその人のことしか見ない。だからそれまでは多目に見てくれ』と。ハハ、そう言えばの、最近大津が構ってくれなくなったと宮では采女も女官も嘆いておる。どうやら大津は言葉通り一生の女子を見つけたようじゃの。今までとは人が違う。あの大津が1人の女子と決めた女性はどのような絶世の美女かのぅ。お目にかかりたいものじゃ。」と、私をからかうように言われた。
「山辺はの、」
「はい。」
「蘇我赤兄の血統なのじゃ。父上の妃である大ぬ殿と姪と叔母の関係で繋がっておる。」
私は頭の中に家系図を描きながら話を聞いていた。
「大ぬ殿は同じ蘇我の血でありながら我が父祖石川麻呂の血統ばかりが重んじられ赤兄の血統が軽んじられることを不快に思われていての、それは壬申年の戦で罪人とされたのじゃから仕方ないことなのじゃが…。それで皇太子になるかもしれない大津の妃に自分と同じ血が流れる山辺にするように父上にお願いしたのじゃ。母上は大津の妃には阿閉の姉である御名部の心積もりでおったのじゃが父上が強引に押し切ってしまった。いくら父上が大ぬ様を愛しく、哀れに思われても大津は厄介者を押し付けられた形でみな同情しておった。それでも大津は山辺を受け入れ大切に遇しておる。それが大津の凄さなのじゃが己の気持ちは癒されていなかったのであろうな。」
「そうなのですか。そんな経緯があったのですか…。」
「そうじゃ、しかしそなたは何も気にする必要はない。大津のことだけを考えれば良いのじゃ。吾の病で大津と会えぬ日が続き悪かったのぅ。大津にもよしなに伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
と、私は草壁様にお辞儀した。
草壁様がこんなにお元気になられたことは嬉しいのだが話している間「何かが違う」と感じていた。
今までと明らかに違うこと…そう、草壁様にタカミムスビ神を感じない。
私をここに連れてきたことも、大津様と草壁様が入れ替わっていたことも、もしかしたらタカミムスビ神の声を聞いていたことさえも記憶がないのかもしれない。


「大名児、」
「はい。」
「そなたは名前を呼んだだけなのに何故そんなに嬉しそうなのじゃ?」
大津様はおかしそうに不思議そうに尋ねた。
「だって大津様がこうして近くにいて下さることが嬉しいのです。」
と、草壁様の話を思い出しながら答えた。
「それは吾も嬉しいがそんなに嬉しそうな顔をされると次の話しが切り出しにくくなるではないか。」と、微笑みながら言われた。
「何か大切なお話ですか?」
「いや、やはり良い。」
「大津様、、何でございますか?」
「わかった、わかった。そう怖い顔をするでない。本当はそなたに聞くべきことではないと思うたのじゃが吾には他に相談できる人がいない。」
「何なりとお話下さい。」
「うむ。最近妙な噂を耳にしての。」
「はい。」
「そなた、難波宮が焼失したことは存じておるな?」
「はい。阿斗連薬の失火という?」
「そうじゃ。それに道作が関わりがあると言うのじゃ。」
「道作が関わりですか?どのように???」
そう言えば以前新羅の者に尾行された時、最後は難波に消えたと瀬奈が言っていたっけ。何か関係があるのだろうか?
「吾は直接話を聞いてないのでよくわからんのじゃが道作は美濃の者を大量に召し抱え難波に送っていたそうじゃ。その者らが火事により任を解かれたのじゃがかなり待遇が良かったらしくての、他の舎人にまた仕事がないか聞いてきたそうじゃ。道作がそんなに財があるはずもないし、何故難波宮修築に人を送っていたのかもわからぬ。道作に問うてみたがその者の勘違いなどと言うておるのじゃが目をそらしたのじゃ。」
「目をそらす、ですか。何かを隠している?」
「そうじゃ。その通りじゃ。最近道作は不在がちだったのじゃ。何かと理由をつけての。好いた女子でもできたかと思うていたがあの火事より出ることが少なくなった。」
「でもあの道作が隠し事など考えられません。」
「そうなのじゃ。だから吾も悪い予感がしての。自分の手の届かぬところで何かが始まっているような怖さがあるのじゃ。」
「…」
「道作は吾の父親代わりじゃ。吾は2歳から壬申年の戦まで父上とは離れておった。戦のあともスメラミコトとして父上は忙しかったからの。幼き頃より吾を守り育ててくれたのは道作じゃ。吾にとってはこの上なく大切なのじゃ。」
「大津様、今の話を道作になされてからもう一度難波の件を聞いたら如何ですか?大津様のその言葉を聞き、道作への思いがわかれば心を開くかもしれません。」
「そうじゃな。そなたの言う通りじゃ。そなたは吾に愛や優しさだけではなく勇気をも与えてくれる。そなたがいてくれて吾は救われる。」
私は大津様の広い胸に抱きとめられ2人だけに時間は流れた。

そして翌日、
大津様は道作と向かい合っていた。
「道作、早いものじゃのぅ。壬申年の戦からもう14年も経っておる。あの折りよくぞ吾を守り近江の宮から脱出させ父上の元へ連れていってくれた。今、改めて礼を言うぞ。」
「いいえ、皇子様、それは臣下として当然のことでございます。」
「いや、そちは臣下としてではなくいつも吾を父親のように見守り尽くしてくれておる。吾はそちに感謝しておるのじゃ。」
「そのようなお言葉はもったいのうございます。吾はまことに皇子様のような御方にお仕えできたことを誇りに思います。皇子様のためならどんなことでもいたします。」
「のぅ、道作。」
「はい。」
「そちは肉親には縁薄い吾を肉親以上に慈しんでくれた。万一そちが吾のためにその身を捨てようとした時はの、吾も父と慕うそちと身を滅ぼす覚悟じゃ。」
「皇子様…そのような…。」
「吾のそちへの想いを話しただけじゃ。そちは気にせずとも良いぞ。」

大津様はそれ以上は何も話さずその場は終わった。
大津様と道作、この主従のつながりの強さを私はまだ理解できていない。  


Posted by jasmintea♪ at 12:43Comments(0)小説

2007年07月05日

約定

朕にも無邪気に笑う幼き時代があった。
祖父様がいて母上がいて、姉上がいて、朕は大好きな興志叔父上の膝にいつも座り甘えていた。
お姉さまには「讃良の甘えっこ」などとからかわれていたが朕は何より叔父上の広い背とすっぽり座れる膝が好きだった。
父上は子供をかわいがる人ではなく祖父様はいつもお忙しく、朕に暖かい愛情を注ぎ心を満たしてくれた男性は興志叔父上1人だった。
しかしその、姉上と母上と朕の幸せを奪ったのは他でもない父上…。
ご自分の必要とする時には力を借りておいて、祖父様の正論を快しとせず、古き冠を用いたのをきっかけに日向に讒言させ祖父様も叔父上も一夜にして謀反人にされてしまった。
でも今ならわかる。あれは父上は葛城から蘇我へと継がれた莫大な人財と財産を欲しただけではなかったのか?
罠をかける時には同族を使う、あれが父上と鎌足の手なのじゃ。
追っ手がかかり難波から落ちてきた祖父様を叔父上は今来まで迎えに行き、朕を翁に託した。
「讃良、我らは中大兄様に忠誠を尽くしてきたのにこのような仕儀になったことはまことに無念でならぬ。じゃが葛城の血は我が母からたった1人の妹遠智の中に流れ讃良にと継がれている。この気高き血を残してくれ。良いな、何があっても負けてはならぬ。強く生きるのじゃ。強く生きて我らは謀反人ではないと天地に知らしめてくれ。」
叔父上はこの言葉通り徹底抗戦を望んだが祖父様は「願はくは我、生生世世に、君王を怨みじ」と従容として死に臨むことを選んだ。
そして叔父上は戦わずして亡くなり死後に首を落とされた…その無念さを思い幾度悔しさと憤りに震え眠れぬ夜を過ごしたことだろう。
幾度の夜を叔父上の背と膝のぬくもりが恋しくて人知れず瞳を濡らしたのだろう。
そうだ、朕は叔父上の無実と無念を伝えなくてはならぬ。
そのためにも…


…朕は心配そうに覗きこむ高市の視線で現実に戻った。
「高市、わかりました。朕と翁がそちの後ろ盾となりましょう。」
「皇后様、ありがたきこと。」
高市様は皇后様に最敬礼をしていた。
「ただ高市、ここではっきり申すが約定してほしいことがあります。」
「何でございましょう?」
「まず、ひとつ、朕に断りなしに兵を動かさぬこと。」
「かしこまりました。兵に限らず天地のことは大事小事を問わず皇后様にご相談申し上げるつもりでした。」
「はい。ふたつ、高市の次の御位には草壁をたてること。」
「もちろん承知でございます。」
「最後に変則的ではあるが皇后は立てないでもらいたい。そちの後ろ盾は朕なのじゃから皇后は必要ないであろう。」
「かしこまりました。この宮の取り仕切りはすべて皇后様にお願い申し上げます。」
「高市、理解ってくれてありがとう。感謝します。」
「とんでもありません。皇后様、吾からもひとつだけお願いの儀があるのですが申し上げてよろしいでしょうか。」
「何でしょう?」
「長屋に草壁の女王を賜りとうございます。」
「高市、それはすまぬができぬ。氷高は家刀自であるし葛城を継ぐやもしれぬ身じゃ。」
「いえ、皇后様、氷高女王は天女にございます。人の身で天女を望むとは畏れ多いこと。もし草壁に次の女王が産まれし時で構いませぬ。それでも我が願いはお聞き届け頂けませぬでしょうか?」
「わかりました。それで良いなら承知としましょう。」
「ありがたきことにございます。」
「ところで高市、話は変わりますが難波宮焼失に関し、今、筑紫にいる金智祥を足止めするのと妙な動きができぬよう監視するのを目的に饗応役として人を派遣したいのですがよろしいですか?」
「承知でございます。」
「朕は大嶋を任命するゆえ高市も腹心の者をやると良い。」
「はい。そうしましたら、、吾は大伴安麻呂を。」
「わかりました。では河内王を長とし、あと何名か人選し数日のうちに出立させましょう。」
「なるべく早いほうがよろしいですな。」
「はい。あともうひとつ、今まで遠慮して藤原の名乗りをあげていなかった大嶋と史ですが今回の働きにこたえ通名も藤原にさせますが構いませぬか?」
「はい。今回の両名の働きに吾も感謝しているとお伝え下さい。」

こうして皇后様と高市様の事実上の共同統治が始まった。

…あとから振り返ればこの時の朕は軽率だったかもしれない。
高市の判断だけで軍事力を行使できないよう足かせをし、何かあった場合に備え御名部を皇后にたてぬことで阿閉の優位を保ち、高市から草壁への道を約束させたことで満足してしまっていた。

そして…。
「草壁様の娘を高市様の息子に」
この約定が後に大きな悲劇を呼ぶことになるとは言い出した高市様にさえ想像できないことであった。
自分の悲劇の第2幕がここから始まったとは私は知らない。  


Posted by jasmintea♪ at 12:42Comments(0)小説

2007年06月30日

山吹の記憶

そうか、薬は殺されておったのか…

事件の経過の報告を受けていた皇后様は柊の言葉を反芻した。
「むごいことじゃの。それまで良いように使っておいて危なくなったらさっさと斬りおったか…。柊、この件は高市に伝えないわけにはいかないのぅ。後々高市が知らぬでは支障をきたすやもしれぬ。それに大津を守るには高市の理解が必要じゃ。」
「御意。」
「道作は大津にはこの件は告げぬかのぅ。」
「今の時点ではお話にならないと思います。あとの動きで心配なのはスメラミコトが再び病に倒れられた時…。」
「翁の占の大津の影はやはり新羅との関係じゃの。本当に道作が主の大津を思うなら余計なことは考えぬべきじゃ。何故、御位に立てなければ身が立たないと思うのか?己の即位に他国の手を借りるなどありえません。それが大津の破滅になるのが何故わからぬのかの。大津は人を使い捨てにするようなことは嫌うのに主の気持ちも見えぬのか。」
「皇后様、」
「すまぬ。詮無いことを言ってしまった。」
「ところで雨乃様のお姿を最近見かけませぬが。」と、柊は話題を変えた。
「柊、雨乃の姿が見えないと気になりますか?」
「いえ、そういうワケではございません。」
皇后様の冷やかすような眼差しに柊はしどろもどろに答えた。
「雨乃は嶋の宮で草壁の看病と氷高の相手をしてもらっておる。あの娘は敏いゆえゴタコタしているとすぐに気づき心配するからの。雨乃が草壁をずっと看てくれたおかげで草壁は体調が戻ってきた。何やら草壁の食べる物を自分で用意し、残すと『ちゃんと計算しておりますのでこれだけは召し上がって下さい』と怖い顔をするそうじゃ。数日中に草壁が出仕する時に一緒に戻る予定じゃ。」
「草壁様のご回復、おめでとうございます。」
「快くなればまた厳しき世界に身を置かねばならぬ。それが草壁にとって幸せなのかのう。さぁ、朕はちょっと高市のところへいって参ります。」

高市様の執務室

「これはこれは皇后様、お呼び頂ければ吾の方から参上致しましたものを。」
「いえ、近頃の朕は暇なのです。高市は忙しいのじゃから気にせずとも良い。」
「何か大切なお話でも?」
「難波宮が焼失したのはご存知ですね?」
「はい。」
皇后様は今までの経過を正直に話した。
「皇后様、お話ありがとうございます。まずは迅速な処置に御礼を申し上げます。皇后様のご決断でこの国は救われました。念を押すようで申し訳ございませぬが大津には関わりのないこと、でございますね?」
「そうじゃ。」
「新羅は何故大津の即位を望むのでしょう?」
「大津の即位を望むのではなくこの国を混乱に陥れたいだけじゃ。壬申年の戦の折りのように2つに割れればその隙に乗じて片方を支持し自分達の傀儡政権をたてる。大津でなくとも反旗になるのなら誰でも構わないのでしょう。大津もそれを承知しておるのに廻りの者が暴走している…愚かなことです。」
「兵を引き入れたらその後どうなることかは想像がつきそうなものですが…。大津の即位と引き換えに国を差し出すつもりなのでしょうか?」
「そこまでは考えていないのであろう。高市、朕も先日のスメラミコトのなさりようには正直腹も立ちましたがすべてはそちの肩にかかっています。この国のこと、草壁と大津のことよしなに。」
「皇后様、そんな、、お顔をお上げ下さい。実は吾はもう一度皇后様にお願いに上がるつもりでした。今ここでお話申し上げてもよろしいでしょうか?」
「何でございましょう?」
「吾はスメラミコトから後継として指名されましたが経験も知識もなければ政を助けてくれる一族もいません。盛り立ててくれる後ろ盾なくば吾一人の力では何もできないでしょう。大変厚かましい願いではございますが皇后様に吾の後ろ盾になって頂きたいのです。吾は御位に執着はございません。ただ父上の期待を裏切りたくはないのです。父上と皇后様が作られたこの国をそのままに草壁に渡したいのです。」
そこまで一気に話して高市様は遠くを見つめるような目をした。
大きく息を吸って再び口を開いた。

皇后様、年月が経つのは早いものでございますね。
あの壬申年の戦からもう14年も過ぎておりまする。でも吾は今でもはっきりと覚えています。
血の臭い、泣き叫び許しを乞う声、その声を無視して容赦なく斬る音とあの刀の鈍いゆらめき、首が離れた骸…あれは地獄の様でした。
今思い出しても、気持ち悪さに反吐が出そうでございます。
父上のために、己が信のために吾は戦いましたがどんな理由があろうと人を殺めたあの感触は消せません。
吾が斬った者にも吾と同じように愛しい者がいてそれを守るために、または自分の信のために戦っていたはず、この者の死を知りこの者を愛する者たちはどれだけ悲しい想いをするのであろう?と戦が終わったあとの屍の中で考えていました。
もうあのような場所には二度と立ちたくございません。
そしてもうひとつ、吾はどうしても忘れることができないのです。
いや、忘れることができないどころか苦い思いは未だに強まっているかもしれません。
山吹の女性(ひと)、、父と夫の戦いをただ見るだけしかできず自分が戦を止められなかったことを苦悩し続け罪の意識で自ら死を選ぶしかなかったあの女性を。

…高市、まだ十市のことを。

吾は守りたい女性を守ることができなかった愚か者にございます。
人は一番暖かで優しかった時代を記憶していると、言いますが吾の記憶の中には木漏れ日の中を笑いながら駆ける十市がいます。いつも吾の側を離れなかった幼き頃の十市が。
あの活発だった少女が近江から戻ってきたあとは虚ろな笑みしか浮かべなくなりました。
もう一度あの笑顔を見たかった。それなのに…。
たぶん吾は死ぬまで山吹の花を見ると守ることができなかったことを悔い、胸を締めつけらるのでしょう。
十市の心の闇は如何ばかりだったのか、黄泉の国では微笑みを取り戻しているのか…。
じゃがもし大友と一緒に虹を見て微笑んでいるのなら妬けますな。
吾も1日でも早く十市のところへ行ってあげたい、この世でみられなかった微笑はあの世で見たい、と思いつめたこともございました。が、今は少し違います。
もし、吾が何もせずただ生ける屍のまま生涯を終えあの世に行けば十市は吾に微笑んではくれないような気がするのです。
もう誰も十市のような想いはさせない、もう誰も吾のように虚ろに後悔の中で時間を送るようなことはさせない、その想いを貫き吾なりに精一杯生き黄泉の国へ辿りついた時に十市はこぼれんばかりの微笑みで吾を迎えてくれるのじゃと思うております。
『高市、ちゃんと見ていたわよ、お疲れ様でした』と。

ふぅ、と高市様は小さくため息をついた。
「少しお喋りが過ぎました。申し訳ありませぬ。」
「高市、そちも行き場のない想いを抱え空虚なまま日々を過ごしていたのですね。そちの想いは朕にはよくわかります。本当に、我らはどのくらい悲しく虚しい想いをして今を築きあげてきたのでしょう。無念を飲んで逝かれた方々の想いを無駄にしてはなりませぬ。」

…無念を飲んで逝かれた方々、朕は幾人の無念を目の当たりにしてきたのか。
朕の暖かで優しかった時代の記憶…  


Posted by jasmintea♪ at 19:38Comments(0)小説

2007年06月27日

難波宮焼失

瀬奈は無事に此花の里に戻った。
行心の使う新羅の手の者が朝になり八方行方を探したが宮に戻った形跡も、姿を見た者もなく彼らは慌てているようだった。
皇后様は中臣大嶋、中臣史、物部麻呂、柊を直ちに集め善後策を練った。
「柊、麻呂より報告は聞いたが博徳、瀬奈の話に違いはないか?」
「はい。博徳殿の手腕はお見事にございます。」
「ホホ、あとで切傷に効く膏を届けて下され。」
「かしこまりました。」
「さて、難波の宮をどうしたものか…。」
「皇后様、発言してもよろしいでしょうか?」
「史、言うてみよ。」
「謀の要素は取り除かねばなりませぬ。百合の行方がわからないことで行心が焦り新羅に使いを出し、兵を引き入れるやもしれませぬ。」
「柊、それは今は監視中じゃな。」
「はい。難波の港は押さえてあります。しかし野山を歩き小さな港に出ればわかりませぬ。それに行心と連絡がつかない状態になれば自動的に使者が出るやもしれませぬし、新羅の方が勝手に動き出す可能性もあります。」
「そうじゃな。」
「皇后様、とりあえず難波奪還のために兵をだしましょう。このままでは危険でございます。」
「言うことはわかるが朕が動かせる兵はない。国兵を動かすならスメラミコトに裁可を仰がねば…。」
「うーむ、今、我らが動かせる兵はどれくらいじゃ?」
「東漢氏なら我が長の声かけで50~60は集められますが見返りが必要でございます。」
「何じゃ?」
「いずれは皇后様か草壁様が即位し一族を引き立てる約定が必要でしょう。」
「それは高市の政権を覆せと言うことか?」
「そこまでは申しませんが時期をみて御位からお降り頂くのもひとつの手でしょう。」
「約定なくば東漢氏は協力しないか?」
「はい。」
「わかった。大嶋の手の者は如何ほど?」
「戦もできる手飼いの者は20前後です。」
「柊は?」
「伝令を引くと10から20にございます。」
「麻呂の手の者にはこの宮と嶋の宮の警護にあたってもらうゆえ、そうなると100集まるかどうかじゃな。柊、今の難波の兵力はどのくらいじゃ?」
「先ほど史様と話しておりましたが修築に関わる人夫の方がが多いゆえ美濃と新羅の半兵士は100ちょっとではないかと。」
その時、史が皇后様を真っ直ぐに見つめゆっくりと話を始めた。
「皇后様、ここは戦になることは得策ではないと存じます。内戦があったかのような印象を新羅に与えてはつけこまれます。それに東漢氏にあえて借りを作る必要もないかと。要は謀の元となる物を無くせば良いだけですので思い切って難波の宮に火をかけましょう。火をかけるだけなら大嶋殿、柊殿の手勢で十分にございます。」
「しかし、史、難波には西国からの貢が溢れておる。」
「その豊かな物資がなければ新羅とて難波に上陸し籠ることはできませぬ。駐留できる場所と当てとなる食糧がなければ土台無理な話。」
「史…」
「皇后様、何が今、一番大切かをお考え下さいませ。戦になると大津様のお名も出ざるをえません。今までの経過を伺っていると大津様はこの謀は何もご存知ないでしょう。」
…大津、そうじゃ、大津を守ることが第一義じゃ。
「そうすると行心と道作はどうなる?」
「大津様に何の咎もありませぬのに両名に手を出すことはできませぬ。」
「それに行心を拘束すると新羅が黙っていないじゃろうの。行心のことが今度は兵を出す口実になるやもしれぬ、、か。」
「それではあの者達がまた大津を担ぐかもしれませぬ!」
今まで何も発言せずに成り行きを見守っていた麻呂が口を開いた。
「皇后様、お気持ちはわかりますがここは史殿の申される通りにございます。難波の宮は薬の失火で焼けた、これで良いではありませぬか。薬1人に責任を負わせたとしても行心や道作には堪えるでしょう。こちらの力がわかり姑息な手は通用しないことも悟るでしょう。今は彼らと新羅に打撃を加えれば良いのです。スメラミコトにも失火で延焼した、の報告だけで済みます。」
「麻呂…、わかりました。」
「ご決断感謝致します。」と頭を下げてから
「さぁ、ことが決まれば急ぎましょう。大嶋殿と史殿は穴虫峠より、柊殿他此花の者は竜田道より難波に入って下さい。目立たないようにお願いします。申し訳ありませぬが武器庫はなるべく残して下さい。吾は物部の手の者で宮と嶋の宮の守りを固めます。皇后様、それでよろしいですね?」と、テキパキと指示し了解を求めた。
「はい。よろしくお願いいたします。連絡や報告は柊の手の者を使い一刻も早く朕に届けておくれ。」
「はっ。」
「大嶋、史、柊。みな必ず無事に戻るように。中臣と此花の手の者も誰一人傷つくことなく無事に戻るのじゃぞ。」
「はっ。」
「史、大嶋は白髪頭の年寄りじゃ。ケガなどせぬよう万全を期してくれ。」
「皇后様、またそのような。」
「大嶋、そちがいないと朕は困るのじゃ。悪態つく相手がいなくなるでのぅ。」
「はっ。ではいってまいります。」と、微笑を残し大嶋らは出て行った。

こうして複都制の詔が出てわずか3年で完成近くの難波宮は灰と化した。

686年1月14日酉の時、難波の大蔵省から失火して、宮室がことごとく焼けた。
「阿斗連薬の家の失火が延焼して宮室に及んだのだ」という人もあった。
ただ兵庫職(兵器庫)だけは焼けなかった。
                            
と、後の世の書物には記されている。  


Posted by jasmintea♪ at 23:04Comments(0)小説

2007年06月27日

魂胆

スメラミコトの突然の決意は波紋を呼んだ。
皇后様の意を受けた柊が内密に里に行き翁と話をしてきたようだ。
スメラミコトは高市様、草壁様、大津様、忍壁様をお召しになり、吉野の誓いを忘れずに兄弟が一致団結して政にあたるよう説かれ袴を賜った。
一方後継として指名された高市様は皇后様のところに挨拶にきて即位の折には皇后様にご協力を頂きたい旨、話をされた。
「吾は草壁様が政務を執られるようになるまでの繋ぎのつもりでおります。草壁様のご健康が安定された折には御位をお譲りするつもりでございますのでどうぞ、此花の翁様にもそのようにお伝え下さい。」と、丁寧に言った。
皇后様はニコニコ話を聞き軽やかに
「大変よくわかりました。翁にはどうぞそのようにそちらからお伝え下さいませ。」
と、とりつく島もなかった。
草壁様や大津様の内心はわからないが気落ちをしているようには見えずいつもと同じ感じを受けた。
が、本人より期待をかけていた周囲の人々の方が気落ちし戸惑っているように見えた。
行心も道作もそんな中の1人で慌てて博徳に相談をしてきた。

「博徳殿、今回の件は如何お考えでしょう?」
「うむ。由々しきことですな。大津様にとって草壁様なら芽もありましょうがご壮健で人望も実績もある高市様が相手では如何とも…。」
両名はため息をついた。
「高市様と草壁様の正妃は皇后様と同じ石川麻呂殿のお血筋、それと比べ大津様の正妃山辺様は罪人である近江左大臣(蘇我赤兄)の血筋じゃ…。高市様の次は草壁様でしょうな。何より草壁様のご健康が回復したら皇后様は高市様に譲位を求めるでしょう。そうなると大津様の出番はないかもしれませぬ。今が千載一遇の好機であったのにそれをスメラミコトに潰されるとは…。」
と、吐き捨てるように言った。
2人は顔を見合わせ
「シッ、博徳殿、お声が大きい。」と、囁いた。
「いいや、誰に聞かれても構わぬ。儂はスメラミコトの跡継ぎは大津様以外にはいないと思っておる。未だスメラミコトの政は具現化しておらぬものもある。文武百官を率いてそれを仕上げるのは大津様しかおらぬ。」
「博徳殿!」
「何とか大津様への道はないものだろうか。」道作は差し迫った顔で聞いた。
「あると言えばある。」
博徳はいとも簡単に答えた。
「な、何ですと?」
「簡単なことじゃ。じゃが話せば長くなるのでその前に酒を一献。儂は酒がないと気が乗ってこないのじゃ。とびきりの旨い酒が飲みたいよのぅ。」
「はい、そうしましたら越の国の酒は如何ですか?酒好きな博徳殿のために特別に取り寄せましてございます。」
「ほぅ、それは有難い。遠慮なく頂くとしよう。そうじゃ、それからせっかくだからの、注いでくれるのは女子が良い。さっき案内した待女で構わぬゆえ。」
「いや、、あの女子は、ちょっとわけありなのでのもっとお好みの美しい女を呼び寄せましょう。」
「いいや、儂は贅沢は言わぬ、酒を注いでくれたら良いのじゃ。そんな女子を呼んでいる時間がもったいないではないか。さぁ早う酒と侍女で話の続きをしよう。」
「わかりました…。では呼んで参りますのでしばしお待ち下され。」
と、道作は席をたった。道作が席をたつとすぐに行心も
「では肴を用意させましょう。」と立ち上がった。

…あやつらめ、今頃相談しておるな。どうするものか。

「どうする?」
「続きを聞きたいのは山々じゃが、あの女は皇后の手の者ぞ。」
「しかしこの好機を逸しては…。それに博徳殿の機嫌を損ねたら二度と我らに味方せんかもしれぬ。」
「次はないか?」
「案外短気そうじゃからの。」
「仕方がない。あの女の見張りを強めればそれで良かろう。万一の時の覚悟はできておる。」
「よし、そうと決まればそちは早く戻れ。臍を曲げられては困る。」

そして…

「おー、おー、美しい女子じゃ。どれどれ、ここにきて酌をしてくれ。」
「失礼いたします。」
「さぁて、酒も肴も揃ったところで本題に入ろうかのぅ。」
「よしなに。」
「まず儂より質問じゃがこの計画の成否には新羅の協力がいる。あの唐を駆逐し半島を統一した新羅も大津様擁立を希望しておると聞く。のぅ、行心殿、そなたは新羅王の内意も受けておるのか?」
いきなり核心を衝かれ行心はどう返事をしたものか戸惑っていた。
「それは…」と、口ごもるだけである。
「何じゃ?儂は難しいことは聞いておらんが。」
「新羅は大津様が即位されることを望んでおります。」
「それはわかっておる。いざという時には兵を出す算段はあるのか?と聞いておる。」
少しイライラした調子で博徳は言った。
「そうすると思いますが…」
「今一度聞こう。もう二度とは聞かぬ。この質問をはぐらかせば儂を同志と思うてくれるな。」
「はい。」
「もし、志を同じくする者が行動を起こしたら新羅は大津様を救援してくれるな?そしてそれは行心殿がもう新羅の了承を受けておるな?」
これ以上は誤魔化せないと、
「はい。新羅からは兵を出すことを承認されています。」と、観念したようにきっぱり言った。
「良し。それで安心したわい。ほれ、一緒に飲もうぞ。」
「ありがたきこと。」
「で、博徳殿はどうのようにして大津様にご即位頂くとお考えでございましょう?」
「道作殿、即位は誰が決めるとお思いか?」
「はぁ??」
「スメラミコトの意思であろう。」
何故そんなことを聞くのか?と問いたげに行心は答えた。
「ワッハッハ、そうじゃ、スメラミコトじゃ。簡単なことではないか。」
「もうひとつおっしゃることがわかりませぬが。」
「行心殿、そなたはスメラミコトの病が何か知っておるな?」
「はい。胃に腫れ物ができる病でございます。今は一度回復しておりますが遠くないうちに再び病はぶり返すでしょう。その時がスメラミコトのお最期かと。」
「その通りじゃ。次にお倒れになるのはいつ頃じゃろう?」
「2ヶ月後、くらいでしょうか?」
「スメラミコトがお倒れになり意識をなくす前にうまく大津様にスメラニコトをここ難波にお連れ頂くのじゃ。前もって新羅にも連絡し難波の港より兵を引き入れ武装する。ここには食糧も武器も欠かさん。交通の要衝でもある難波を押さえたうえでスメラミコトに大津様を後継にする詔を頂く。スメラミコトがお亡くなりになった後はご遺体はこちらにあるので大津様の名で殯も行えば良い。それで大津様は正統な後継ぎじゃ。ここ難波を大津様の都とすれば良い。」
そこまで一気に話し「酒」と杯を差し出した。
侍女は慌てて酒を注ぐ。
博徳はおいしそうに飲み干してもう一度杯を差し出した。
酒がなみなみと注がれていく様を見ながら
「そのためには宮としての体裁を整えなくてはならん。行心殿の見立てではあと2ヶ月と申したが1ヶ月のうちに準備を万端とした方が賢明であろう。」
と、言い再び杯に口をつけた。
「博徳殿、いやぁ、恐れ入りました。実は我らもここ難波を大津様の宮と心得、修築にあたっておりました。そしていざと言う時は新羅の手を借りる算段までついていました。が、スメラミコトが高市様を指名された以上それは叶わぬことと諦めかけておりました。良い教えをありがとうございまする。」
「いやいや、よくここまでこの宮を修築したものじゃ。」
「すべては大津様の御為にございます。」
「そうか、そうか」と言いながら博徳はソワソワしだした。
「もう話は仕舞いでええの。ところでのぅ、、、」
博徳は突然に侍女の手を握り撫でながら
「この侍女は今宵は儂が借りても良いか?」と、聞いた。
「おぅ、これは気づきませんで。そういうことでございましたら我らが薬に話をつけておきますゆえどうぞお気の召すままに。今、すぐ床の用意をさせましょう。」
「良い、良い、床などいらぬ。儂は女さえおれば良い。」
と、博徳は侍女を抱き上げた。
女はイヤそうに足をばたつかせたがそんなことは意に介さずそのまま奥の部屋に連れていった。
「おやめ下さい、私は慰み者の女ではありませぬ。」と侍女の声が聞こえていた。

「イイ年をして好きモノじゃ。」
行心は吐き捨てるように言った。
「良いではないか、どうせここまで話を聞かれたら百合は始末せねばならぬ。二度はあの女子を抱けぬのじゃ。好きにさせてやれ。」
「そうじゃの、仕方ないの。」
「しかし、皇后に連なる女を犯したとあっては露見すればあとで大変な騒ぎじゃの。」
「博徳殿はそうとは知らぬからの。フフ、我らに好都合…」と、言いかけたその時、『ドスン!』と大きな音が鳴り「待てぃーっ」と怒鳴り声が聞こえた。
「何じゃ??」
「博徳殿の声じゃぞ。」
2人は大急ぎで奥の部屋に向かい、戸をあけるとそこには口から血を流し、尻餅をついてだらしなく倒れ苦悶の表情を浮かべる博徳がいた。
「如何なされました!?」
「くそ、あの侍女に逃げられたわい、あの女、唇を吸おうとしたら儂の唇を思いっきり噛み急所を蹴りおった。」
「何ですと!!追え!捕らえろ!」
「ちょっと待ちや。」
「この唐に渡った儂が女に唇を切られ急所を蹴られ逃げられたとあっては物笑いの種じゃ。博徳の名に傷がつく。あんな侍女の1人や2人構わぬ。捨ておけ!」と、不愉快そうに怒鳴った。
行心と道作は何もできず苦虫を踏み潰したような顔でお互いを見、博徳の腰を叩いていた。  


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2007年06月22日

新年の祝賀

私は二度目の新年をこの地で迎えた。
葛城から帰ってからは大津様と会える時間が多く、安らぎに満ちていた。
一時のように殺那的に激流の中に身をまかせ、ぶつかり合い相手も自分も焼き尽くすような情熱ではなく、お互いを優しく包み込み穏やかなせせらぎの中で存在と愛を確かめあえた。
ただ私の前に大津様がいてくれる、それだけで迷いも憂いもなく幸せの中に佇んでいられた。
朝、庭で餌を啄むスズメを見ても愛おしく思うような年の瀬だった。


明けて686年正月2日、宮ではかねてより療養中だったスメラミコトも臨席され新年の祝賀が行われた。
人々は病気に打ち克ったスメラミコトを称賛し、『さすがにあの壬申年の戦に勝利した神であられる』と口々に言った。
スメラミコトが雄姿を見せた一方草壁様は命水により多少回復されていたが今日の祝賀は欠席だった。
午前の賀詞の奏上に続き、しばし休憩をされたあと宴となった。
スメラミコトは上機嫌で
「皆の者、我ら一同はこの国を強くし、他国の思い通りにさせない責任がある。責任を全うするにはそれに見合う能力を持っていなくてはならぬ。その能力があるかどうか朕は見極めたい。」
と突然言い無端事(あとなしこと)を尋ねられた。
諸王、諸皇子が答えられない中、きちんと解答できた伊勢王と高市皇子がスメラミコトの前に召し出された。
「伊勢王、これへ。よく答えられた。そちに褒美を与えよう。これからも励め。」
と、御衣と袴などを賜った。
「高市皇子、これへ。」
「そちは文武両道に秀で諸王諸皇子の中でも範たる皇子じゃ。そちにも褒美をとらせよう。秦摺の御衣、錦の袴、糸、綿、布…そして…」
そこでスメラミコトは大きく息を吸い一際大きな声で
「高市皇子のその勇気と功績を称え朕の後継として指名する。」と、言った。
「おーーーー」
どよめきがさざ波のように広がり驚きと興奮が場内を支配した。
「スメラミコト、吾を後継にですか?」
「そうじゃ。もし、高市の後継に異論がある者は今この場で申し出よ。」
一同を睥睨し異論がないのを確認してから高市皇子に
「誰も異は唱えないようじゃの。高市、心配はいらぬ。皇后が助けてくれるであろう。励むのじゃぞ。」と、言われた。
…公式の場でスメラミコトに異を唱えることは何人たりとも許されていない。
スメラミコトは誰もが何も言えない公式なこの場を使い既成事実を作ったことになる。
「ありがたき幸せ。高市、この身を賭してスメラミコトのご厚情にこたえられるよう努力いたします。」
「よくぞ申した!皆の者祝いじゃ、祝いの酒じゃ。」
こうして高市様の登極が決まった。

その夜…スメラミコトの私室ではスメラミコトと皇后様が相対していた。
「大海人様、何故何も朕に相談もなくこのようなことをなさったのです。」
「鵜野、聞くが相談をすればそなたは反対するであろう。そなたはいつもそうじゃ。朕のやることに反対ばかりする。良いか、草壁には帝位は無理じゃ。体が保たぬであろう。無理をして草壁の命を縮めるようなことがあってはならぬ。じゃが、だからと言って大津を帝位にたてれば草壁の身が立たないであろう。そうなると他の選択肢はないのじゃ。高市なら大津も草壁もうまくたててくれるであろう。朕は高市に託したのじゃ。」
「でもスメラミコト、それでは葛城の血も蘇我の血も絶えてしまいます。」
「何故じゃ?高市の正妃は御名部じゃ。蘇我の血も残るであろう。」
「大海人様、あなた様はもしかしてこのようなことを考えてあの相撲の折に高市に正妃として御名部を与えたのですか?あの時のやり方と今日のやり方はそっくり同じでございます。」
…そうじゃ、あの相撲の折も『人の上に立つものは心身両面で強くあらねばならない』と申され公式の席で力士田銀安槌と高市皇子に相撲をとらせ高市が勝った褒美として母上の妹である姪娘と父上との娘である御名部を強引に娶らせたのだ。
「昔のことはどうでも良い。遠智殿の血が必要ならば高市のあとは軽(草壁の息子)でも粟津(大津の息子)でも継げば良いではないか。」
「大海人様、それでは軽と粟津、長屋の間で争いが起きるやもしれませぬ。」
「そなたの杞憂じゃ。」
「そのような後の世代に禍根を残すようなことをわざわざされるとは大海人様らしくもない。それにあなた様が今、杞憂されたように翁は我が母遠智の血を引く者でなければ祖父の石川麻呂の系統の者でも助けてはくれないでしょう。翁の助けなくば壬申年の戦でご活躍された高市と言えども政をとるのは難しいと思います。藤原京の建設もあることですし。」
「そうじゃな。わかった、翁にはそなたから頼んでくれ。なぁに、そなたの言うことなら聞き入れてくれるであろう。」
「あなた様はそのような…。翁の力が必要なのであれば何故、朕に初めから一言相談して頂けないのです。こんなご無体な話はございません。」
「もう良い。いくら話したところで同じじゃ。もうそなたと話すことはない。朕は疲れたゆえ休むから退出してくれ。」
「わかりました。スメラミコト、朕は翁に何も申し上げることはございません。スメラミコトから直接お話下さい。お休みなさいませ。」

「比翼の鳥」と譬えられていたスメラミコトと皇后の間には修復できないくらいの亀裂が入っていた。  


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2007年06月21日

誰かのために

鵜野讃良にございます。
旅から戻った雨乃はいきいきしていました。
葛城の空気が合い、いろいろな人との交流が糧となりそれが内から滲み出て眩しいくらいに輝いていました。
その日、スメラミコトの見舞いに訪れた大津を私室で待たせておいたので翁の伝言や報告を聞いたあと大津が待っていると伝えた時のとろけるような微笑み。
この笑顔を見ると朕も心が温まるのです。

雨乃が出ていったあと朕は柊を呼びました。
「柊、ご苦労さまでした。」
「吾こそ良い時間を頂きました。ありがとうございます。」
「大体の話は雨乃に聞きましたがそちにだけ翁が話したこともあるでしょう。その話を聞かせて下さい。」
「……」
「どうしました?」
「柊、今回の旅は朕はそちに悪いことをした、と思っているのです。」
「皇后様…」
「そちは雨乃を好きになるであろう、とわかっていながら朕は2人だけで旅に出したのです。何故かはわかりませぬが今回はそうしなくてはいけないような気がして。本当にそちには酷なことをしました。申し訳ない。」
「いえ、皇后様、そうではありません。吾は雨乃様を背負い帰ったあの時より我が背で震える雨乃様を愛しく思いました。」
「柊…」
「この旅で雨乃様の優しさと強さを知りました。素晴らしい女性とめぐり会えた奇跡に感謝致しております。」
「雨乃は本当に不思議な女子ですよね。目の前にしていると怒りや悲しさ、寂しさ、孤独が薄れていく気が致します。」
「はい。吾はこの旅に出てかなわぬ想いでも雨乃様を守っていく決心がつきました。」
「雨乃を守っていく決心がついた、とはどういうことでしょう?」
「皇后様、翁は雨乃様の占をされたのです。」
「翁が占を?」
「雨乃様が今、自分のいた場所に戻るのはイヤだ。皇后様や大津様のそばにいたいと申されたもので。」
「まぁ、あの娘は…。」
「翁も雨乃様がいつ戻ることになるのか気軽に見るおつもりだったのでしょう。それが占を見たあと翁の目は潤んでいました。雨乃様には吾と一緒になりここで暮らさないか?とか儂の妻にならんか?など戯れをおっしゃって誤魔化していましたが占がただ事でないことはすぐに気がつきました。」
「それで翁は何と?」
「……」
「柊!」
「詳細は言えぬがあの娘は遠くない未来に絶望し自ら命を絶とうとするだろうと。」
「それは!」
「その時がきたら迷わずみぞおちをたたき気を失わせろと。」
「雨乃が自ら命を絶とうとするとはどうしてじゃ。どういうことなのじゃ。」
「それは翁は何も教えて下さいませなんだ。が、、」
「柊、何でも構わぬ。続きを申せ。」
「恐れ入ります。雨乃様が絶望すると言えば皇后様か大津様の身に万一のことがあった時しかありませぬ。でも翁は皇后様には里の行く先を頼まれていますゆえ…」
「大津か!」
「御意。」
朕は一瞬にして奈落の底に落とされた。
翁の占は決して外れない。そのことはわかっている。
柊の今の見通しは正しいのであろう。
そうだとしたら大津、大津の身に何があるというのじゃ?
大津が死ぬ?
何故?
何故、大津が死ななくてはいけないのか?
何故?何故??何故???

…皇后様、
皇后様!

誰かが朕を呼んでいる…。
「皇后様、どうなさいました!志斐を呼びましょうか?」
柊は突然の朕の変化に慌てていた。
「いえ、雨乃を、雨乃を呼んで下さい。朕が気分が悪くなったので背をさすってほしいと。大丈夫です。柊、悟られないようにしますから。」
「承知しました。」
連絡を受けた雨乃はいきせききって駆け付け朕の前に跪きながら
「皇后様、どうなさいました!お顔が真っ青ではありませんか。」
と、言いながら額に手をあてた。
…何と心地よい手のぬくもりだろう。
「お熱はありませんね。」
と、言い我が母のように背をさすっている。
朕は母を早くに亡くし母のぬくもりは知らぬまま育ったが母がいればこうして背をさすってくれたのであろうか。朕より遥かに若い雨乃に母の優しさを感じるとは不思議なものじゃ。
「お休みになられた方が良いのではありませんか?」
「大丈夫じゃ。そなたがさすってくれたおかげでかなりよくなってきた。」
「皇后様、私が1週間留守にしていたのでお体が固くなっています。お時間が今ございましたら少しマッサージを致しましょうか?」
「体が柔らかくなるそなたの魔法じゃの。」
「魔法ではありません。看護学校で教えてもらっただけです。」
雨乃はニコニコ笑っている。
「あの魔法は確かに心地よいのぅ。でも今日はまだ柊と話があるゆえまたお願いします。もう部屋に戻りなさい。急に呼び出して悪かったの。」
「いいえ。またご用がありましたらお呼び下さい。」
「いえ、今日はもう大丈夫。ゆっくりなさい。」
雨乃は一礼して出ていった。

そうじゃ。翁は柊が大津と朕の親子関係を知らぬのだから朕にこのことを報告することを予測していたであろう。
そして自分が信頼している柊が導き出す考えもわかっていたはず。
朕が動揺することもすべて見越したうえであえて種を蒔いた…。
『讃良にならできる。やらなくてはいけない。』
そうだ、翁は大津も雨乃も讃良が守れ、占を覆せ、と言っているのじゃ。

「柊」
「はい。」
「ありがとう、よく話しにくいことを話してくれました。朕は外れたことがない翁の占を変えてみせます。」
柊は黙ってお辞儀をした。
「皇后様、続きをお話してもよろしいでしょうか?」
「お願いします。」
「今日こちらに着いて雨乃様と皇后様が話している間に難波から使いがきました。昨夜阿斗連薬の家に行心と道作が訪ねたそうです。」
「行心と道作、何を企んでいるのでしょうね。」
「大津様は帝王の相で臣下では天寿を全うできないなどと予言した僧とずっと大津様を守ってきた道作ですからただ難波で酒を汲み交すことはありませぬ。」
「柊、難波には西国からの税が倉に溢れておるの。」
「農産物ばかりではございませぬ。武器庫もございます。」
「武器を略奪しようとしているのか?」
「それにしては動きが緩慢なので他の狙いがあるのではないでしょうか?道作の美濃、行心の新羅から多数の人夫が出ております。」
「うーむ。」
「翁が伊吉博徳殿を我が方に引き入れ道作に全面的に協力をすると申し出ております。あやつらも博徳殿の知力は欲しいでしょう。まもなく博徳殿を信頼し情報が入るようになると思いますので謀も詳しく見えてくるかと。」
「唐に渡った博徳殿を使うとはさすが翁じゃ。わかりました。もう少し様子を見ましょう。しかし、柊、翁か゛次の長はそちにと申されたそうですがその理由がよくわかりました。さすがは林大臣殿のお血筋じゃ。」
「とんでもありません。吾は翁には遠く及びませぬ。ですが自分の全知全能を賭して雨乃様の笑顔を守ろうと決めましたのでこれからは吾が力をつけねば願いは叶わないものと心得ます。今までのように何気なく毎日を過ごしてはいられませぬ。」
「柊、そちを頼りとします。朕に力を貸して下され。」

孤独のなかで人生を送り、何のために生きるのかもわからなかった朕が大津や雨乃のために生きようとしている。
誰かのために生きることがこんなにも自分に力を与えるとは今まで知らなかった。
きっと柊も同じ想いなのだろう。
朕は大津と雨乃のために自分のすべてを賭ける、と誓っていた。  


Posted by jasmintea♪ at 12:39Comments(0)小説

2007年06月21日

旅の帰途

翌朝、旅立つ私達を翁と茉莉花様は送ってくれた。
茉莉花様は目が潤んでいる。
「茉莉花、泣くでない。」
「はい…」
「仕方がないのぅ。この1週間ずっと雨乃と一緒だったからの。」
「茉莉花様、また来ます。ありがとうございました。」
「良い良い。もう行きなさい。気を付けて戻るのじゃぞ。柊、そちに託したぞ。」
柊は何も言わず深くお辞儀をした。
「では。」
遠ざかる私を見つめながら翁は
「茉莉花、あの雨乃の笑顔を見ると何とも言えんのぅ…。たまらんわい。」と言った。
「あなた、雨乃様の占は変えられないのですね。何も知らずにあんな無邪気に旅立たれて。」
「…」
「柊もかわいそうに。」
茉莉花様はまだ一筋の涙を落とした。

茉莉花様の涙は翁に関係することと思っていた私は柊に話かけていた。
「柊、あなたの肩に里の未来がかかっているのね。背負うものが大きくてもし、気持ちが疲れたりした時は私に何でも話してね。何の役にも立てないけど話を聞くことだけはできるから。」
「雨乃様、ありがとうございます。」柊は笑顔で答えながら、
…茉莉花様の涙、翁の言葉、吾は何があっても現実から逃げてはいけない。吾の証しは雨乃様の笑顔しかないのだ。雨乃様にこの先どんな運命が待ち受けていようとも、吾の想いを受け入れてもらえなくとも翁のように自分の愛しいと思う女性を守ろう。
柊は葛城の山並みに誓った。

そして私達は高天の森を抜け葛城山の麓まできた。
ふと二上山を見るとどんよりくすんで見える。
「ねぇ、今日の二上山は人を拒絶しているように見えるわ。」
「はい。どうしたのでしょう?山が何かを我らに伝えようとしているやに見えます。」
「何だか怖い…」
「雨乃様は心配性ですな。大丈夫です。さぁ、くぅを呼んで参りましょう。皇后様が首を長くしてお待ちでしょうから一気に矢釣の麓まで行きます。雨乃様、くぅに振り落とされないようにお気をつけ下さい。」
「あー、柊ったら私を信頼していないでしょう。もうくぅと仲良しだから平気よ。」
『くぅ』
「くぅ〜、また突然なんだから〜!そんなに顔を舐めたらくすぐったいわ。くぅったら〜。」
「確かにくぅと雨乃様は仲良しですな。」
「でしょ。」
「さぁ、行きましょう」
私はくぅの背で旅の最後を楽しんだ。

矢釣の麓に戻ってくるとこの地に帰ってきた、感じがする。
到着すると志斐が輿で待っていた。
「雨乃様、おかえりなさいませ。柊、ご苦労でありました。ここからは私と輿で戻りますので柊は先にお戻り下さい。」
柊は一礼した。
「待って!」
私は一歩歩きかけた柊のところに走りより
「柊、本当にいろいろありがとう。あなたのおかげで楽しい時間を送ることができたわ。きっとこの旅のことは私がおばあちゃんになっても忘れないわ。」と、感謝の気持ちを込めて手を差し出した。
柊は一瞬とまどった表情を見せたあと握手をしてくれた。
「くぅもありがとう。また会えるのを楽しみにしているわ。」
『くぅ』
「くぅ、皇后様にくぅは元気だった、って報告しておくからね。」
私は楽しかった1週間に余韻を残しながら後ろ髪を引かれるような気持ちで輿に乗った。
輿に揺られながら志斐は
「翁はお元気でしたか?」と聞いた。
「はい。お元気でした。志斐のお兄様の長老、柏様からお土産を言付かっています。」
「それはありがとう。」と、微笑みながら、
「雨乃様が旅に出られて皇后様は『火が消えたようじゃ。』と、お寂しそうでした。今日は朝からソワソワしておられます。対外的には大名児様は母君様のお見舞いに石川のご実家に戻られたことになっておりますので。」
「はい。わかりました。」
里のこと、柏様のことを話している間に輿は宮に着き門の前で降りた。
「大名児様、お帰りなさいませ。」
迎えてくれたのは麻呂だった。
「皇后様が昨日からお待ちかねです。」
私は麻呂に笑顔で会釈して門を入った。
門に入る時に葛城の方を見た時、ふと茉莉花様の涙が脳裏をよぎった。
…私はここに戻って良かったのだろうか?
そんな思いがこみあげてきた。
「大名児様、如何なさいました?」
志斐の声で私は我に戻った。
「いえ、何でもありません。」
不吉な思いを振り切るように私は門に入り早足で歩いた。  


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